暮らしに微笑みを添えてくれる、陶芸家・さとうゆきさんを訪ねて
昨年の秋、青葉区寺家町で恒例のアート展、「寺家回廊」を子どもと散歩しながら巡りました。そのとき、一瞬で心を掴まれた作品がありました。ギャラリー「木瓜(ぼけ)の里」で展示されていた、さとうゆきさんの焼き物です。土の色をいかした色の温かみ、手にのせるとほっと馴染む形の可愛らしさ。陶芸家・さとうゆきさんにお話を伺いました。

さとうゆきさんの工房は「てん」という名前です。「てん」というのは「手の『て』と、びっくりしたり、不思議に思ったりした時の『ん?!』を合わせました。あと、空が好きなので『天』を掛けて付けました」

工房「てん」は、ゆきさんの故郷、福島県楢葉町にあります。

ゆきさんの代表作「丸っこカップ」器に凹みをつける工程は土にとって負担がかかるため、形を仕上げていくのが難しいそう。「土に様子を聞きながら、丁寧にお世話をする気持ちで作ります」

2011年、東日本大震災で起こった原子力災害により楢葉町は避難区域となり、ゆきさんは親戚を頼りに神奈川県相模原市に避難しました。

現在は寺家町にある大曽根拓朗さんのギャラリー「木瓜の里」の窯を借りながら焼き物をし、ギャラリーの隣のお食事処「青山亭」でもお仕事をしています。

相模原市に避難後しばらくして、師匠である西村俊彦氏に木瓜の里の窯を紹介されました。初めて寺家町を訪れた時、「田んぼと山の佇まいが、故郷の楢葉町の風景に似ていて、震災後初めてほっとした気持ちになり、嬉しく感じました」と当時を振り返ります。

ギャラリー「木瓜の里」へのアプローチ。木瓜と福寿草が咲いていた。昔は一面に木瓜が咲く場所だったそうだ

「楢葉町には海と山と川があります。作品づくりの合間に時間を見つけて、海へ行っては流木や、波の中で変形した漂流物を集めたり、お弁当を持って山へ登り、河原で石を拾うひと時から創作へのヒントやエネルギーをもらっていました」

ゆきさんの作る大中小、様々な大きさのころんとした「丸鉢」、角のなめらかな「三角皿」、眺めていると気持ちが落ち着く形です。それらの器は、楢葉町の木戸川の河原で拾った石を型にしているそうです。

「器を手にした人が笑顔になってくれたら嬉しいです……、なんておこがましいかな」と微笑むゆきさん

ゆきさんの作品は「益子焼き」です。

「大学では、好きだったものづくりについて幅広く学びました。その当時、飲食店のアルバイトをしていて、食器を洗いながら『器を手にする感覚』を幸せに思ったことや、器の種類を見分けることが自然と身についていく手応えを感じて、焼き物に興味を持ちました。また、陶芸は突き詰めると、土づくりから始まり、完成までにある様々な工程を自分でやることができるというところも私の性分に合うと感じてこの道に進みました」

なめらかな白色と、土の色の2色の「丸鉢」。白色は粘土がまだ生乾きのときに掛ける「化粧泥」に透明な釉薬をかけ、土の色は、そのまま透明な釉薬をかけた色

学生時代は岡山県の「備前焼き」や鹿児島県の「龍門寺焼き」などに憧れていたそうです。それぞれの「土と、釉薬(ゆうやく)、固有の技法」の伝統を引き継いでいく焼き物の文化。各地を巡り、作品や土地に触れながら、自分に合う焼き物とはなんだろうと模索しました。「焼き物を見れば見るほど素晴らしいと思うと同時に、作品に付けられる高価な値段を理解することは、時に難しいなという実感もありました」とゆきさん。そんな折、訪れたのが栃木県益子町、益子焼きの地でした。

思わず「美味しそう!」と手がのびてしまった箸置き。チョコレートやマカロンなどお菓子から作品のイメージを膨らませることも多いそう

益子町は、昭和初期「生活で使われている物の中にある美しさ」を見出し、それを伝えていこうという「民芸運動」の第一人者である濱田庄司が移り住み、作陶した地です。もともと益子の人ではなかったが濱田氏が、益子焼きの魅力を広く世に伝えたという経緯もあり、益子は外から入ってくる陶芸家たちを広く受け入れる雰囲気があるそうです。また、伝統の継承を大切にしながらも、益子焼きを元に、作家の生み出す新しい作風に対しての寛容さがあり、ゆきさんは益子の町に懐の深さと広がりを感じたそうです。

そして、大学を卒業後、益子焼きの窯元「つかもと」で修業を始めます。そこで陶芸教室の担当になり、毎日お客さんに説明しながら、見本となる器を作りました。「2年経ったある日、いつものようにお客さんを前に手びねりで形を作り上げている時、突然するすると土が上がり始め、生きているように自ら動き出す感覚がありました。その時の感覚は今でもはっきりと手に残っています」

