見方によって世界は変わる 〜コロナ時代の子どもと遊び〜
2011年、ちょうど東日本大震災があった時に、横浜のプレイパークにプレイリーダーとして関わるようになりました。当時は、放射能の不安から、「外で子どもを遊ばせるのはどうなんだ!」という声も少なくありませんでした。あれから10年。コロナ禍という、人類が今まで経験したことがない世界で、子どもたちの遊びはどうなっていくのでしょうか?

文=山﨑佳之(はんす)/写真=まさみっちょ(妻)
*このシリーズでは、「子どもを育てる」現場の専門家の声を、毎月リレー方式でお送りしていきます。

……なんて重い感じでスタートしてしまいましたが、ここから先は、もっと気楽な感じで書き進めていこうと思います。挨拶が遅くなりました。
はじめまして、「はんす」と言います。名前の由来を子どもたちに
く聞かれるのですが、生まれも育ちも日本の東京の山奥(青梅市)の日本人です。でも、外遊びばかりしているので、1年中肌が黒くて、よく外国人だと間違われます。現在、3歳と5歳の娘がいる、2児の父です。ちなみに妻も、私と同じプレイリーダーという仕事で、遊びを通して、地域で育つ子どもたちの心と身体の成長を見守るという活動をやらせてもらっています。

今回、この『森ノオト』に書かせてもらうにあたって、私が仕事で関っているプレイパークで出会った子どもたちのことを!と思っていたのですが、あいにくの社会情勢でプレイパークももちろんお休み。3月からもう3月も、家族以外の人に会わない生活を送っています。

ということで、地域の子どもたちと遊ぶ事を仕事としていた大人が、自由に遊べなくて、自分の子どもとじっくり本気で遊び続けた3月の記録を綴ります。

 

①家の中の子どもの世界

 

自粛期間中、1番の遊び場と言ったら、もちろん家の中です。夫婦2人とも「遊び」が仕事のため、子どもを授かる前から自分たちが子どもだったらこういう家がいいなという目線で選んだので、秘密基地のようなが家です。築35年以上の団地なのですが、最上階ということで屋根裏スペースがある。こんな時だからこそ、そこを利用して、娘たちのために最高の遊び場を!と意気込んでいました。

 

そんな自粛中のある日。オンライン会議のため、別の部屋で夫婦で仕事をしていました。娘たちはやけに静かです。仕事が終わって、リビングに来てビックリ。床やソファー、テーブル、階段、部屋の中の空間すべてを使って、人形たちの世界が出来上がっていたのです。

 

 畳んだ洗濯物のタオルは広げられ布団や絨毯になり、洗って乾かしていた茶碗はひっくり返って謎のオブジェに。紙置き場から持って来たであろう段ボールや紙コップは、ハサミで自由に切り刻まれ、鯉のぼりや家に。どこから見つけたか、金色の包み紙のチョコレートは、金塊の山?に。そして、貴重なマスクがハンモックに……

 

「ねえ、パズルつくったの。やってみて」

 

まるで、めちゃくちゃな絵本の中の世界が、そのまま切り取られたような風景が、そこには広がっていました。物に統一性などまるでありませんが、子どもたちだけで作った世界には、よく見ると一個一個ちゃんと物語があり、素直にすごいなと関心してしまいました。家の中にある物を自由に使うと(使っていいとは言っていないけど)、本当に「子どもの発想や感性って面白い!」と感じた出来事でした。

 

もちろん、生活空間なので、そのあと容赦なく片付けましたが(笑)、今では、ここなら片付けられないだろうというスペースを見つけては、大人(私や妻)が足の踏み場がなくてイライラして片付けるということを繰り返しています。そして、自分たちの人形世界をどんどん開拓しています。それはまるで、秘密基地を作っては大人に壊され、どんどん人に見つからない山奥に作り込んでいくような感じにも見えます。

ちなみに、まだマスクがなかった頃、私のためA4の紙を切ってマスクも作ってくれました。

足の裏に描いた顔:ロフトからぶら下がっていた足の裏に描いたのが始まり。楽しくなって、家族全員描いたが、そのあと、色々な所に色移りして最悪だった

 

②夜の散歩で見つけた世界

 

