タンスに眠っている着物に新しい命を吹き込みたい 広がれ!うたしもんぺ
昔から女性の野良着や作業着として着用されて来た「もんぺ」。不要になった着物地を使い、現代の女性でも履きやすく、誰でも作りやすい形へと改良したのが「うたしもんぺ」です。

森ノオトが運営するアップサイクル布工房AppliQuéでは、毎月1回、テーマを決めてお裁縫講座を開催しています。

9月に開催した「うたしもんぺ」作りには、10代の女の子から上は60代、親子や子連れでの参加など多世代が集まりました。

この日、講師で来ていただいたのが、このうたしもんぺの生みの親、広崎さよ子さんです。

 

洋裁は独学で、習ったことはない。だからこそ逆に自由で柔軟な発想ができるのかも、と話すさよ子さん

会場となった森ノハナレは、まるで田舎のおばあちゃんのお家に遊びに行ったかのような暖かい雰囲気で、和気あいあい

開催後も「あのうたしもんぺ、かわいい!」「動きやすそう!」と、SNSで情報を知った方から声をかけられることもしばしばで、いきなり「うたしもんぺ」という名前がこの地域で認知されたのでした。

 

 

うたしもんぺの「うたし」とは、

う…うれしい

た…たのしい

し…しあわせ

 

 

の略です。心と体が「うれしい」「たのしい」「しあわせ」と感じられるような無農薬、無施肥、固定種在来種にこだわった自然栽培、昔ながらの農的暮らしをしたいという思いで名付けられた栃木県茂木町にある「うたし農園」で生まれたことから「うたしもんぺ」と呼ばれています。

 

 

うたし農園は、さよ子さんの息子である広崎啓太郎さんの農園です。

 

広崎啓太郎さん。栃木県茂木市にある広崎さんの農園にて(写真提供:広崎啓太郎さん)

 

啓太郎さんは、6年前、茂木にIターンし就農していましたが、今年6月から実家のある町田市に戻り、仕事が休みの日は茂木町の農園に通うという生活になりました。

そんな中、何かこちらで情報を得られるところはないかとインターネットで検索していたところ、森ノオトのことやAppliQuéのことを知り、家族で工房を訪ねてくれました。

 

 

うたしもんぺは、着用しなくなり処分に困っていた着物を、「もったいないから捨てるならちょうだい」と話していたさよ子さんの元に、どんどんと集まって来たものを一枚一枚解いてはぎ合わせ、作られたものです。AppliQuéの、おうちに眠っている布を捨てるのではなくアップサイクルして生まれ変わらせたい、という想いと同じ。

 

 

でも、このうたしもんぺ、さよ子さん一人では決して生まれなかったと言います。

啓太郎さんの奥さんであり、さよ子さんにとって息子の嫁である順子さん。彼女が履いていたタイパンツを見て、「面白い形ね!見せて」とさよ子さんが声をかけました。それを元に着物生地をはぎ合わせて作ったのがこの「うたしもんぺ」です。

日々うたしもんぺ姿でどこへでも出かけていく順子さんを見かけた人から口々に、ぜひ販売して欲しい、ワークショップをして欲しいと声をかけられ、茂木周辺地域のイベントで販売したり、さよ子さんがワークショップに講師として呼ばれることが増え、徐々に広まりました。

さよ子さんが制作したものを順子さんが広告塔となって広めていったのでした。

 

啓太郎さんと妻の順子さん。うたし農園という農園名は順子さんの発案。(写真提供:広崎啓太郎さん)

 

 

しかし、順子さんが、今年4月16日、胃がんのため38歳の若さで亡くなってしまいました。

 

順子さんは、啓太郎さんが茂木で就農を目指して研修をしていた頃、知り合いました。順子さんもまた、東京の飲食店で働いていたものの、食を追求するうちに、食の原点は農業だと茂木を訪れ、啓太郎さんと意気投合し、結婚することに。車やトラクターも入れないような荒地の整備からスタートし、2人で3反から徐々に開墾して、1.5町歩(15,000㎡)まで畑を拡げました。

 

そして、旬な野菜を常時20〜30品目、100種類育てるまでに。畑で採れた野菜で順子さんが加工品を作ってはイベントなどで販売し、ゆくゆくは、おやきをメインに人が集まる場を作ろうと夢を語り合っていました。

 

