木村広夫の自然農講座 使然(しからしむる)の時代から、自然(おのずからしかり)への転換

真理の海の中を泳ぐ喜び

 

当サイトでもコラム「木村広夫の自然農講座」も、始めてから一年以上が過ぎた。このコラムはタイトルからして自然農の「How to」ものであると思われがちだったため、もっと詳しく具体的な事例を含めた記事もあってほしい、という読者も大勢いたかもしれない。ここ数年の世間の農に対する関心の高さは、私のところを訪ねてくる人たちを見てもわかる。定年を迎えた男性から、学生や主婦、それに学校関係や企業に至るまで様々な層に拡がっている。農業をある程度経験し、こだわりを持った方から、なにもわからない初心者まで、そのレベルの違いも様々だ。

 

直接私と会話をし、作業を共にしたには、私が常々話す「農に学ぶ。」という意味を少しは理解できたかもしれないが、「木村広夫の自然農講座」と銘打ってのこのコラムの内容であれば、タイトルとはちと違う気もするし、農法にこだわる方々の反発を買うのもわかる。

 

私は、人は自然から何を学び、自然に順応した生き方とはどういうことかを、「農」から私が学んだことを、森ノオトのコラムを通して、少しでも伝えることができればという思いで書き続けてきた。農を実践しながら、真理を追究してきたと言えば大げさかもしれないが、54年近く生きてきて、物心ついた頃から抱き続けた疑問や不思議の、答えがここにある……そんな思いで、真理の海の中を泳がせていただいている。つくづく幸せな人間だと思う。

 

見えない答えを追い求め、頬をなでる風に涙するほど感動する人間がどれほどいるだろう? やはり、私は変人の部類なのか……。

 

『モモ』にみる時間の哲学

現代人が今一番求めているものは、自然回帰ではないか。高度に発達した科学技術の恩恵を受け、物質的豊かさを手に入れ、人の為す業を謳歌する使然(しからしむる)の時代から、自然(おのずからしかり)という、定まったもの、変わらぬもの、人為の及ばないものを、人々が求めるのは当然の流れなのかもしれない。物事には必ず作用、反作用があり、時代も含め、すべてはバランスをとりながら常態を維持しているといえる。

 

私はこの現代を、経済至上主義がもたらした負の遺産を糧に、人類が新たな価値観を手に入れ進化するときと捉えたい。進化論も含め、時代と共に常識は変わる。常識を疑うことはとても大事なことであり、「子どもの、なぜ?」の視線で物事を観て、素直な答えを導き出す必要がある。「素直な答え」とは、「わからないこと」も含めての意味だ。大人たちは「わからないこと」を常識というベールで隠してきた。世の中、実は解らないことばかりなのだ。解っていると思っているのは、それらしい答えを人から教えられ、それが答えだと信じ込んでいるに過ぎず、むしろ、直感や想像力の中にこそ、正しい、自分らしい答えが隠されている。

 

ミヒャエル・エンデの名著『モモ』の中に、時間についての興味深い一文がある。正確ではないかもしれないが、次のような文だ。

「なにしろ人間というのは、ただの時間だけでできているわけではなく、それ以上のものだ」

「時間というものには、初めがあった以上、終わりもある。だが終わりは、人間がもはや時間を必要としなくなったときに、はじめてやって来るのだ」

 

この本では、人の一生、つまり生まれてから死ぬまでの自分に与えられた時間は、有限であり、無限であると言っている。ミツバチの一生も、地球の一生も、長い、短いという人間の尺度を超えた、「今、ここ。」にしか存在しない。また、「今」は、一瞬にして過去となり、未来は一瞬にして「今」となる。

 

過去、現在、未来は、一つのまとまった存在であり、生と死と同じように、それらを切り離すことは決して出来ない。相反すること(陰と陽)が混在しているのが世の中の実相であり、矛盾の中で生かされているのが、生命あるものの定めなのだ。

 

生命といて自然の成長法則に寄り添う

 

あるとき、中学3年生に話をする機会があった。NPOや社会貢献について話をするように言われたが、私は以前このコラムでも書いた「縦の自由と横の自由」の話をした。縦の自由といって、どれだけ理解されるか不安だったが、子どもたちのキャッチ力には驚いた。後から個人の感想文を見たとき、私の伝えたかったことをきちんと理解していたことに喜びを覚えた。ここまで反応があるとは、正直思わなかった。向上心旺盛なこの時期の若者たちに、この話ができたことを、私はとても嬉しく思った。

 

農業にも教育にも関心がなかった私が、なぜ、このような立場になり、また、そのことに大きな喜びをも感じるようになったのか。考えてみると、シュタイナー教育との出会いが大きかったと思う。教育で子どもたちは変わるということや、年齢ごとの教育の大切さを私なりに学んだ。特に、幼・少・青・壮・老という生物としての自然の成長法則は、時や場所、民族も関係なく共通している。それぞれの時期に人間としての発達箇所や成長の段階に違いがあり、そこに其々の年代の「らしさ」が生まれる。この「らしさ」こそ、教育の根本のように思う。それらは、自然に習い、人としての修養無くして、身に付くものではないと、最近思うようになった。

 

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