「戦後70年 平和について考えるバスツアー」に参加しました。
今年は戦後70年。毎日のようにさまざまなメディアで取り上げられています。そんな時に地域メディア『ひろたりあん通信』で、「戦後70年 平和について考えるバスツアー」を発見。これは参加したい! と、すぐに申し込みました。実は森ノオトエリア周辺に点在する戦争遺跡。身近な場所で戦争や平和について考えてきました。

このツアーを企画したのは市が尾の旅行会社「トラベルカイト」さん。実は、内容が重いために、企画段階でかなり迷ったそうです。けれども、平和について考え直してもらう機会になればと今回のツアーが実現しました。

ではまず、今回のツアーで訪問した施設をご紹介します。

(1) こどもの国(横浜市青葉区)

(2) 明治大学生田キャンパス(川崎市多摩区)

(3) 明治大学平和教育登戸研究所資料館(明治大学生田キャンパス内)

(4) 東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊地下壕跡(川崎市高津区)

(5) 川崎市平和館(川崎市中原区)

今回巡った施設は、森ノオトエリア内、もしくはその近くにあります。そう、戦争の爪痕は、実はわたしたちの生活の身近にあるのです。

天皇・皇后両陛下のご結婚を記念して1965年に開園した「こどもの国」は今年50周年を迎えました。青葉区出身のリポーター小池は、こどもの頃は毎年、夏はプール、冬はスケートにと、何度通ったかわかりません。ツアーで訪れた日もたくさんのこどもたちが来園していました。その風景は平和そのもの。

 

遠足で来園した、大勢のこどもたちでにぎわうこどもの国

 

園内には、がけや土手沿いに緑の鉄扉があります。こどもの国に行ったことがある人ならきっと目にしたことがあるでしょう。これは第2次大戦中に使われていた弾薬庫の名残りです。

こどもの頃は、小上がりになっているところが舞台のようで好んで登っていた。まさか弾薬庫の入り口だったなんて、今回訪問するまで知らずにいた

 

今回特別に、弾薬庫の内部を見学させてもらった

 

実はこどもの国の土地は戦時中、旧陸軍の東京陸軍兵器補給廠(しょう)田奈部隊・同填薬所として使われ、対戦車砲、手榴弾、高射砲、野戦重砲などの砲弾が製造されていました。

当時の施設内の写真を、こどもの国の職員の方に、説明を受けながら見せてもらいました。すると、こどもの国の入口正面に広がる中央広場は、弾薬を全国に輸送するための鉄道引込み線の駅だったこともわかりました。

正面入り口には、「平和を祈る」と書かれた碑があります。これは、戦争を再び起こしてはならない、平和な世界の中でこどもたちが育つよう祈りをこめて建てられたものです。

まさに、こどもの国を象徴している碑といえます。

続いて一行は明治大学生田キャンパスへ。

明治大学生田キャンパスは、旧日本陸軍によって開設された「登戸研究所」があった場所です。登戸研究所では、秘密戦兵器・資材について研究・開発をしていたのですが、研究・開発内容を決して他に知られてはいけなかったといいます。

キャンパス内には、弾薬庫、陸軍のマークがついた消火栓、実験動物の霊を慰める動物慰霊碑など、登戸研究所の面影を残す史跡が残っています。

 

陸軍の☆マークがついた消火栓。化学兵器の開発・製造にともなう火災を想定されていたことが伺える重要な遺跡

 

「明治大学平和教育登戸研究所資料館」は、旧登戸研究所の研究施設だった建物をそのまま保存・活用し、資料館として開放しています。こうした事例は全国でも唯一だそうです。

この資料館では、戦争遺跡である登戸研究所でおこわれていた事柄を記録にとどめ、戦中の日本軍による諸活動の一端を、戦争を知らないわたしたち、そして後世に語り継いでいます。

 

「明治大学平和教育登戸研究所資料館」の外観

 

登戸研究所には、秘密中の秘密として、偽札の印刷工場もありました。館内では、偽札製造の活動を紹介するとともに、実際に印刷され偽造法幣も展示してありました。

語弊があるかもしれませんが、戦争の裏側ともいえる暗部について、冷静に説明された展示を見学していると、これまで自分は、日本を敗戦国としての“色眼鏡”で見ていたのかもしれない……と感じました。つまり、戦争は、二度と繰り返して欲しくないということです。

資料館の名前のなかに「平和教育」とあることに、とても深い思いを感じてしまいました。

ツアー参加者からも、資料館を見学した感想を伺いました。

「話には聞いていたけれど、あの時代、いったい何が行われていたのかを、今日この目で実際に見て、改めて戦争というものの恐ろしさを実感しました。戦争を語る上で、絶対に見ておかなければいけない施設だと思います。ネットやニュースでいろいろな意見が飛び交っていますけど、こういった事実を知らずして戦争を語るなかれ……ですね」

他にもツアー参加者には、実際に戦争を経験し、しかも明治大学を卒業している女性がいました。今回初めて資料館を訪問したそうです。いったいどんな思いでキャンパス内や資料館を見学していたのでしょうか。明治大学を後にして、次に向かったのは「東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊地下壕跡」。

 

「東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊地下壕跡」。上部に高層マンションがあるが、ここに戦争遺跡があることを知っている住民はどれくらいいるのだろうか

 

周りは畑。上部には高層マンション。まさに知る人ぞ知る、戦争遺跡。中には入れませんが、今でも厚さ40cmのコンクリートで造られた地下壕が存在しています。この地下壕では、世界の情報を傍受し、日吉の連合艦隊司令部へ地下ケーブルで伝えていたそうです。

次に訪れた川崎市平和館にこの地下壕の模型が展示されていました。

川崎市平和館は、川崎大空襲や、戦争に関する展示をはじめ、環境破壊、貧困、差別などについても、平和問題として展示をしています。

 

平和問題について包括的に理解できる施設

 

印象的だったのは「戦争、そしてもうひとつの戦争」という動画上映。

環境破壊は、平和を考えるうえでも、現代の私たちの生活のなかで重要視していかなければならないテーマのひとつです。

そして一行は全ての見学を終え、ツアー発着地である青葉区に戻りました。

わたしたちが幸せについて考えるとき、それぞれの立場や考え方などによって、その答えは様々だと思います。

ただ、今回ツアーに参加して、感じたこと。戦争のない、いまの時代を生きているわたしたちは、平和な生活を送っている、送らせてもらえている。それを改めて感じる1日となりました。

hitomi’s point

 ツアー参加中、とても印象的な言葉を耳にしました。「70年後は何が残っているのかしら」と。戦後70年を迎え、戦争を知らない者だけの社会が訪れるのも遠い未来ではありません。そして、70年後の戦後140年には、今日本にある戦争遺跡や、日本社会はどのようになっているのでしょうか。本文でも触れた、こどもの国の碑に込められている“戦争を再び起こしてはならない、平和な世界の中でこどもたちが育つ”社会があることを願うばかりです。

小池 一美
この記事を書いた人
小池一美ライター
横浜市青葉区出身。森ノオトのリポーター、走る!ロコキッチン「コマデリ」、焼き菓子販売「トミーヤミー」の3本柱で地元と関わりながら暮らしている。AGRUの小川穣さんとのユニット「labo2(ラボラボ)」では、食の素材と地域を楽しむ活動を展開中。
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