ギャラリー「木瓜の里」。青山亭さんからいただいた差し入れのお抹茶に添えられていたチョコレートと折り紙の椿の花。どちらも「つくることは何でも好きです」というゆきさんの作

その後、ゆきさんは益子の陶芸家、西村俊彦氏に師事します。

ゆきさんにはもう一つ、子どもの頃から海外への強い憧れがありました。「外の世界で自分を試してみたい」と、弟子入りの後、西村氏の理解を得て、青年海外協力隊の「陶磁器隊員」として南米、グァテマラへ行くことになりました。

グァテマラでの体験は、その後の作品づくりにも多くの影響を与えたそうです。グァテマラのティカルという町には、世界遺産に認定されているマヤ文明の古代遺跡が今もまだそのままの姿であります。

「そこで見たマヤ文明の出土品が面白かったです。どれもどことなく愛嬌が感じられましたよ」と、ペンを取り出し、手帳にいかつい横顔やひょうきんに見える「顔文字」を描いて見せてくれました。また、色の洪水のように町にひるがえる鮮やかな伝統の織物も印象的だったそうです。

「知識や技術を伝える一方、全てが揃っているわけではない環境の中で『その場その場でできることをやる』という生きる力を現地の職人さんたちから見せてもらいました。また、彼らが家族をとても大事にし、穏やかに暮らしている日々の姿もかけがえのないものとして今も胸の中に残っています」

「カードスタンド」バリエーション色々。迷うのも焼き物選びの楽しさ

3年間の任期を終えグァテマラから帰国し、故郷の福島に帰ります。そこで実家の家業であるお米農家と米屋を手伝いながら工房を開く準備をしました。

そして2007年、工房「てん」を開きました。

ゆきさんは「てん」を開いて以来毎年、年に2回春と秋に開かれる、益子陶器市への出店を続けています。ゆきさんには忘れられない市があると言います。それは、2011年の春の市です。市へ出す器の準備を進めていた矢先、東日本大震災がありました。着の身着のままで避難し、そのまま楢葉町は立ち入りが制限されてしまいました。すぐに迫っていた陶器市に出品するものがないという状況に、ゆきさんは一瞬呆然としますが、「参加を辞めることは最後の手段として考えればよい」と決意します。オーブンで焼けるクラフト粘土を買いに走り、焼き物のアクセサリーを急遽作って、市に参加したそうです。

益子の登り窯の多くも壊れ、益子町自体も大変な中で市は開かれました。

「地震で壊れてしまった器を買い足しに、いつにも増してたくさんのお客さまがいらして下さいました。賑わう市の中で、ああ、こんなにも沢山の方が応援して下さっている、なんてありがたいことだろうと、お客さまに元気をいただきました」

「とって皿」。なにを乗せようか、美味しい想像が膨らむ

その春から6年、ゆきさんは今年も益子陶器市に向けて準備を進めています。

「故郷、楢葉町の圧倒的な自然とは違いますが、ここ寺家町にも美しい里山の風景があり、それがとてもありがたいです。身近にある自然、葉っぱ一枚とってもそれぞれの形、虫食いがあればそれも楽しく、春が来れば草葉が伸びていく姿などを、これからも作品に映し続けていきたいです」

「すすき」を灰にして作った釉薬が使われているカップ。柔らかく明るい色味がでるそう。「震災前に作った釉薬が残り少なくなってきたので、また灰を作りたいのですが、なかなか焚き火ができる場所がなくて……」とゆきさん

「震災から2年経った時、立ち入り制限中の楢葉町を訪れました。そのとき変わってしまった故郷の風景に愕然としました。里山の美しい風景は自然だけではなく、人間の暮らしがあるからこそ保たれていることを改めて実感しました。『すごいぞ人間!』と思いました」

焼き物の作り手の心は、作品を手にした人に確かに伝わるものだとお話を聞いて思いました。

ゆきさんが名付けた工房「てん」。楢葉町の空、益子町の空、グァテマラの空、そして寺家町の空、その空はつながっていて、いつのときも空の下、ゆきさんの手には陶芸があります。そして作り出される焼き物は、手にした人の暮らしに寄り添っています。

Information

工房「てん」

住所:福島県双葉郡楢葉町下小塙字稲荷前59-2 (休工中)

アドレス:hiperyuki@ozzio.jp

ギャラリー「木瓜の里」

住所:横浜市青葉区寺家町679

TEL:045-962-2709

益子春の陶器市

開催場所:栃木県益子町

開催期間:2017429日(土)57日(日)

南部 聡子
この記事を書いた人
南部聡子ライター
富士山麓、朝霧高原で生まれ、横浜市青葉区で育つ。劇場と古典文学に憧れ、役者と高校教師の二足の草鞋を経て、高校生の感性に痺れ教師に。退職後、地域に根ざして暮らす楽しさ、四季折々の寺家のふるさと村の風景を子どもと歩く時間に魅了されている。森ノオト屈指の書き手で、精力的に取材を展開。
カテゴリー