琥珀の子 電気のおはなし第10話
今回は「電波」のお話です。前回、電気と磁気の世界の深い関係にふれましたが、自然界のエネルギーは、元は一つなのではないか、電気と光もおなじものなのではないか? というファラデーさんの問いは、国を超えて引き継がれ、電磁波(電波)の発見と、無線通信の成功につながりました。今日は、無線やラジオ放送の普及に貢献したマルコーニさんの仕事をご紹介しながら、電気の「波」としての性質を探ってみたいと思います
それでは電気をめぐる時空の旅に出掛けましょう♪(絵:梅原あき子)

先ほど電磁波(電波)と書きましたが、現在では、電波というのは電磁波の一部とされています。同じものでもその状態(周波数の違い)によって呼び名が分けられているだけで、ラジオの短波、とか、赤外線、目に見える光、紫外線、X線、放射線も、全部電磁波なんですね。

周波数にヘルツ(Hz)という単位を使うのは、電磁波の存在を発見したのがドイツで物理学の研究をしていたヘルツさんだったからです。無線通信には送信する側と受信する側の装置の両方が必要なのですが、ヘルツさんは、リング状の受信器を使って飛んでいる電磁波を受信することに初めて成功したのです。それは1888年のことでした。彼は、電磁波がいろいろな物質中を伝わることや、光と同じ速度で伝わったり、反射したり、屈折したりする性質をもっていることを実証していきます。

それよりさらに前のこと、1873年に、イギリス(スコットランド)のマックスウエルさんという科学者が、ファラデーさんの研究成果を数式で表して完成させるという偉業を成し遂げていました。マックスウエルさんの方程式は、電界と磁界の相互作用を表したもので、両者の間には継続的に「振動」が発生していることを示しています。その振動が電磁波で、電磁波の放射される速度は光の速度とほぼ同じだと予測できるのです。電磁界によってつくられる「波」=「光」であることを理論づけたものだったんですね。

このマックスウエルさんの方程式による「電磁気論」は発表当時、難解すぎて理解出来る人がほとんどいなかったのですが、ヘルツさんが、この理論を実証してみせたことから注目されるようになりました。ヘルツさん自身は自分の発見にさほど驚くこともなく、マックスウエルさんの理論が正しかったことを証明しただけで、特に意味のないことだと考えていたそうです。残念ながら、マックスウエルさんはこのころ既に亡くなっていましたし、ヘルツさんはヘルツさんで、何か全く違う次元の夢を追っていたのでしょうか。人の価値観って面白いものですね。

1894年1月、ヘルツさんが37歳目前という若さで亡くなった後、彼の実験が特集された雑誌を熱心に読み興奮している若者がいました。それが、マルコーニさんです。

 

マルコーニさん

 

マルコーニさんは1874年、イタリアのボローニャに生まれました。裕福な家のおぼっちゃまで、学校には行かず、有名な学者に家庭教師に来てもらうという、かなり恵まれた教育環境で育ったようですね。少年の頃から科学に興味を持ち、10代後半には電気の世界へ進むぞ、と考えていたようです。

20歳になって、ヘルツさんの研究を知ったマルコーニ青年は、電波が空中を伝わるなら、これを無線通信に利用できないかと閃き、すぐに実験を開始します。試行錯誤の末、自宅の3階の発振器から地下室のベルを鳴らす実験に成功。その後アンテナを工夫して、徐々に電波を飛ばす距離をのばし、野外で2km以上離れた場所まで、無線でモールス符号を送ることに成功しました。ご存知かとは思いますが、モールス符号というのは、「・(トン)」と「ー(ツー)」という、電気の鍵盤を押す長さが短いものと長いものを組み合わせて、アルファベットや数字などを表す通信用の記号です。

さて、自宅実験で自信を得たマルコーニさんは早速無線通信を事業化しようとしますが、故国イタリアでは支援を得られなかったため、1896年イギリスへ飛び特許をとります。無事資金援助を得て、翌年の7月にはロンドンに無線電信会社を設立。機器類の製造と公開実験に意欲を燃やします。1898年にはマルコーニ無線電信会社を設立して、いよいよ無線事業に乗り出し、翌年3月には、ドーバー海峡を横断するイギリスーフランス間での国際無線通信に成功。イギリス海軍にその技術が採用されました(こうやってイギリスは世界の海を制覇していくわけですね!)。

