百聞は一見に如かず!横浜の南の里山「瀬上沢」を歩いて
「自然との共生」「里山」への憧れと共に、身近な自然は常に、開発の問題と隣り合わせです。この度、森ノオトの企画「おでかけローカルメディア・瀬上沢遠足」に参加して、自分が暮らしているまちの少し前の姿、そして子どもたちに渡したい未来の姿をぜひ森ノオトの読者の方と一緒に考えてみたいと思いました。

雨続きの10月が過ぎて、ようやく晴れが続いた11月の初旬、森ノオトで「おでかけローカルメディア・瀬上沢遠足」という企画があり、誰か取材で同行しませんか?という案内がありました。「瀬上沢……」横浜市民歴30年の私ですが、このときまでその地を知りませんでした。「瀬上沢は、横浜市内でも貴重な自然の残るエリアですが、その一方で開発計画が進められています。パダゴニアをはじめとする企業や市民団体による署名活動も実施されていて、話題に上ることの多い、瀬上沢エリアをぜひ一緒に歩いてみませんか?」というメッセージが添えられていました。

横浜最後の大自然とも言われている瀬上沢。市民の森側からの撮影(写真:北原まどか)

私は青葉区に住み、青葉区の里山・寺家ふるさと村を子どもと散策することが楽しみです。尾根道を歩いていくと古墳があったり、切り通しのような道を越えるとお隣の町田市三輪町の美しい農家や畑の景色に行き当たったり。ふるさと村の里山の景色や四季折々の姿に飽きることがありません。

そんな日常や子どもと自然を歩くことへの興味もあり、「秋晴れの中、横浜市に残されている貴重な大自然をガイドしてもらい、ぜひ味わってみたい!そして今度子どもを連れてぜひ行けるようになりたい」と、ほとんど迷いもなく参加に手を挙げました。

程なく、森ノオト編集長・北原まどかさんからメッセージと共にずらっと挙げられた参考リンクの数々が届きました。
瀬上沢の自然を守ろうというアクションや、瀬上の森を守る基金などのホームページまでは「ふむふむ」と目を通していましたが、横浜市都市計画審議会の資料、国土交通省の「市街化調整区域の開発許可制度の運用弾力化について」のリンクなど、私にとってはやや大仰に思える単語が並ぶ参考リンクが連なります。私が普段歩いている寺家ふるさと村の自然とは一味違う「開発問題の渦中にある自然」への遠足なのだなあと、若干の緊張を覚えつつ当日を迎えました。

遠足当日の11月7日は見事な秋晴れ、森ノオトの仲間の車で横浜市南部の栄区を目指しました。赤ちゃんの泣き声も入り混じる1時間強のドライブを経て、集合場所の瀬上沢に隣接する県立栄高校前に到着すると、すでに様々なローカルメディアの方がハイキング姿で集まっていました。

配られたリーフレットに目を通していると、今日の案内をしてくれる認定NPO法人ホタルのふるさと瀬上沢基金の理事長、角田東一さんがにこやかに登場しました。角田さんのNPOでは、瀬上沢地区の緑地を取得・借用し、保全・維持管理をするために寄付を集め、その基金をもとに自然環境保護活動の普及啓発を進めようとしています。
リーフレットに描かれた瀬上沢の地図を見ながら今日歩くところを紹介してもらいます。右上の雲間に富士山、中央奥に鎌倉、江ノ島、真ん中に通る道路の右側、左側には田んぼに池、水車や養蜂をしている風景、動物や野鳥、昆虫や草花、そして人のいる豊かな谷戸が描かれています。
このとき私は、これからこの絵のままの谷戸の中を歩くのだと少し勘違いをしていました。けれどそこに描かれている地図は、今日出会う瀬上沢の風景ではなく、「未来の瀬上沢」の図でした。

「SEGAMIむかしみらい図」には、市道「舞岡上郷線」をはさんで南北にわかれた上郷エリアの地図が描かれている。この絵は「今後、こうあってほしい」という瀬上のイメージだ

地図を手に、角田さんの「この瀬上沢は、自然はもちろんですが、歴史的にも、地学的にもとても貴重な場所で、そこを守ることで子どもたちへ“自然や歴史、地学への興味の扉”を残したい」という言葉を聞いて、一行はいよいよ瀬上沢へと歩き出しました。

約30年前に開発に先駆けてつくられたという栄高校前の市道「舞岡上郷線」の脇から小さな階段を降りていくと、一瞬にして景色は深い自然に変わり、参加者の歓声が挙がりました。

