里山の再生は、農の再生から

横浜市と川崎市、町田市にまたがる寺家の里山

 

 

 

横浜市民でも、寺家ふるさと村を知らない人が意外と多い。最近は隣接する町田市三輪町(三輪緑山)に都心から転居して来た人が、ふらっとこの地を訪れ、こんな処があったのかと、ファンになる方が増えてきた。

 

寺家ふるさと村の入り口が横浜市側にしかなく、三輪町からは、暗い切り通しを抜けなければならない。寺家ふるさと村(三輪緑地)に、観光地として多くの人に来てもらいたいのか? 自然を守るためにあまり人に来てもらいたくないのか? 三輪の地主には後者の意見を持つ者が多く、開発の計画が出る度に反対してきた。だからこそ現在の自然が残されているとも言える。

 

詳しい経緯はわからないが、寺家町にもふるさと村オープン当時から反対してきた地主がいた。人には来てもらいたいが、農家の営みは阻害してほしくない。人が来ればいくらかの汚染や自然破壊が必ず伴う。週末やホタルの時期は、車でごった返す。今では、地元は横浜市に、ふるさと村にホタルが出ることは広報しないようにと求めている。

 

町田市もこの矛盾を解決しないまま、横浜市のふるさと村構想に沿った開発を、三輪緑地で行おうとしている。しかし、ふるさと村と大きく違う点は、横浜市の場合は農政主導の開発なのに対し、町田市は公園緑地課の主導で、里山での農の営みに対しては門外漢なのだ。

 

横浜市と町田市の管轄範囲の境界(一部は川崎市)というここの立地が、さまざまな問題を先送りにしてきたように思える。この地域の抱えた問題の解決のためにも、私はこのNPO(農に学ぶ環境教育ネットワーク)を立ち上げたと言えるのだが、案の定、最初の地域住民への説明会に誘われたのは、横浜市側からは私たちだけだった。その時点でさえ、ふるさと村の管理事務所には情報は行っていなかったのだ。

 

地域住民の手で農ある里山の再生を!

 

 

以前、森ノオトの本コラムでも取り上げたが、(http://morinooto.jp/manabi/kimura/post-54.html)私は、3年前の現地での「動植物の現況調査」から、毎年、説明会やワークショップに参加している。 生物多様性が豊かなこの里山が公園緑地化問題で揺れているのは、地方の人里離れた山奥で起こっている話はなく、都内から1時間圏内での話なのだ。青葉区からは目と鼻の先にあるにもかかわらず、神奈川県内ではないという理由で、この公園緑地化計画が地域住民に認知がされていないとすれば、広く一般に情報を公開し、農ある里山の再生に地域住民が参加できる体制を確立する時期が来たのではないかと、私は思っている。

 

「農園緑地」という言葉は適当ではないかもしれないが、生産者(生活者)がいなくなり里山が荒れる結果になったのだから、田んぼや畑が存在する公園を実現するには、生産者(生活者)がいる、生活感のある里山(擬似的里山)の再生ということになる。そこで私は町田市に農園のある緑地、農園緑地という考え方を提案したのだが、生活感のある里山を再生するには、それを管理運営する人や組織が必要であり、その存在がとても重要になってくる。

 

アメリカやカナダの国立公園がボランティアの手で管理運営されているように、この農園緑地も多くのボランティアにより永続的に管理運営されることが望ましい。それらは、今からでも準備を始め、システムをデザインし、実績を積む必要がある。

 

現在、私がNPOや個人で借り受けている農地及び山林は、三輪の緑地だけでも、一町(約1万㎡)を超えている。それ以外にもまだ、手付かずの休耕田や耕作放棄地が、竹の浸食や倒木により荒廃を余儀なくされている。

 

 

“柵”のない里山を願って……

 

 

最近、どんぐり農園の入り口に柵を作った。私はこの里山を、誰もが楽しめ、みんなの心が癒される場所になってくれたらいいと単純に思っている。そして、里山の再生は田畑の再生から、という当初からの一貫した考えで、耕作放棄地を開墾してきた。そういう思いからNPO活動へと発展していったのだが、はたしてここは、NPOの会員だけが楽しめる農園(会員制農園)であっていいのだろうか? 私は常に自問自答していた。

 

“土地に柵する馬鹿がいる。”これは、私が幼い頃から聞かされ、頭から離れない言葉なのだ。土地の面積と所有者は公図に示されてあり、法治国家である日本では、個人の財産は守られている。柵などは必要ないと私は思うのだが……。ただ、農地の作物は財産であり、それは農家や会員の財産であり、守らなければならないのもまた事実。畑や田んぼに柵をしなければ作物が盗まれてしまうなど、想像もしなかったことが現実に起きているのだ。

 

このNPOの理念に賛同し、入会された方は、この柵の意味を十分理解していただけるものと思っている。この里山は、誰もが自由に散策し、心豊かな時間を得る場所であってほしい。いずれ柵などのない、美しい姿の里山が再生されることを祈っている。それは同時に、美しい人間の心の再生なくして、実現しないのかもしれない。

 

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