つながるローカルメディア(2) 美味しいものが町の誇りに〜神奈川県西部『海の近く』塩谷卓也さん
つながるローカルメディア。今回は神奈川県西部で発行されている海辺の暮らしを楽しむフリーマガジン『海の近く』です。とにかく美味しそうな料理や個性的なお店が紹介されているこの冊子、きっと美味しいもの好きな人がつくっているのに違いないと思って訪ねました。

ときめきのある飲食店ガイド

「羽ばたく焼き鳥ナイト」「スパイスのない人生なんて」「誘惑のチャーハン」「チーズパンがとまらない」「アジアにひとっ飛び」。県西部で月に一回発行されているフリーペーパー『海の近く』の特集タイトルです。神奈川県西部地域の飲食店を取材し、その店の雰囲気、料理人の素顔、料理の見た目や味をまるでミニドキュメンタリー番組のように伝えてくれる紙面。オイスターやイタリア料理、四川料理など、毎号思わず唸ってしまう切り口で特集が組まれ、県西部に多様で豊かな飲食店があることに気づかされます。まるで読者もお店の中に連れて行ってもらっているかのような筆致、飲食店への取材経験の深さを感じさせる選び抜かれた表現には、情報の羅列に終始しがちな一般的な情報誌とは一線を画するものを感じます。

 

JR東海道線・大磯駅から徒歩数分の「海の近く(通称うみちか)」編集部に主宰の一人であるライターの塩谷卓也さんを訪ねました。

「うみちか」編集部はJR大磯駅から徒歩数分のところにある。発行部数は3万部(合併号は4万部)。“食”を中心に、人、住まい、ファッション、アート、カルチャー、レジャーなど、幅広い年齢層へ向けて、地元の魅力あふれる情報を届けている

まず食べて、美味しいと確信してから取材を申し込む

 

ーー「海の近く」はどんなメディアですか?

 

創刊3年のフリーペーパーです。『海の近く』というタイトルには、相模湾沿いの葉山・逗子から小田原、湯河原、箱根まで含めたイメージを持たせています。既存の雑誌で取り上げられてきた「湘南」「西湘」という言葉を使わずに、少し大きなくくりで海辺の暮らしをテーマにまずは美味しい食べものを紹介したいな、ゆくゆくはもっと暮らしのことをやっていきたいなと思って取り組んでいます。

 

取材はとことん紹介したいものに絞って行なっています。例えば、テーマを「サンドイッチ」と決めたら、まずは食べに行きます。名乗らないで必ず一回は食べるようにしています。一緒にやっているライターの北條尚子さんと僕、どちらかが美味しいと思ったら取材を申し込みます。ネットや他の人の評判をあてにせず、自分で確かめます。自分たちの美味しいと思う気持ちを大切に、その部分だけはブレないようにしています。

 

そして、まだ広く知られていないお店を紹介したいと思っています。人気店を取り上げる場合も、料理人の思いに深く切り込むなど、その店の「変態なところ」「いっちゃってるところ」を紹介していく。ほかの情報誌との違いはそういう部分です。無難にまとめずに、取材先の料理人とバトルするような気持ちで、負けないように書いていきたいと思っています。

「食べ物の紹介は30年以上やっているので得意分野です」と語る塩谷さん。これまでにアジアから南極まで地球のあちこち80カ国以上を旅してきた旅と食のライター。大磯農園や大磯市、カミイチ(かみふなかクラフト市)など西湘の「おもろいこと」にも関わる

ーー創刊経緯を教えてください。

 

僕はもともと旅行のガイドブックやルポルタージュ、食関連の取材を中心に東京の雑誌でライターとしてずっとやってきました。『海の近く』を一緒に創刊した北條さんも『an-an(アンアン)』などで執筆しています。

 

二人とも長年本業とは別に、地元エリアの食の情報を書く個人ブログをプライベートで運営していました。相模川を挟んで東西に、北條さんは茅ヶ崎エリアで、僕は西湘エリアで活動していて、それぞれに読者がいました。双方、書くと店にお客さんが増えるようなブログで、互いに存在を知り合う関係でした。

 

僕は昭和42年生まれで、紙媒体主流の時代に育ちました。紙を読むのも好きだし、手ざわりも好き、持ち歩いてカバンに入れておいて、好きな店のページの端っこを折ったり、アナログだけど紙の手ざわりが好きでした。いつかブログではなく紙でやってみたいと紙媒体に対する強い憧れがあり、それは北條さんも同じだったようです。

 

ブログの時代は終わってSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が主流の時代になりましたが、そのタイミングであえて、そろそろ紙をやりたいね、とフリーペーパーの創刊に動き出すことにしました。年をとってくるにつれて、「できれば地元で働きたい、自分たちにできることは書くことだから地元を面白くしていきたい」というのがありました。

最新号の8月号の特集は「牛の近く」。ちがさき牛、葉山牛、足柄牛と『海の近く』エリアは「牛の近く」エリアでもあるとして、牛肉料理の各名店はもちろん、国産牛を育てる茅ヶ崎の牧場も取材掲載している

 

美味しいものが東西の交流につながる

 

ーーメディアとしてのポリシーは?