「ここは『谷戸』と呼ばれる場所です。『谷戸』はこのように三方(両側、後背)に丘陵の台地があり一方がひらけている場所で、樹林地を抱えています。山から水が流れ込むことで、湿地、湧水、水路、水田等の農耕地、ため池などがある場所です」と立ち止まって角田さんが説明します。

角田さんは、この瀬上沢エリアが故郷であり、今も地元。ここがかつて田んぼだったこと、むじなやいたちもたくさんいて、小川や池が泳げた頃の姿、そして変わっていく姿を見てきた

その後、道路の下につくられた鉄骨がむき出しのトンネルを通り、道路の反対側へ向かいました。そちらは開発予定地になっています。

トンネルを抜けるとさらに下へ降りていく階段が続きます。ここがとても深い谷戸であることを実感します。階段の手前には赤い実が花のように開いて実っていました。角田さんが「まゆみという木だよ」と言うのを聞いて、「いつか読んだ宮沢賢治の小説で読んで以来気になっていた“まゆみ”の実がこれなんだ!」と私は見とれてしまいました。

宮沢賢治の『なめとこ山の熊』という小説の中に、

「水は真っ青に淵になったり硝子板をしいたように凍ったりつららが何本も何本もじゅずのようになってかかったりしてその両岸からは赤と黄いろのまゆみの実が花が咲いたようにのぞいたりしていた」

という、雪山をマタギが歩いていく風景の描写があります。平成の横浜の山で見るまゆみの美しさも、昔、賢治が岩手の山で見たまゆみの感動も変わりないのだなと余韻に浸りながら道を下っていきました。階段はすぐに途切れ、草の生えたぬかるんだ道になりました。

「名前もかわいいけれど、実もかわいい!」と写真を撮る人も

谷戸の下へ降りると工事現場にあるようなフェンスや「危険」「立ち入り禁止」「これより管理地につき関係者以外無断で立ち入ることを禁じます」と書かれた看板があちらこちらに立っていました。

見上げると、森を北西と南東に分ける舞岡上郷線を車が行き交っています。

「ここは僕が子どもの頃はもちろん、昭和50年ごろまでは田んぼでした」。木が鬱蒼と茂る谷底を見渡しながら角田さんは続けます。「それも“底なしの田んぼ”で、作業するときは木を田に入れてそこに乗って作業をしていました。けれど開発予定地となってから人の手が入らなくなり、道路ができて約30年(1990年開通)、徐々にこちら側の生き物は消えていきましたね。大きな緑地とつながっていないと自然はあっという間に劣化してしまいます。瀬上沢はもともと三浦半島の先からずっと緑が連なり、昔はそのまま多摩丘陵までつながっていたんですよ。また、この森の中には江戸へ向かう近道とされた“江戸道”がまだ残っています。湧き水もあります」(角田さん)

先ほど道路の反対側から眺めた景色とはまるで印象が違っていた谷の景色(写真:北原まどか)

 

ここで、瀬上沢をめぐる動きについて、簡単におさらいします。

瀬上沢はJR根岸線港南台駅から800メートルほどの横浜市栄区上郷町にあります。2007年に開発事業者(東急建設)が上郷町の緑地31.9ha(ヘクタール)の開発案を計画し、横浜市に提出しました。2008年には反対署名が9万2000筆集まり、横浜市は開発提案を認めませんでした。2014年に再び「上郷・瀬上沢地区の開発計画」案が提出され、市はそれを「バランスがとれた提案」として開発を認める方針を打ち出しました。
市街化調整区域の31.9haのうち、舞岡上郷線に隣接した約30%を市街化区域とし、北西部には住戸や生活利便施設(商業施設や医療施設など)を建設、南東部を公園やコミュニティ施設とし、瀬上市民の森に隣接した一部区域を「特別緑地保全地区」にして公園部分を増やすという計画です。市はこれに対して、舞岡上郷線の南東部は市街化調整区域として周囲一帯の緑地への玄関口にすべきと計画の変更を求め、約12.5haを「(仮称)上郷町地区計画」として都市計画の変更を進めています。

これにより、市民団体も「開発反対」「現行案で容認」「賛成」と意見が割れ、それぞれの立場で瀬上沢に関わっています。そして今、角田さんたち認定NPO法人ホタルのふるさと瀬上沢基金と、上郷・瀬上の自然を守る会の方々と、横浜市民の有志により発足した「横浜のみどりを未来につなぐ実行委員会」が立ち上がり、「上郷・瀬上沢地区の開発計画」案に対して、住民投票を通じて計画の是非を決定することを求める署名活動がおこなわれています。

