琥珀の子 電気のおはなし第8話
前回ちらっと触れましたが、電気の流れ方には直流と交流の2種類があって、私たちの現在の暮らしの基盤は、交流の電気のおかげで成り立っています。ところが、交流のシステムを世界に広め、電気と結婚したとも言える天才発明家、ニコラ・テスラさんのことは、一般にはほとんど知られていません。そこで、今回は、テスラさんの生きた19世紀後半から20世紀初頭のアメリカへ飛んでみたいと思います。
それでは電気をめぐる時空の旅に出掛けましょう♪

直流(Direct Current略してDC)とは、常に一定の方向に流れる電流のことです。乾電池や自動車のバッテリーは、+と−がはっきり分かれていますよね。それぞれの端子にあらかじめ+の電圧、−の電圧がかかっているために、いつも同じ方向に電子の流れが生じるようになっているのです。

それに対して、一般住宅の電気は交流(Alternating Current略してAC)で、電圧の向きが一定の周期で+と−に反転しつづけます。1秒間に60回とか50回という猛スピードで、テニスのラリーのように電子の流れる向きが変わっているわけです。コンセントには二つの穴がありますが、どちらが+か−か考える必要がないのはそのためなんですね。

さて、ここからはさらっと流していただいて結構ですが、現在、発電所でつくられた電気はだいたい三相交流の三相三線式というしくみで送電されています。三相交流方式だと、発電機が一回転する時に、タイミングが均等にずれて3回発電できること、また、そのずれによって、3つの交流から送電される電圧の和がゼロになることから、送る電力を最大に出来るのだそうです。

電線には600V以上の高圧の電気が流れています。家庭や工場で電気を使うには、電柱に設置された柱上変圧器で電圧を100V(または200V)に下げて、三相交流のうちの一相から単相三線式で住宅に引き込み、電力量計を通して分電盤に接続。そこからさらに配線が延び各部屋のコンセントへと電気が流れ、三線のうちの二線と接続されて、家電が動いたり、灯りが点いたりするのです。電力量計には、コイルに挟まれたアルミニウムの円盤があり、誘導過電流による回転磁界の磁力で円盤を回転させて使用電力を記録しています。

 

この、回転磁界の原理(次回もう少し詳しく触れます)を発見して、実用性の高い多相の交流方式や、交流モーターを生み出したのがテスラさんなんです。街中いたるところ、各家庭にテスラさんが潜んでる!

テスラさんは1856年7月、現在のクロアチアにあるスミリャンという自然豊かな村で生まれました。のちにアメリカ国籍を取得しましたが、セルビア人です。

早くから電気工学に興味をもっていた天才児だったようですね。根っからの発明体質で、5歳で全く新しいタイプの小型水車を発明したのだとか。しかし感覚が鋭敏すぎたのか、興奮すると視界が真っ白になってしまったり、強い閃光を見るなど、幻覚症状があったそうです。7つ上のお兄さんが12歳で謎の死を遂げたことをきかっけに、数々の恐怖症や強迫観念にも悩まされています。

大人になってからも幻覚や幻聴は続き、ひどく潔癖で、人の髪の毛に触れないとか、食事の前にナプキンを18枚用意させて、ナイフやフォークを自分でこころゆくまで磨くとか、食べ物の容積を計算しながら食べるとか、細かなマイルールにたくさん縛られていたようですね。本人は大変だったろうけど、個性的で非常にチャーミングだな、とも思います。

美しい顔立ちとファッショナブルな装い、知的ユーモアの精神で、友人も女性ファンも多かったのに、独りホテル暮らしを続け、生涯独身だったのは、やはり「琥珀の子」と相思相愛だったからでしょうか。1943年1月、ホテルのベッドで86年の生涯を終える直前まで、研究への意欲は衰えませんでした。

かなしいことに、科学者、発明家としてより、オカルトの世界でかえって有名だったりするテスラさんですが、たとえ神秘的な体験をしても宗教に活路をみいだすのではなく、その原理を、科学や数学や詩的なことばで考え、語りつづけようとした「強靭な意志の人」です。

 

テスラさん(絵:梅原あき子)

 

交流発電機やモーターだけでなく、電磁波、無線、ロボット、新型タービンなど、新しい研究に次々に没頭して、取った特許は200以上。無線の研究では、ラジオにとどまらず、なんと「無線で電力を送る方法」を本気で考えていたんですよー! 全世界を無線でつなぎ、メッセージからエネルギーのやりとりまで行うという「世界システム」の構想。これはインターネットのさらに先行く話ではないかと思われますが、絶対実現出来ると信じて疑わなかったそうです。

そのための実験施設は資金不足で完成しませんでしたが……。

その他、コンピュータやミサイルの基本原理まで、現代文明の基礎となる数々の発明を残しており、その独創性、創造性はエジソンさんを超える、とも言われます。

テスラさんにとって、エジソンさんはかつての雇い主。「エジソン電灯会社」のパリ支店で働いていた時に、アメリカに行くべきだと推薦してくれた人がいて、単身ニューヨークに渡ったのが1884年、28歳の頃。

