琥珀の子 -電気のおはなし番外編- 「風車のおはなし」
夏におこなった風車づくり講座の際に、ついつい調べてしまった風車にまつわる人々。これがまたとても魅力的! ということで電気のおはなしシリーズの番外編。風車のおはなしを秋風とともにお届けしたいと思います(文・絵/梅原昭子)。

風車はもともと小麦など穀物を挽いたり、木材を製材したり、地下水を汲み上げる仕事に使われていました。頼りになる働き手、助っ人であり、一つの国に何万台というレベルで広がる、暮らしに欠かせない道具でした。

 

風の力を動力に利用するという発想は大変古くからあって、紀元前3000年頃には脱穀や粉挽きに使われていたと考えられています。紀元1世紀には、ワットさんの蒸気の話のところで出てきたヘロンさんが「風で鳴らすオルガン」を考えだしています。

 

また、風車というと世界遺産にもなっているオランダの風景が思い浮かびますが、あのタイプの「オランダ型風車」が作られるようになったのは比較的新しい1400年代のこと。木枠に布を張った大きな4枚の羽が特徴です。

 

オランダ型風車と現在のプロペラ型風力発電のしくみ

 

オランダのライデン市にある風車博物館では、今でも現役の風車の中に入れるそうです。オランダ型の風車は羽が巨大なので、それを支える支柱である塔の部分も7階建てくらいの大きな建物なんですね。かつては粉屋さんが「風車守」として住む住居兼仕事場だったと聞くと、色々と想像が膨らみます。

 

電化によって失われた職業や住まいって、どこか魅力的でもあるので、「とある街角の粉屋家族の1日」なんて想像するだけでも楽しめます。

 

風車とヒトは長い月日を共にしただけに、風車は、地域別、仕事別に細かく分類出来るくらい種類豊富です。主なものでは、10世紀頃から地中海沿岸で使われていたセイルウイング型とか、19世紀アメリカで流行った多翼型風車など、「発電以前」から世界各地で盛んに風車づくりがおこなわれていました。

 

イスラム圏をはじめ、中国で多く使われたのは縦軸型の風車で、見た目は大きな石臼の中に回転ドアが設置されているような感じ。垂直型、ペルシャ型風車とも呼ばれ、その形は「発電以後」の現在、クロスフロー型、サポニウス型などに引き継がれています。その他、ダリウス型、ジャイロミル型……等、プロペラ羽のないものも増えているんですねえ。

 

風車いろいろ

 

日本ではあまりなじみがないと思っていましたが、1900年代から1950年代くらいにかけてはちょっとした風車ブームがあったことも分かりました。中でも日本人作の「山田風車」は、ワタクシをはじめ非電化な暮らしを好む人々の間で今後ふたたび注目されるかもしれません!

 

大正7年、北海道の名寄(なよろ)生まれの山田基博さんは、小学5年生のときに風車を作ってしまったそうです。エゾマツを翼にしたプロベラ型の小型風車は、戦前に200台くらい普及しラジオや電灯の電源として使われました。戦後、昭和30年台には道内だけでも数千機の風車があったとも言われています。発電量は200kWから300kWほど。小型ながら風力や風の向きに応じて羽の動きを変化させるなど、精密さとともに頑丈さにおいても優れたもので、昭和、平成になってからも様々な形の風車を作り続けたようです。

 

山田さんと山田風車

 

ところで、風車を発電のために使う道を開き「風力発電の父」と呼ばれているのは、デンマークのポール・ラ・クール博士です。

 

オランダ型風車を元に1881年に最初の風力発電機をつくりました。

 

ラ・クールさんは、物理学や気象学の教授でしたが、地位が保障されたアカデミックな研究ではなく、アスコーに出来た「フォルケホイスコーレ」というデンマーク特有の市民大学とでも言ったら良いのでしょうか、生活のための学校、開かれた教育の場で、風車の研究と民衆の啓蒙活動を続けた方です。1864年、ドイツとの戦争の敗戦による非常に厳しい困窮の時代背景もあり、デンマークという小さな資源のない国で知性と精神がぐっと凝縮していったのでしょうか。

 

この時代、ラ・クールさんだけでなく様々な国の研究者が風力発電に挑んでいますが、農家の自立と風力発電を結びつけて広めようとしたことが、ラ・クール博士が「風力発電の父」たる所以です。

 

彼は国から補助金を得て、オランダ型風車の羽の改良と、一定の電力を得られるよう回転数や風圧を調整する装置を考えだして製品化します。また発電した電気を利用するのに、高価な蓄電池の代わりになんと! 最近日本でも話題になっている水素を利用する照明装置を導入したりもしています。今から100年以上前、1895年からの7年間、水素ガスを燃やして灯るランプがホイスコーレで使われていたとは驚きです。

 

ポール・ラ・クールさん

 

1900年代には市民による草の根の協同組合運動の高まりとともに、風力研究所は風力発電所となり、1903年10月28日、ラ・クールさんと21名の有志が、デンマーク風車発電会社(DVES)を立ち上げました。そのころ既に既存の風車は蒸気機関に取って代わられて役割を終えようとしていたのですが、小型風車や、風車発電が農民の政治的経済的地位を上げるものと信じたラ・クールさん。

 

熱心に風車普及を広めてまわり、亡くなる1908年までの5年間に、60の小さな発電所をつくり、ホイスコーレでは地域のための「電気技術者養成講座」もおこなって、地域分散型の社会の基盤づくりを粘り強く進めていったのでした。会社はのちに解散しますが、彼の指導で育った人々が長く地道に活動をつづけ、現在デンマークでは、国内の電力の20%が風力発電でまかなわれ、6,000機を超える風車の多くが協同組合型の個人所有で建てられています。なんだかもう建て尽くされたのではないか? と素人なりに心配してしまうのですが、デンマークでは今後、風力発電の割合を現在の約3割から2050年までに5割まであげていこうという目標もあるようです。

 

日本でも現在1,900機以上(総設備容量約271万kW、2013年度末実績、NEDO調べ)の発電用風車が建設されていますが、市民所有のものとなると割合は少ないのでややさみしいですね。生活者が発電所のオーナーになるという発想が日本でももっと広まるといいなと思います。また同時に、発電目的の風車だけでなく、製材、粉挽き用のものもちょっとずつ復活させられたら面白いなあとも思いました。

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この記事を書いた人
梅原昭子ライター
引き算の編集が好きです。できないこと、やりたくないことが多過ぎて消去法で生きています。徒歩半径2キロ圏内くらいでほぼ満ち足りる暮らしへの憧れと、地球上の面白い所どこでもぶらりと行ける軽さとに憧れます。人間よりも植物や動物など異種から好かれる方が格上と思っている節があります。
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