そこからさらに斜面の道を登っていくと、通称“江戸道”がありました。その道の土の硬さは確かにここを多くの人が歩いて行ったことを物語っていました。江戸時代の人がこの道を足早に通り過ぎていく姿に思いを馳せます。

こちらの森は竹が多く木々が雑然としている印象。里山だった頃は人が薪として木を切り手入れされていたため、森には光が差し込み、ヤマユリなど様々な草花が咲いていたそう。「自然」と一口に言っても、それは様々な状態がある(写真:北原まどか)

この場所は今後、住宅へと開発される予定地です。ここに現代の最新の技術により地下深くまでに杭を打ち込み、土を盛って谷戸を埋め、住宅や商業施設を建てるとされているそうです。

そしてまた道路を越えて反対側(南東側)の瀬上沢へ向かいます。隣を歩いていた「横浜のみどりを未来につなぐ実行委員会」の栗田沙耶さんと話をしました。20代の彼女は今日の集合場所だった栄高校(当時:上郷高校)の出身で、高校時代は毎年仲間とこの瀬上沢の山から出発して4、5時間歩き、鎌倉まで除夜の鐘をつきに行っていたとのことです。「子どもの頃から数え切れない思い出を育んでくれた瀬上沢の自然を、こうして今自分が『守る』という立場で関わるとは不思議な縁です」と話してくれました。

昭和9年に建立された道路改修記念の碑。瀬上沢の入り口に立っているこの碑には、当時の住民がお金を出し合って道路を維持してきたことが刻まれている。自助共助で守られてきた瀬上沢の大切な歴史を物語る(写真:船本由佳)

瀬上市民の森に向かう道中、角田さんは道路の方を見上げて、
「この丘には縄文人が住んでいました。今でも、畑や道端を掘ると縄文土器が発見されます。7〜9世紀には製鉄が行われていた遺構が発見され、ここが大規模な古代製鉄遺跡であることがわかりました。今、その遺跡は道路の下と、山の中にあります。製鉄遺跡の向かいの山には渡来人の墓と思われるものがあります。きっと製鉄の技術を彼らがこの土地にもたらしたのでしょう。ここは江の島の方から南南西の風が吹いてくる、風が強い場所です。その風を製鉄に利用したのでしょう。木の傾き方に法則性があるでしょう? 風向きがわかりますね」と語ります。
それにしても、縄文時代、奈良、平安時代、そして、江の島の方から吹いてくる風?!
角田さんのお話を聞いていると、たった数10メートル歩く間に、壮大な時代や空間を行き来している感覚になります。

そして山の斜面、さらに驚く遺跡を角田さんが指し示します。
「そこにある貝の埋まっている地層は160万年前のものです。これだけの貝がいたことから、当時ここが深海でメタンガスが出ていたと推測されます。これだけ古い地層がみられるのは、世界中でもとても珍しいと言われています」

江戸時代につくられた横堰とトンネル。川の水を田んぼに引くためのもので1960年代まで使われていた(写真:北原まどか)

自然にできた遺跡のすぐそばには、稲作で使うためにつくられた江戸時代の人工の堰とトンネルがあったりと、めくるめく貴重な遺跡を眺めながら歩いていきます。

途中道の脇には頑丈な柵があり「このエリア20haの緑地を保全する計画です」「生物多様性の谷戸を残す計画です」という先ほどの住宅地開発を進める企業の看板が掲げられていました。

ふと風が森林の香りを濃くして吹いてきました。その香りは、さまざまな状況を見聞きして少し重たく感じられてきた身体が一気に軽くなるような爽快なものでした。見るとそこに、「瀬上沢市民の森」という看板と地図がそこに立っていました。

市民の森を歩きながら、「横浜のみどりを未来につなぐ実行委員会」の鶴巻拓さんと安田晃浩さんと「現在、国土交通省が市街化調整区域の開発を弾力的にする動きがある」という話になりました。まどか編集長が先日参考にと送ってくれた資料の中にもあった話です。
「市街化調整区域は私の暮らす青葉区にもいくつかあります……」
「開発される地元の人の声を聞いてから、開発の是非を考えてほしいと思って、僕たちは今、横浜市で住民投票の実施を実現させたいという署名活動をしています」
「地元の人の声と市政とのギャップ、それはきっと近い将来、様々な場所で起こり得る事態ということですね」
……歩きながら目の前の自然以外の話にもなっていきます。

