古民家に学んだ、自然の恵みを生かす暮らしの知恵
10月9日、秋晴れで気持ち良い空の下、都筑民家園で森ノオトが開催した「第2回エコDIY研究会」。「古民家から学ぶエコハウスの知恵」とは一体どんなものなのでしょう? いつかは家族みんなで気持ち良く暮らせるマイホームを持つことを夢見るリポーター持田は、丸谷博男先生のお話を、興味津々で聞いてきました!

森ノオトの主催する「エコDIY研究会」第2回目のゲストは、自然エネルギーを利用したエコハウスの設計・研究を行い、環境建築の第一人者としても知られる、建築家の丸谷博男さん。「そら(太陽)の恵み」と「どま(地球)の恵み」を生かした「そらどまの家」を提唱し、一般社団法人エコハウス研究会の代表理事としても全国各地で研究会を開催するなど、エコハウスの普及のため精力的に活動されています。

 

会場となった都筑民家園は、大型ショッピングモールが建ち並ぶ港北ニュータウンのセンター北駅から徒歩8分ほどの場所、大塚・歳勝土遺跡公園内にあります。都筑民家園の中心にある旧長沢家住宅は、都筑区牛久保町にあった旧家で、江戸時代中期の建物を移築・復元したもの。主屋と馬屋がロウカでつながり、棟をそろえて建っています。

NPO法人都筑民家園管理運営委員会が活用と保存の両立てで管理を行っており、一年を通して様々なイベントが開かれています。

 

木々に囲まれた静かな空間にたたずむ古民家は、まるで遠い昔にタイムスリップしたかのような風景!(写真:梅原昭子)

 

まずは、旧長沢家住宅のヒロマに座り、古民家という空間を実際に五感で味わいながら、現代の住宅とは何が違うのか、その特徴について、丸谷さんの解説が始まりました。

 

「古民家の温熱環境は、一年を通して涼しいです。夏の暑い日、30℃の外気が入ってきても、まわりの輻射熱ですぐに冷えます」(丸谷さん)

この日は秋晴れで、センター北駅から民家園まで歩いてくると、じんわりと汗ばむような陽気でしたが、旧長沢家住宅へ一歩足を踏み入れると、ひんやりと涼しさを感じました。

 

なぜ、古民家が涼しいのか。それは、軒が深く、夏の日差しを遮るつくりになっていることや、茅葺屋根に染み込んだ雨が蒸発する際に気化熱が発生し、自然と冷えるしくみになっているからなのだそう。また、木や土壁は熱容量が大きい(熱くなりにくく冷めにくい)ので、断熱材の役割を果たし、外気の影響を受けにくくなっているのです。

 

茅葺き天井のようす。茅葺き屋根とは草葺き屋根の総称で、材料は地域によって異なる。ヨシが最高とされるが、小麦や稲、藁が使われたり、それらがない場合はススキが使われた(写真:梅原昭子)

 

土壁の下地には竹を格子状にした小舞(こまい)が組まれている。竹はそのままだと腐りやすいが、土の中だと腐らない(写真:梅原昭子)

 

輻射熱とは? 普段あまり聞き慣れない言葉で、恥ずかしながら私はそれまで知らなかったのですが……輻射熱とは、個体間の空気など気体の存在の有無に関係なく、遠赤外線の熱線により直接伝わる熱のこと。太陽光や焚き火などに当たり、体がポカポカ暖かく感じるのは、この輻射熱のためなのだとか。

私たちの体感温度は、実際の気温だけでなく、輻射熱の影響も大きく受けていて、床や壁、天井が発する熱も感じているのです。

この日、丸谷さんが手にした温度計でヒロマの温度を計測すると、床が19℃、天井が20℃、室温が24℃で、実際に、床や天井の温度が室温よりも低くなっていることが分かりました。

 

夏涼しく過ごせる古民家。では、冬はどうかというと……すき間風が入り、寒いのだそう。囲炉裏などで暖をとり、部屋を暖める工夫はありますが、「温熱環境で一番快適だったのは、縄文時代の竪穴式住居でした。地球に降り注ぐ太陽熱は土に伝わり、半年かけて地下3-5メートルのところまで届きます。竪穴住居は穴を掘ることによって、その暖かさを冬に求めているのです。夏には冬の涼しさが同じ所にあるのです」と丸谷さん。