 

鎌倉や江ノ島といった典型的な湘南エリアはこれまでにもたくさん紹介されているのに、西湘の方は日が当たっていなかったことに違和感を覚えていました。西湘には真面目で美味しいお店があるということをニュースとしてではなくて、ごく当たり前に紹介していきたいと思っています。

 

実際、僕たちの取材をきっかけに、葉山の人が大磯までご飯を食べに行く、湯河原の人が逗子に食べに行くという、東西の交流が生まれてきました。美味しいものというキーワードで人が動いたりお店が活性化しあって、地域が盛り上がっていったら面白いなと考えています。

 

たまたま僕も北條さんもほかのまちを見てきた経験があるからこそ、ぼくらにしか見えないローカルの魅力がわかります。そして内容はどこに持っていっても通用するレベルでありたいと心がけています。

 

ーーローカルで活動する醍醐味は?

 

とある小さなカレーのお店を取材しました。紹介してまもなくお客さんが30人きて初めて行列ができたんだそうです。美味しいお店を紹介することも、取材して話を聞くのも楽しい、反応も楽しい。基本的にはいいことだらけです。

 

特に、創刊以来3年間、西湘エリアのお店を日常的に紹介してきた結果、地域の皆さんが地元にプライドを持ってきてくれて、それが嬉しいです。日常的に自分のエリアのお店がメディアに載っていると、地元の人のまちに対する意識も少しずつ変わっていく部分があると思います。

 

読者アンケートで「意外にいいところに私たちは住んでいると気づいた」と書いていただいたことがあります。ローカルの人たちが地元に美味しいものをあるというのを知ることが地域への誇りにつながると感じています。

読み物として集め保存するファンが多いそう。バックナンバーは地元大磯市などでも有料で販売している。食の話だけでなく、地元で活動する作家を紹介する「海の近くでつくるひと」、ハンディキャップを持ったアーチストの作品を掲載する「クーカは宝の山!」のほか、「本の海へ漕ぎ出そう」「鵠沼シネマ日和」といった本や映画の紹介コーナー、石を立てるロックバランシングコーナーなどを展開

 

「うみちか」が地域を応援し、地域に「うみちか」が応援される

 

―—課題や困りごとはありますか?

 

フリーペーパーをやってみてお金のことが一番大変です。その問題がなくなったらもっと面白いものがつくれる自信があるんですけど(笑)。月刊なのですごく仕事量が多く、もともとは海外の取材をしていたのに、『海の近く』をやっているとタイに2週間とかいけなくなりますから、他の仕事も減り、自然に『海の近く』をメインにやるしかなくなってきたのが現状です。写真やデザインのようなプロの手に頼むものは支払いも必要です。

 

「うみちか」にはひと枠5400円で、お店の宣伝をするための「うみちかの輪」というページがあります。「うみちか」が大好きで1年間応援するよと言って掲載してくださっているお店も増えてきました。

 

初めての試みとして、10月にムックを作ることにしました。これまではフリーペーパーとしておよそ550の設置店に置かせてもらっていましたが、ムックはどうなるのか。価格を決めて、どう流通させるか、販売経費はどうするのかなど、これもやってみなくてはわかりません。

 

―—メディアとして叶えたい未来は?

 

うみちかエリアは東西に広いけれど、もともと料理人たちの交流が盛んで、お店の数が少ない分、東京や横浜よりもそういう動きが目立ちます。そこに「うみちか」を読んで、やっぱりおいしいもの最高! 食べること大好き! と思ってくれるような人たちが加わり、つくる人も食べる人もみんなであちこちで「美味しいもの」の話ばかりしていて、よそから「うみちかエリアのひとたちってほんとに食べ物のことしか考えてないよねー、変わってるよねー」と言われるくらいのローカルなうねりが生まれたらうれしいです。

 

そして地産の野菜や魚といった食材、それらを使ったオリジナル料理のレシピなどについて、スペインの美食のまち、サン・セバスチャン的な交流、情報交換を、料理人たちが今よりさらにしてくれたら、もっと楽しくて美味しいエリアになるのではないかと。

 

「うみちか」は、そんなうねりの中心にいたいというよりは、うねりが止まらないように毎月みんなの胃袋を刺激するような役割を果たしていければ、と思っています。

10月の「大磯うつわの日」は町内各地のお店や施設を会場として地元の作家が中心となり器を展示するイベント。うみちか編集部も展示会場の一つとして、編集部をオープンする

 

 

※この記事は、神奈川県の「かながわボランタリー活動推進基金21」の助成を受けて実施している「ローカルメディア事業」の連載企画として制作しています。

 

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この記事を書いた人
船本由佳ライター
大阪出身の元TVアナウンサー。横浜市中区のコミュニティスペース「ライフデザインラボ」所長。2011年、同い年の夫と「私」をひらくをテーマに公開結婚式「OPEN WEDDING!!」で結婚後、自宅併設の空き地をひらく「みんなの空き地プロジェクト」開始。司会者・ワークショップデザイナー。
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