20代で会社を設立し、使用済み食用油の再資源化から循環型社会を目指した事業を行う(株)ユーズ社長の染谷ゆみさん。『TIME』誌で「環境の英雄30人」に選ばれるなど華々しく活躍されています。以前、染谷さんの著書『TOKYO油田物語』を読んでから、自分と同年代の女性の突き抜けたな生き方に驚きと尊敬の念を抱いてきた私。新たに新電力の会社を立ち上げると知り、次なる物語の展開について聞きました。
――このほど設立された新電力「(株)TOKYO油電力」の生まれた経緯を教えてください。
染谷ゆみさん(以下敬称略): 2007年、(株)ユーズ設立から10年を迎えて周りから「10周年おめでとう」と言われたのですが、実は全然嬉しくなかったんです。1997年に食用油のリサイクル事業を始めて、2004年にバイオ燃料化の開発を成功させたものの、自分が描いていた10年後とはちょっと違っていて、天ぷら油の地域循環が思ったように広がっていませんでした。
それで次の10年、2017年には「東京中の油を一滴残らず集める!」というキャッチーなコピーとともに、2007年に「TOKYO油田2017」プロジェクトを立ち上げました。屋外型イベントのエネルギーを使用済み食用油の発電でまかなったり、目黒川のイルミネーションを点灯したり、子どもたちとキャンドルづくりワークショップをやったり、メディアでの広報活動にも力を入れ、思えばずっと走ってきました。
――地域循環型社会のために、バイオ燃料とプラントの開発もされたのですね。
染谷:使用済み食用油からバイオ燃料(VDF=Vegetable Diesel Fuel)をつくる世界初の技術を2004年に開発して、特許も取得しました。皆さんにも、自分の地域で自分たちの油から燃料づくりをしてもらえるようにと改良し、バイオ燃料プラント自体の販売もおこなっています。
――2007年に「TOKYO油田2017」
染谷:「東京を油田に変える!」と2007年に始まったこのプロジェクトですが、その道のりは簡単ではありませんでした。地域の拠点に回収ステーションを設けて、家庭からでる廃食油を集めてもらうのですが、協力者を募るのが難しい。というのも、町内会で空き缶などを集めると多少のお金になりますが、廃食油を集めても値段がつかず、逆に回収費用が必要なくらいなのです。社員にも苦労をかけました。営業にいくと怒られて帰ってくるんですね。やめてしまおうかと揺れた時期もあります。
ところが、3年目の2010年、環境イベント「アースデイ東京」をきっかけに、協力者が現れてきました。イベントでは当日までに1000リットルの天ぷら油を集めて発電機を回し、電気を自給しようという企画があり大成功でしたが、イベントが終わってからも油回収を続けてほしいという声をいただくようになりました。口コミで仲間が広がり、今では東京・神奈川・千葉・埼玉・栃木・静岡と約500カ所に回収ステーションができました。さらに「無料で回収してもらうのも悪いから回収費用をとって」と言われ、1回1000円、1年間10回程度回収する計算で年会費1万円を設定するようにもなりました。
――続けるかどうか悩まれた時期もあったのですね。でもやり通せたのはなぜでしょう。
染谷:回収ステーションが広がるきっかけとなった「アースデイ東京2010」の翌年、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。その際、支援物資を運んだ被災地での出会いが大きかったですね。
知り合いから、台湾からの支援物資を被災地に届けてほしいという連絡が入り、仲間と避難所を探してトラック4台で気仙沼の興福寺まで運びました。お寺に避難した100人もの人たちは、津波で家が流されたり、家族や親戚が行方不明だったりして、悲しみを押し殺して必死に今日を生きていました。
台湾からの物資のほかバイオ燃料、お米、牛乳、食パンなども運んだのですが、中でも地元のお花屋さんから提供された生花がたいへん喜ばれました。亡くなられた方へたむける供養の花、避難所に飾られる一輪の花、それだけで人々の心に生きる気持ちがわいてくるんですね。「人はパンのみにて生きるにあらず」の一節とはこのことかとハッとされられました。
東京でもガソリン不足でしたが、被災地の燃料不足も深刻でした。現地である人から言われた「こういう地域循環のエネルギーがもっと必要だったね」の一言が、心に響き背中を押してもらえました。そして「東京が逃げちゃだめだ、TOKYO油田プロジェクトを絶対にやってやる!」との思いを新たにしたのです。
――3.11での体験や出会いを経て事業を進められて、2016年の電力小売全面自由化を機に、新電力「株式会社TOKYO油電力」を設立されましたね。
染谷: 3.11の事故から原発は今ほとんどが止まっていますが、それでもなお、日本列島の海岸沿いに50基あまりがあるわけです。テロなど考えると原発を保持していくことは非常にリスクが高く、世界的にも再生可能エネルギーの潮流がやってきています。その流れの中で電力小売りが自由化され、2016年に「株式会社TOKYO油田力」を登記、2017年11月に契約者の電力切り替えをスタートさせました。今は、ここ東京都墨田区と群馬県藤岡市に発電所があります。
TOKYO油電力は現在145キロワット約500世帯の供給量ですが、間もなく500キロワットになり、2020年には1000キロワット(メガワット)の発電所にしていく予定です。TOKYO油田2017のプロジェクトは、2017年の最終年にTOKYO油電力が生まれた、という物語になりました(笑)。
――電力小売自由化で、電力が自由に選べるようになりました。私たちは何ができますか?