この時エジソンさんは37歳。自らの創った長寿命の白熱電球を普及させるために、直流の発電所を建設し、配電から送電、電灯の設備まで請け負う、世界初の電気照明会社を経営していました。ちなみに最初に発電所が建設されたのはニューヨークとロンドンです。

爆発の危険があるガスより安全! と、大々的にうたいながら、創業間もない頃は故障も危険も多く、技師が足りなくて困っていたところに彗星のように現れたテスラさん。紹介状を持って会社を訪ねたその日に、いきなり修理の仕事をまかされますが、きっちりやり遂げて帰ってきたので、あいつはデキル! とすぐに認められます。電気技師としても有能だったんですね。

テスラさんはその後も午前10時から翌朝の5時まで働くのが普通という、驚異の働きぶりをみせ、自らも昼夜の別なく働いていたエジソンさんも、さすがに舌を巻いたといいます。しかし、有能というのも諸刃の剣で、1882年には実用的な交流モーターを考案していたテスラさんは、事業を始めた手前、直流にしがみついているエジソンさんと根本的にそりがあわず、会社をやめてしまいます。なんでも、初期のエジソン式発電機を改良したいと申し出て、1年ほどかかって本当にやり遂げたのに、それが出来たら支払うといっていた約束の5万ドルを保古にされたそうで。エジソンさんに「アメリカンジョークがわかっていないね」と言われて怒り心頭! 妥協案も蹴散らし、自分から出て行きます。

独立して自分の会社を設立したものの倒産の憂き目にあい、肉体労働をして糊口をしのいでいたテスラさんでしたが、援助者が表れて、1887年4月、もう一度テスラ電気会社を設立します。交流に関する研究改良をして特許をどんどん取っていくうちに理解者が増え、権威ある「米国電気工学者協会」の講演に招かれるという幸運に恵まれます。

そこで歴史に残る名講義をして、一躍脚光をあびるようになったテスラさんに、どーんと手を差し伸べたのが、ジョージ・ウエスティングハウスさんでした。鉄道のエアブレーキを発明するなど、機械関連の技術者でありながら実業の才能もあったウエスティングハウスさんは、ヨーロッパから交流の発電機や変圧機を購入して、既に交流による電力事業を始めていたので、テスラさんの交流モーターは、まさに待ち望んでいたものだったわけですね。すぐに高額で特許を買い求め、ともに交流システムを広めよう! と盟友関係を築くのです。

 

ウエスティングハウスさん&エジソンさん(絵:梅原あき子)

 

それから約10年もの間、テスラ・ウエスティングハウス陣営と、エジソン・ゼネラルエレクトリック陣営との間に、交流か直流かで熾烈な論争(電流戦争といわれている)がおこります。エジソンさんは「交流は危険! 感電死する!」 などと、攻撃的で排他的なキャンペーンを行い、テスラさんは、電気は体内を通らなければ安全だとアピールするために、高周波の電気を体の表面に通してみせるなど派手なパフォーマンスをしたりしています。しかし、1893年のシカゴ万博の電力供給が交流方式に決まったこと、ナイアガラの滝につくる発電所の電力事業も、ウエスティングハウス社が担うと決まったことが決定的となり、交流システムがスタンダードとして、広く世界に広まることになりました。

シカゴ万博というのは、世界の人々に電気照明のすばらしさを見せる、またとないチャンスで、テスラさんはここでも講演というか、電気ショーを披露したそうです。ショーマン、エンターティナーとしての才能もあったんですね。本当に多彩で多才。

テスラさんは「原子力は無益か、さもなくば非常に危険で制御不能」」と主張していたそうです。エジソンもそうですが、この頃の科学者はみな、多かれ少なかれX線の研究で長時間放射能をあびて、体をおかしくした経験があるし、空中から自由にエネルギーを取り出せる時代がくるだろうと確信していた彼にとっては、ちっとも新しい技術に見えなかったのかもしれません。

それにしても、テスラさんが考えていたように、無線で電力を送れるようになったらすごいですよね。ハードルは高いけれど、かなりわくわくさせられる計画です。でも、凡庸な頭脳をもって生まれた私たちは、まずその前に、今よりも少ない電力で、楽に暮らしていけるしくみを創るのが先でしょうか。

それでは、また。

次回は、少し時代を遡ってイギリスに飛びますよ。

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この記事を書いた人
梅原昭子コミュニティデザイン事業部マネージャー/ライター
引き算の編集が好きです。できないこと、やりたくないことが多過ぎて消去法で生きています。徒歩半径2キロ圏内くらいでほぼ満ち足りる暮らしへの憧れと、地球上の面白い所どこでもぶらりと行ける軽さとに憧れます。人間よりも植物や動物など異種から好かれる方が格上と思っている節があります。
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