天然の堆肥で十分
自然農の根本理念は簡単だが、いざやってみると一朝一夕にできるものではない。だから面白くもあり、はまってしまうのだ。
私は田んぼを埋め立てた畑2反を耕作しているが、埋め立てに使われる土はほとんどが山土で、この土では限られた作物しかできない。草も生えないのだ。
慣行農法では病原菌もなく虫も出ないので重宝がられるが、そこには当然大量の化学肥料と土壌改良材が投入されることになる。ホウレン草にはホウレン草用の配合肥料、人参には人参配合肥料というように、主役は肥料であり、土ではない。土は作物を植える土台でしかないのだ。
有機農法では、このような土に鶏糞や牛糞などの有機肥料を与えるが、これにも多くの弊害が生まれる。動物性の有機肥料は害虫を発生させ、土を固めてしまう。なによりも、この悪臭には耐えがたいものがある。できた作物は立派だが、窒素過多により硝酸塩が残留してしまう。以前、米国でホウレン草のベビーフードによる乳児の死亡例が報告されたが、その原因は硝酸塩と言われている。
自然農では、動物性の堆肥は一切入れない。土の力を最大限に活かすことを心がける。そのためには、土を乾かさない。固めない。温める。これらに尽力し、決して土に余計な栄養分を投入しない。
山土は一度乾燥すると石のように固まる。それを防ぐために草のみの堆肥を投入する。それによって土中に植物繊維が増え、土を軟らかくし、根伸びをよくする。また、草の堆肥は微生物を活性化し、土を温める効果がある。私の2反の畑の傍らには草の堆肥が3年間放置してある(約50t)。堆肥は完熟していないと虫が発生する。2年目の堆肥をサツマイモの床堆肥に使ったが、虫に食われ、堆肥を入れなかったところの方が、小ぶりだがキレイな芋ができた。
自然農は、土と作物との相性も考慮に入れなければならない。自然農の大きな特徴は、無肥料であるということ。正確に言うと人為的に肥料を施さない、無施肥栽培ということだ。空気中の窒素が雨によって土中に浸み込み、天然の窒素肥料となるから、余計な肥料は必要ないのだ。天候に左右されずに人間が楽に生産管理できるような農業を進めているのが近代農業だが、太陽と土と水から離れていく農業が目指すものとは、いったい何なのだろうか……。
今ならまだ間に合う。三輪から自然農を!
自然農を追求していくと、日本の村の環境が自然農に適した環境であったことがよく解る。畑の近くには森や林があり、枯れ草や落ち葉が豊富にあった。里山とは、現在のような杉やヒノキが植樹された森ではなく、広葉樹が適度に植わった雑木林のことだ。
最近、生物多様性という言葉をよく耳にするが、何事においてもいき過ぎや偏りがその環境を変え、生態系を壊す結果となる。寺家ふるさと村と、隣接する三輪の森の環境は、都心にありながら奇跡的に残された里山の環境と言える。
以前、自然農の稲の発育を見た地元の農家の方が、「肥料のやり過ぎじゃないか? 穂が重たくて倒れそうだ」と、忠告をしてくれたことがある。もちろん無肥料なのだが、三輪の森を透して流れ出る水は豊富な天然の肥料を含んでおり、それが1日の雨で、10日間の水が染み出てくる。これが天水田の素晴らしいところだ。
また、用水路がU字溝やコンクリートでないことも、田んぼの環境をよくしている。水路に適度な堆積物や草があることで、栄養分が流れず、そこに多様な生物が生息する。天水の田んぼでは年々ホタルが増え、ふるさと村で減っているのは、用水路の堆積物や草をきれいに取り除き、常に水が流れるようにしていることも原因の一つと言える。
水田は読んで字のごとく「水」の田だが、畑は「火」の田と書く。天から降ってくる栄養を含んだ水を土中に留め、余分な水は排水されるという土(保水性がよく水はけのよい土)が、畑の理想の土である。この理想の土にするために、私は山土で埋め立てられた畑に50tもの完熟堆肥を投入しているのだ。
今、耕作面積を減らしてでも、畑に小さな林をつくり、自然農に適した環境をつくろうと試みる生産者がいる。自然の恵みを無視し、農業の近代化を推し進めた代償は大きい。しかし、もう後戻りはできないなどと、諦めてはいけない。まだ間に合う。頭を切り替えることだ。生産者と消費者の垣根を超え、ともに生活者として智恵を出し合い、力を合わせれば、必ず、本来の自然に順応した農業のかたちを確立することができると、私は信じている。
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