本音を言うと、「こんな時だからこそ、外遊びが大切なんだ!」と声を大にして、外でおもいっきり遊びたい自分がいました。しかし、地域で外遊びを仕事にしている私たちが、昼間外で遊んでいると「はんすたちが遊んでいるなら、外で遊んで大丈夫なんだ!」という考えを肯定することにつながってしまいます。

実際、緊急事態宣言前、近所で遊んでいたら、「今日はここでプレイパークやってるんですね」と、人が集まって来てしまったこともあります。

また、妻の父がガンを患っていることもあり、極力、人にわないように努めていたのも、自分たちの行動を自粛しようと決めた、大きな要因でした。

 

そんな私たちが自粛期間中、それでも外の空気を吸いたいと思い、取った行動は、人のいない時間帯を選んでの、夜の散歩でした。夕方、団地の子どもたちが帰ってくる頃、夕ご飯(お湯と、カップラーメンと、おにぎり等ですが)と、一人一個のライトを持って出発するのです。これが本当に楽しかった。

 

私たちが住んでいる横浜の都筑区は、緑道で公園と公園がつながっていて、血管の中を通るように街の中を歩いて色々なところに行けます。そしてそこには、小川や池などの水の流れもあります。

その世界は、5歳の娘が偶然、池の中をライトで照らした時に見つけました。

 

小さな水泡がライトに反射して輝き、まるで夜空に浮かぶ星の光のようなに見えたのです。そしてその光の中に、小さい沼エビが浮かび上がって宇宙遊泳をするように泳いでいたのです。

 

娘が「何これ、すごい!」と叫んだのと同じ気持ちで、私も「何これ、すごい!」と叫んでいました。

 

 

そこには、昼間だったら人影ですぐに隠れてしまうような、ザリガニやメダカ、カメ、カエルなど様々な生き物もいます。「ここは俺の場所だ!」と言わんばかりに、威風堂々としています。

 

 

私たち親子は、すっかりその世界の虜になってしまいました。

 

そして、目が生き物に慣れてくると(私たちは「虫目になる」と言っていますが)、水の中だけでなく、まだ光が透けて見える若葉の上に隠れているバッタや、木の幹などに擬態するシャクトリムシなど、様々な生き物にも出会えるようになったのです。

 

「ねえ、見て。完璧なクモの巣みつけたよ!」by娘

 

時間がたっぷりある散歩だからこそ、子どものペースで歩くことができます。そして、子どもの目線で一緒に世界を見ることができて、家族全員で同じ時間を共有することができました。それは、いつか私が歳をとった時に、「自分の孫と一緒にできたらいいな」と思い描いていた時間そのものでした。

 

娘が大きくなった時に、この夜の散歩の話しをしてみたいと思います。覚えているかもわかりませんが、もし覚えていたら、どういう思い出に変わっているのかとても楽しみです。自分が子ども側だったら、あの時間は夢だったのかな〜と思っているかもしれません。私には、本当に夢のような時間でした。

 

当の娘たちは、「家で人形遊びがしたいから、早く帰ろうよ!」と言っていましたが、それなりに夜の散歩も楽しんでくれているように見えたからです。

 

季節の巡りはとても早い。2週間前は、同じ身長だったのに

 

娘が、池に浮かんだ藻を木の棒で集めて、「地球作ってるの!」と言っていた

 

③今を生きる、子どもと大人の世界

 

6月に入って、いよいよプレイパークも再開しようという話になってきました。そして、現地に行って、世話人(プレイパークを運営する地域のボランティアのママ)たちと、どうやって開催していくかの話し合いを行いました。

 家族以外の人に、買い物以外で久々に会う。ちょっとドキドキでした。マスクをして、どれぐらい距離をとって話そうか……子どもたちがいたら、どうやって遊ぼうか……そんなことばかり考えていまいた。

 

しかし公園に着くと、そこでは世話人の子どもたちが、元気に何事もなかったように、走り回って遊んでいたのです。

ママたちも、シートを分けて密にならないようには気をつけていましたが、元気いっぱいにおしゃべりしています。

 

私だけが、社会から取り残された浦島太郎のような状態でした。

 