1901年12月12日には、イギリスはコーンウォールのボルデューから送信した信号を、カナダはニューファンドランド島のシグナルヒルで受信するという、3500kmを超える大西洋横断無線電信にも成功。この実験は嵐でアンテナが倒されるなど、もうトラブル続きで、受信までに日数がかかり、しかも極寒の時期だったので、マルコーニはじめ作業員みな必死! という大変なプロジェクトだったとか。技術的な説明や資料が不足しているため、本当に成功したのかやや疑わしいという指摘もあるようですが、何かが奇跡的になされるタイミングってありますしね。この時、弱冠27歳、元々はけっこう内気だというマルコーニさんは、この実験に関わる人々を奮い立たせるに足る真摯な働きぶり、リーダーっぷりを発揮したそうで、「新紀元が開かれた!」と、この若者の快挙にマスコミも大いに沸き立ちました。

 

大西洋横断無線実験は大変

 

1902年以降も、次々に無線通信実験を成功させ、各国に無線局を開設して勢いづくマルコーニさん。1909年には“無線通信の発達に対する貢献”によりノーベル物理学賞を受賞して世界的名声をも手にします。ちなみに、イタリア人初の受賞者ですからヒーローですよね。彼の名はボローニャ空港の通称になったり、街道の名前になって今に残り、庶民に親しまれています。

しかし、当時の一般の人々に、無線通信の意味や有用性が伝わったのは、1912年4月14日、タイタニック号の遭難、沈没事故によってでした。タイタニック号からSOSを発信したのはマルコーニ社の無線で、それを受信した船が救援に向かったおかげで助かった命がありました。約2200人の乗客のうち1500人以上が亡くなるという大惨事でしたから、船舶界への影響は大きく、それまではまだまだ珍しい高級品扱いだった無線機が、航海安全のために標準装備され、広く普及することになったのです。それから後は第一次世界大戦、第二次世界大戦……と、戦争にもかなり役立ってしまったわけですが。情報戦というのは今後もさらに激しくなっていくのでしょうが、今後は「決して争わないために」役立てたいものです!

電信技術の発達にはさまざまな発明が必要で、電磁波を検出する、つまり受信する装置であるコヒーラという装置や、アンテナの改良、送受信する電気信号を増幅できる真空管の登場によって、通信精度が向上しました。マルコーニさんはそうした技術をうまく組み合わせて応用する能力に長けていたようですね。純粋な科学者、発明家というよりは、技術者でかなりの実利主義。

そのため、発明においては、テスラさん他から特許侵害だと訴えられて敗訴もしていますが、事業に関わる彼なりの努力を怠ることはありませんでした。数々の経営危機、家族の崩壊危機、また、事故による右目失明を乗り越え、各国を移動しながら、時代を読み、したたかに生きた人。1922年にはイギリス初のラジオ放送も開始して、英国放送協会(BBC)の設立にも関わったし、1933年、世界旅行の際に日本にも立ち寄っているし、なんだか現代人よりずっとグローバルな感じ! 「いずれは心を直接やりとりできるでしょう」と、今日の携帯、スマホ文化を予言するような言葉も残しています。

でも……、電波上での心のやりとり……に夢中になるあまり、身体を忘れていませんか? 心そのものがどこか頼りなくなっていませんか? ……と言いたくなる今日この頃。無線の恩恵に浴しつつ、やっぱり、たまには電源を切ってオフラインを楽しむ余裕が欲しいかなぁ、と思います。マルコーニさんが亡くなった際に、世界中の無線局が2分間沈黙して追悼の意を表したそうですが、それにならって仲間内で合わせてこの日はオフにしよう! と決めるのもいいかもしれませんね。

それではまた!

次回は再び通信に関するお話になりそうです。

梅原 昭子
この記事を書いた人
梅原昭子理事/事務局長/ライター
引き算の編集が好きです。できないこと、やりたくないことが多過ぎて消去法で生きています。徒歩半径2キロ圏内くらいでほぼ満ち足りる暮らしへの憧れと、地球上の面白い所どこでもぶらりと行ける軽さとに憧れます。人間よりも植物や動物など異種から好かれる方が格上と思っている節があります。
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