病気のことを知ったのは昨年の大型連休後、2017年5月のこと。すでに病は胃がんのステージ4とかなり進行した状況でした。1人娘のきなりちゃんも、まだ2歳1カ月で、二人は途方にくれた、と言います。

しかし、順子さんは気持ちを切り替え、自分の力を信じて治療に専念しました。家族や周りの人たちに支えられながら家族一丸となって闘病生活を送りましたが、1年後の今年5月、みんなに見守られながら旅立ちました。

 

茂木では、犬1匹、猫3匹、ヤギ1頭、鶏5羽と暮らしていた。写真はうたし農園紹介パンフレット

 

軌道に乗り始めていた農園でしたが、「きなりちゃんを育てることを最優先に」との思いで、生活拠点を移すことを考えます。

悩んだ末、今は、啓太郎さんの両親のいる東京都町田市の実家に戻り、就職をし、普段は仕事へ、そして休みの日は畑作業のため茂木に通うという生活をしています。

心も体も慌ただしい日々を過ごし、やっと今の生活を受け入れられるようになって来た頃、ふと思い浮かんだのは、「うたしもんぺは順子の生きた証、だからうたしもんぺを残し、広めたい」という思いでした。

 

 

AppliQuéでのワークショップの日、さよ子さんは、きなりちゃんの母代わりとして忙しい日々の中、行き場を失って届いたたくさんの着物地の中から布をはぎ合わせ、参加者が布を選んですぐに制作できるよう準備をして来てくださいました。

よく着ていたであろう生地ほど一部が擦り切れそうになっていたり、ほつれていたり。

そういう部分には丁寧に他の布で当て布がしてあり、それがまたアクセントになっています。

着物生地というときらびやかなもの、振袖のようなものばかり思い浮かんでいましたが、「これも着物生地なの?」と、日々の暮らしに取りいれられそうな柄、風合いに驚きや発見がいっぱいありました。

 

さよ子さんが考案したこのうたしもんぺは、誰でも簡単に作れ、自由に補正ができ、そして、着なくなった時には、解けば正方形の布に戻り、また生地として使える、別の命を与えられるというデザインになっています。

 

ワークショップの間、みんなが制作している様子を眺めては、「布が喜んでいるね〜」と何度となく嬉しそうに目を細め呟いていたさよ子さん

 

 

布の命をつなぐことが、順子さんの想いをつなぐことにもつながっているような気がしました。

 

 

啓太郎さんは、今回、思いがけず茂木と町田、2拠点での生活をしてみて、「こちら(都内近郊のこの地域)にも本気で農業に打ち込む人や、様々な活動をする人がいてたくさんの刺激をもらっている。今は、できるだけアンテナを張ってそういう人たちに会いに出向き、ただいい野菜を作って満足するだけではなく、きちんと農業が商売として成り立つ仕組みづくりをする時間にしたい」と言います。そして、いつか、茂木に家族で帰り、うたし農園が本格的に再開できるようになったら、茂木と横浜や町田をつなぐようなことをしていけたら、と新たな目標もできました。

 

「畑作業の合間に、ふと手を止めて見上げると、茂木の自然が広がる風景が見えてくる。順子さんと一緒に眺めたその当たり前の景色が、今は第二の故郷であり、自分の居場所だと感じる」という啓太郎さん(写真提供:広崎啓太郎さん)

 

 

いつか、茂木に帰る日まで、うたし農園を守り、うたしもんぺを広める、そんな揺るぎない覚悟を感じました。

 

 

そして、現在「とても動きやすく可愛い!」と、うたしもんぺはAppliQuéスタッフたちの日常着に堂々仲間入りしています。私も先日娘に作り、今は自分用も作ろうと画策中。きっと、順子さんも、青葉区界隈でこんな広がり方をするとは想像もしていなかったのでは?

 

また、来年にでも第二弾を開催できたら。その時には、皆さんのお家で出番を失って眠っている着物を生き返らせてみたいな、と今から楽しみにしているところです。

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この記事を書いた人
齋藤由美子ファクトリー事業部マネージャー/ライター
森ノオトの事務局スタッフとして、主にAppliQuéのディレクションを担当。神々が集う島根県出雲市の田舎町で育ったせいか、土がないところは落ち着かない。家では「シンプルな暮らし」関連本が十数年にわたり増殖中。元アナウンサーで、ナレーターやMCとしての顔も持つ。小6女子の母。
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