電力を選ぶことは未来の選択です。コンセントの先に何があるのか、一人ひとりに知ってもらいたいですね。東京電力管内で今の再生可能エネルギーの契約率は一般家庭で5〜7%です。残りの90%以上は未だに東京電力のまま。一般家庭の場合、TOKYO油田力に切り替えると、おおむね電気代が5%安くなるんですよ。東京電力のままでは、もったいないだけでなく原発を支持していることになりかねず、支持されているからと原発を再稼働させる理由にもなってしまいませんか。
電気は日常使うものなので、どこにお金を払うのかはとても重要になってきます。大会社を選ぶと中央にお金が集約されます。一方、地域電力など地域に根付いた小さな会社を選ぶと地域にお金が落とされます。お金の流れを変えることができるのです。
――TOKYO油電力で実現したい未来とは?
染谷:企業なので利益もとらないといけませんが、一部を地域に還元してその地域の課題解決に役立てたいと考えています。ここ墨田区で契約数が2万件を超えてきたら例えば「墨田電力」として独立して、この地域に利益が還元されるソーシャルビジネスを展開したいのです。
もくろみとしては、コミュニティラジオですね。身近な地域情報を流したり歌が好きな人に歌ってもらったり、その地域の方言のおしゃべりを楽しんだり。そして有事の際には地元に密着した避難情報や物資情報などを発信する。また、墨田区の北側エリアには文化を発信するものが足りないので、小劇場やホールをつくって若者たちの文化の拠点にしたいですね。人口約25万人の墨田区で8%、2万人がTOKYO油電力を使ってくれれば実現できると考えています。
墨田区でのモデルが成功できたら、次は地方への移植です。地方で電力会社ができれば雇用が生まれ若い世帯が暮らせます。収益の一部を地域で必要な、例えば保育園をつくるといったサービスに回していけますね。そうやって地域が潤うシステムができればと思っています。
――次々とビジョンを掲げ、事業展開していく染谷さんですが、そのエネルギーの源は何なのでしょう?
染谷:もともとボーイッシュで元気な子どもでしたから(笑)。特に何というのもありませんが、きっと油ですね。トンカツなど揚げ物が大好きなんです。中国語で「加油」という言葉の意味は「がんばれ」です。やっぱり油が元気の源なのでしょう!
地域の資源を使って地域の電力がつくられると、地域の中でお金が回り始める。そんな小さな地域循環型社会を日本各地につくっていきたい。染谷さんの新電力立上げへの先には、日本社会の未来の姿が見えていました。
(text&photo:中山貴久子)
(株)TOKYO油電力
〒131-0041 東京都墨田区八広3-39-5
TEL:03-5247-1396 FAX:03-3613-1625
E-mail: denki@tokyoyuden.jp
URL:http://yuden2017.wixsite.com/denki
※電気の供給は、東京電力管内でしたらご家庭(低圧)、工場(低圧・高圧)のご提供が可能です。
現在の電気の明細書(領収書)の写真をメールに添付してお送りください。
イベント情報:facebookページで随時紹介
https://www.facebook.com/TOKYOyuden2017/
染谷ゆみプロフィール
1968年東京都墨田区八広生まれ。1986年アジアを中心に旅したのち、旅行代理店香港支社勤務。1991年染谷商店入社。1997年独立し株式会社ユーズを設立。2003年青山学院大学に入学し教職取得。2007年TOKYO油田プロジェクト開始。2009年「TIME」Heroes of Environmentの一人に選ばれる。2016年株式会社TOKYO油電力を設立、代表取締役就任。
著書:『TOKYO油田物語』一葉社 2009
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