 

竪穴式住居というと、とても原始的で快適性など無さそうなイメージでしたが、地熱という自然エネルギーを享受できる素晴らしい仕組みを取り入れた住居だったのです。この竪穴式住居の遺跡は、日本の北へ行けば行くほど、穴の深さが深くなっているのが特徴なのだとか。

 

講義の途中、一旦外に出て丸谷さんの解説を聞きながら、旧長沢家住宅の外をぐるりと一周

 

杉の引き戸。杉はとても軽い素材なので、引き戸を作ることが出来た。他の木材だと、重くて引けない

 

研究会の後半は、また旧長沢家住宅のヒロマに戻り、丸谷さんの著書から引用した資料を元に、縄文時代からの住居建築の歴史をたどりながら、その中でいかに日本人が自然環境と共生し住居を造ってきたのか、また、生活環境の変化とともにどのように建築様式が変化していったのかというお話を聞きました。

 

柱を基礎石の上に立てる石場立てという工法。奈良時代前後までは天皇が変わるごとに都が変わっていたため、仮設の建物が多かったが、平安京になると継続性が重視されるようになり、石場立てへと変化し、現在の京町家も石場立てを引き継いでいる

馬屋の土台は水に強いクリの木。縄文時代、クリの木は栽培されていたが、美味しくないクリは材に使っていた。土台にクリの木が使われるのは縄文時代からの伝統を受け継いでいる

 

一万年以上人々が暮らし続けてきた竪穴式住居も、社会制度が高度になるにつれ変化し、壁のある家が必要となり、民家が誕生しました。現存する民家で最も古い、室町時代につくられた「箱木千年家」(神戸市)でも、土間や土座(土間にワラを敷き込んだスペース)があり、竪穴式住居の地熱環境をこの時代でも享受していました。

また、明治以降、民家の近代化が始まりましたが、それは社会経済のあり方が大きく変化し「サラリーマン」が出現したため、自宅が仕事場であったのが、ただ寝る場所に変化していきました。「しかしながら、現代、また自宅で仕事をする人が増えているのでしょうないでしょうか。今後、今までの間取りでは生活に合わなくなってくるはずです」(丸谷さん)

 

旧長沢家住宅内で丸谷先生を囲み、膨大なスライドをもとに民家について学ぶ。たくさんの事例と情報量だったが、丸谷先生のお話は文学的、民俗学的でもあり、引き込まれた

 

私はこれまで建築について勉強不足だったので、今回のエコDIY研究会に参加して、住居建築の歴史や様式など、知らなかった膨大な情報に、終始脳内フル回転でお話を聞いていました。

研究会終盤、「民家は真実でしかない」と文献を引用して丸谷さんが話していましたが、民家はその風土や暮らしに合ったもので無ければ存在し得ないというのは、本当にその通りだなあと思いました。

 

さて現代。これだけの様々な住宅が建ち並び、工法も内装も設備も本当に多様で、素材も木と草と土だけであった時代とは比べ物にならないくらい選択肢がある……そういったことも、それだけ私たちのライフスタイルが多様化し、様々な技術が進歩し、社会が複雑化しているということを映しだした民家の真実なのかもしれません。

 

自然と共生してきた一万年以上の民家の歴史を今一度見直し、自然素材や自然エネルギーを活用するエコハウスが増えることで、逆に私たちのライフスタイルが変化し、持続可能な社会づくりにつながっていくのかもしれないと感じました。

 

さあ、どんなマイホームにするのか?!リポーター持田の夢は続きます……!

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この記事を書いた人
持田三貴子ライター卒業生
樹木医で造園業3代目の夫とともに、都市生活に森のような循環を生み出すべく、Earth Worksという夫婦ユニットとして活動中。結婚を機にナチュラルなライフスタイルにどっぷり浸かり、いつの間にか3児の母に。横浜市都筑区で夢の民家暮らしをスタート、「竹隣庵」と名付け住み開きを目指している。
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