ママたちに話しを聞くと、もちろん、個人個人では、コロナに対する思いはあります。でも、子どもを自由に遊ばせることに対してだけは共通の気持ちでした。

「家にこもってストレスをためるより、外でのびのび遊んでもらってストレスフリーでいてくれた方が、心と身体の健康にいいと思うから」と、あるママが言いました。そしてその言葉に反応するように「本当に嫌だったら外に遊びに来ないから」と笑うママもいました。

 

プレイパークには、色々な価値観の人が遊びに来ます。今回の私のように、外出することにドキドキだった者も、心と身体の健康のために、堂々と外遊びを続けていた者も。

 

どちらがいいなんて、決めることはできません。どちらも、自分で選んでいることだからです。

プレイパークが再開したら、私のように、今まで家にこもっていた人たちもちょっとずつ外に出て来ると思います。それは子どもが産まれて、初めて外遊びをさせる時のママのドキドキと、同じような気持ちなのかもれません。

 

コロナ禍という、まだまだ先が読めない時代ですが、遊び場に関わる大人たちは誰よりも子どもたちのことを考えています。そして、子どもの気持ちを置いてけぼりにしないように気を付けています。大人も子どもも一緒になって、今を生きていることを知っているからです。

 

まだまだ自由に行きたい所では遊べませんが、自粛期間をはじめ、このコロナ禍で生まれた時間が、子どもだけでなく、大人の心も育てる自由な時間になってくれればと願うばかりです。 

 

大人が遊んで欲しい時に遊んで欲しい所では、子どもたちは遊んでくれません。しかし、大人が知らない所で、大人が止めなければ、どこまでも自由な発想と自由な心で、大人の想像のはるか上を飛んでいくのです。それが、「本当の遊びだよ」と、このコロナが与えてくれた時間が、私に教えてくれたような気がします。

 

私の歯医者の待ち時間、子どもたちが外で見つけたてんとう虫の赤ちゃんを、レンガの溝に歩かせて迷路遊びをしていた

 

自粛期間中、地域の子どもたちのために設置した、シーグラスのネックレス作りキット

 

④これからの世界の中で

 

世の中は、どうしても大人の都合優先で回ってしまいます。それは、私のように子どもの気持ちを最優先にしてあげたいと思っている大人でも、なかなか変えられないのが現実です。

 

今回、コロナ禍で、強制的に子どもも大人も、様々な自由が奪われてしまいました。しかし、子どもたちは、その柔軟な心と身体で、しっかりと今を楽しんでいるように見えるのです。

 

そして、子どもたちと同じ時間、同じ速さ、同じ距離で世界を見る事ができたからこそ、当たり前に身近にあったのに、見逃していたものたち。そんな世界に、私も気付くことができました。

 

子どもたちが自由に遊ぶ姿には、これからの新しい世の中を楽しみながら生きるヒントが、たくさん隠れています。もし、大人たちもそれに気付くことができたなら、世界の見え方、楽しみ方が、ガラッと変わる。そんな気がする今日この頃です。

 

「私、飛んでるんだよ。写真撮って!」写真を撮りたい時は呼んでも振り向かないが、本当に撮って欲しい時は、向こうから呼んでくる

 

大人は美しい夕日。子どもは田んぼの中の生き物。見ている世界はそれぞれ違う

Information

まんまるプレイパーク

毎週月・火曜日 毎月第24日曜日 11時から17

都筑区鴨池公園まんまる広場

http://manmarupp.ciao.jp/


Profile はんす(山崎佳之) 20歳の時、子ども向け劇団に所属し日本を旅周りしたのち、その時の仲間と劇団を結成して活動。30歳になった時、もっと子どもの世界を勉強したいと、探求していた中で、プレイパークに出会う。こんな世界で生きていきたいと思い、40歳になった今、仕事も子育ても、生活のすべてがプレイパーク中心でまわっている。  

この記事を書いた人
寄稿者寄稿者
未来をはぐくむ人の
生活マガジン
「森ノオト」

月額500円の寄付で、
あなたのローカルライフが豊かになる

森のなかま募集中!

寄付についてもっと知る

カテゴリー

森ノオトのつくり方

森ノオトは寄付で運営する
メディアを目指しています。
発信を続けていくために、
応援よろしくお願いします。

もっと詳しく