自然農法と出会い寺家ふるさと村へ
1985年、本格的に版画の技術(リトグラフ・シルクスクリーン)を習得するために上京した。大井町の版画工房に通う。グラフィックデザイナー業の傍ら版画制作を続けていたその時、当時2歳の長男が「川崎病」を発病した。川崎病は急な発熱や発疹を伴う病気で、主に乳幼児が罹患する。当然私は、激しい絶望感を味わうことになる。
(text: 木村広夫)

長男の川崎病が導いた自然農法

 

1985年、本格的に版画の技術(リトグラフ・シルクスクリーン)を習得するために上京した。大井町の版画工房に通う。グラフィックデザイナー業の傍ら版画制作を続けていたその時、当時2歳の長男が「川崎病」を発病した。川崎病は急な発熱や発疹を伴う病気で、主に乳幼児が罹患する。当然私は、激しい絶望感を味わうことになる。

 

以前から医者嫌い、薬嫌いの私であったが、その時は医者への不信感がピークの時でもあった。夜中に長男が急に発熱し、駆け込んだ先の小児科の医師が座薬を間違って投与してしまったと、看護師から報告を受けた。翌日、別の病院で診察を受けると、「川崎病の疑いがある。即、入院するように」と言われ、大学病院に緊急入院した。そこの担当医が「致死率は、交通事故の確率よりも低いので、安心してください」と、意味不明なことを言う。

 

私は25歳で結婚し、グラフィックデザイナーとして独立した。年収にも満足していたが、作家性を求めて安定した収入を捨て、夢を追い始めた矢先のこと。長男の発病は、自分の夢の実現のことしか考えない自由主義の私を奈落の底に落とした出来事であった。

 

「私は、家族を犠牲にしてきたのか?」「家族の幸せとは何なのか?」「親として子どもの命を医者任せにしてよいのか?」「親が責任を持って子どもの命を守ることは出来ないのか?」……自問自答を繰り返す3年間であった。

 

そして1988年夏、「病気の原因」「健康の真諦」という画期的な教えに出会う。岡田茂吉の医術であり、唯心科学療法である。

 

岡田氏は、「人間に必要なほとんどの栄養素は野菜にある」と、「自然農法」を唱えていた。あらゆる化学物質、薬、肥料はことごとく「毒」であり、体に入った毒は自らの力で出そうとし、野菜に入った毒は、虫によって食われるという。

 

私はその後、子どもたちと自分自身の健康の回復とその維持に全身全霊で取り組んだ。無肥料による野菜の栽培と、無医薬による子育ての始まりである。

 

 

地元の中学校で稲作指導を始める

 

 

1995年、寺家ふるさと村に隣接する谷戸の休耕田を借りうけ、自然農法による稲作を開始した。2002年にはふるさと村内の農家の一軒家に転居、娘の通う地元の鴨志田中学校で自然農法での稲作を指導するようになる。現在、自然農法での稲作指導団体は、5団体に及ぶ。2007年、NPO法人「農に学ぶ環境教育ネットワーク」を設立、一般家族対象の「家族で米を作ろう!」を始めて、家族会員を含め40世帯近くの会員が活動に携わっている。

 

自然農法を始めて間もないまだ水の温まぬ5月のある夜、代掻きを終え、精も根も尽き果て、崩れるように水路で汚れた衣服を洗っていた。頭の上に光を感じ、見ると、夜露に濡れた草の上で一灯のホタルが清らかな光を放っていた。疲れで硬直した私の体と心は一瞬にして癒され、「私の求めていた農法はこのような、清らかな農法なんだ」と感じたのと同時に、涙があふれてきた。この土地で自然農法に取り組む意味や、自分自身の使命を確信した瞬間だった。

 

鴨志田中学校での稲作授業は今年で6年目になる。新入生を交えての4月、新3年生が新2年生に、自分たちのつくった「鴨中米」の種を伝授するセレモニーが毎年行われる。2年生には先輩から引き継いだ種をしっかり育てようという心構えが生まれ、1年生は、来年、あの種を自分たちが蒔くのだという期待を持つ。こうして「鴨中米」という古くて新しい「いのち」は後世に引き継がれていく。

 

 

 

いちばん美味しい米はどれ?

 

 

ある年、鴨志田中学校の担当教師がとんでもない企画を持ってきた。文化発表会で目隠しをしていくつかのお米を食べ比べ、「鴨中米」を当てるというものだ。私は同時に違う米を食べ比べたことなどなく、ただ、自然米はうまい! と感じて何年も食べ続けていただけである。間違いでもしたら、とんだ恥さらしになってしまう。

 

発表会の前日、私は何度も鴨中米を味わい、他の米と何が違うのか全味覚神経を総動員して必死でその味を記憶に留めようとした。しかし、無駄であった。私の不安をよそに教師は、「大丈夫ですよ。木村さんなら絶対間違えるわけがないですよ」などと言い、当日を迎えた。

 

かくして文化発表会のステージ上で、(1)輸入米、(2)最高級あきたこまち、(3)鴨中米の3種類の米が用意された。最初に食した米がやたらとうまかった。他の米もこんなにうまかったらお手上げだと思い、次の米を食した。これは一口食べてまずかった。おそらく輸入米であろう。いよいよ最後の米だ。これもまずい。なにも悩むことはなかった。いちばんうまい米が鴨中米だと確信した。

 

しかし私と競って参加した生徒代表は、最後の米を鴨中米だと主張。果たしてその結果は……。

 

私が見事に正解だった。会場からは割れんばかりの拍手と、その傍らに、思惑通りの結果が得られて満足した教師の笑顔がステージから見て取れた。その後の生徒のコメントがふるっていた。

 

「確かに、本当においしかったのは木村さんの言った米でした。でも、最高級のあきたこまちよりは劣るだろうと思い、二番目においしかった米が鴨中米だと思った」と言うのだ。この生徒の言葉を聞いていた父兄から、鴨中米が本当においしいのだと評判になり、鴨中米を振舞う収穫祭への父兄の参加が一挙に増えたのが私は面白かった。そして、あの発表会の前の晩の米の味が今でも懐かしく思い出される。

 

 

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