やがて森の入り口にある広場に出ました。
ここで解散するチームと、お弁当を食べて、いよいよ瀬上市民の森の奥へ入っていくチームに分かれます。私は子どもの帰宅時間があるので、ここで解散です。

夏は蛍が飛び交うという沢を来年は子どもたちと歩きたい

ここまでのところで参加者がそれぞれ感想を話します。
参加者はメディアの人たちが中心ということで、それぞれの感想には、すでに、今見てきたこと、角田さんにガイドしてもらったことを自分はどうやって発信するべきかという整理と葛藤が始まっていることがにじみ出ていて、圧倒されました。
私は自然の中を歩き、角田さんのガイドで様々な遺跡に触れてきた高揚した面持ちとともに、開発問題を目の当たりにした複雑な心境の中で感想を述べました。

角田さんはみんなの感想を聞いて、
「どうしてこの瀬上沢の自然が大事なのか、それはここに実際に来てもらって、見てもらうことで伝わるし、分かってもらえると思います。どうぞ、またみなさんここへ来てください」
と力を込めて話しました。

今回私は、この瀬上沢の一部を歩いただけです。けれど角田さんのガイドのおかげで、この2時間の中で、瀬上沢の貴重な遺跡や、地形、今は見られなくなった動植物について、知ることができました。そして何より思ったのは、時間は過去から未来へとつながり、大地もまたつながっているということです。
瀬上沢は横浜の栄区の中で「残された森」ですが、そう遠くない「かつて」、森は一つではなかった。変わっていくことと変わらないこと、その狭間で「今」を暮らしている私たちが起こす様々な変化は、今だけにとどまるものではなく確実に未来へと渡されていくものであるという現実を知りました。

午後の部の「遠足」は、瀬上市民の森一帯を歩いたそう。こちらは「楽しいハイキングだった」と、まどか編集長(写真:北原まどか)

まどか編集長からは、今回のレポートについて「森ノオトはローカルメディアの一つではあるけれども、ジャーナリズムを追求するよりも、さとちゃんが何を見て感じたのか、生活者の視点で瀬上沢を書いてほしい」と言われました。まどか編集長は瀬上沢についてこれまでに様々な人にヒアリングしてきたそうですが、友人のジャーナリストが大手週刊誌で瀬上沢について書くなかで、同じことを森ノオトでやる必要はない、と感じているそうです。
「横浜でニュースになっている場所に行って、その場で活動する人の言葉を聞いて、自分の中に生じた心の揺れや変化を、率直に表現してほしい。それが等身大の市民目線だから」との言葉に背中を押され、このレポートを書き始めることが出来ました。

帰りは国道16号線を通り、青葉区に戻って来ました。車窓から眺める私にとっては馴染みの、坂の多い青葉区の街……。この起伏は、かつて山や川の姿をしていたのだなと、見たことのない、そして見ることのできない数十年前のこの土地の姿を思いました。
開発するべきか否か、その地に住んでいる人にしか分からないこともあるのだろうとも思います。けれど同じ横浜市民として、そして自分も開発された街に住みながら、地元の里山「寺家ふるさと村」の景色を子どもたちに、そのまた子どもたちに残し続けていきたいと思っている者として、今回見てきた瀬上沢の開発問題は決して他人事とは思いえないものです。

瀬上沢の開発問題は、ただその自然を残すか残さないかというだけでなく、今日本全体が直面している、人口減少や少子高齢化、環境問題など、さまざまな課題が集約されているーー。そのことを「知る」ことの入り口に、今回の「おでかけローカルメディア・瀬上沢遠足」をきっかけにして、立ったように思います。

Information

「横浜のみどりを未来につなぐ実行委員会」Live Green Yokohama

http://livegreenyokohama.com

認定NPO法人ホタルのふるさと瀬上沢基金

http://www.segamikikin.org

「横浜のみどりを未来につなぐ実行委員会」では、20171210日(日)まで、今後の横浜での緑地開発の是非を問う「住民投票」条例の制定を求めて、横浜市内で署名活動をおこなっています。

南部 聡子
この記事を書いた人
南部聡子ライター
富士山麓、朝霧高原で生まれ、横浜市青葉区で育つ。劇場と古典文学に憧れ、役者と高校教師の二足の草鞋を経て、高校生の感性に痺れ教師に。退職後、地域に根ざして暮らす楽しさ、四季折々の寺家のふるさと村の風景を子どもと歩く時間に魅了されている。森ノオト屈指の書き手で、精力的に取材を展開。
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