「こんにちは」と長谷(ながたに)家の門までむっちゃんと迎え出てくれた野乃子(ののこ)ちゃん。手足のすらりと伸びた野乃子ちゃんは、心にすっと入ってくる笑顔と声が印象的です。小学校5年生から2年間山村留学を経験し、この春、地元の中学校の合唱部に入りたいという夢を抱いて、家から通える公立の中学校に入学しました。
野乃子ちゃんが留学していたのは、長野県北相木(きたあいき)村です。北相木村の人口は約750人。村立の北相木小学校の児童は約60名で、そのうちの半数が留学生です。
村の山村留学受け入れは今年で32年目になります。留学した子どもたちは「村の子」になって学校に通います。生活スタイルは、親子留学、もしくは山村留学センターで子どものみの留学を選べるそうです。子どもだけでのセンターへの留学は、地元農家を交互に暮らす 「センター農家併用型」というもので、希望者は月のうち約10日間を農家さんの家で過ごします。 留学センターの中での暮らしだけでなく、農家さんにもお世話になることで、より村の子として、村の人たちとの絆も深まるそうです。
小学校5年生で家族と離れ、何もかもが初めての土地で暮らすということは、とても勇気がいることでしょう。留学先では寂しさや辛さなど、乗り越えなければならないこともあったのではないのかなと私は想像していました。
けれども、色々な話をしてくれる中で、野乃子ちゃんの口からは「不安」や「辛さ」といった言葉は聞かれず、様々な体験を語るその声はとても明るく、誇りに満ちて響きました。
北相木村での山村留学が決まるまで
娘に山村留学という選択肢があることを母親であるむっちゃんが頭の隅で描き始めたのは、野乃子ちゃんがまだ幼い頃に読んだ、宮下奈都さんの著書『神様たちの遊ぶ庭』(光文社)という本がきっかけでした。その本には、小中学生3人を連れて、福井から北海道トムラウシに移り住んだ宮下家の、大自然に抱かれて過ごす一年の記録が描かれています。
むっちゃんは最初、本に描かれているように家族で留学してみるのも良いなあ、とイメージしていたそうです。ですが、4年生の11月に体験留学に家族で参加した際、留学センターの仲間にあっという間に馴染んでいった野乃子ちゃんのたくましい姿と、反抗期にも入り母娘で衝突することも出てきたタイミングも重なり、野乃子ちゃんの単身留学へと気持ちを整理していきました。「離れて生活してみるのもお互いに前向きな気づきができるかもしれないよね」と、離れ難い気持ちの妹たち、そして自身の気持ちもなだめながら、家族みんなで考えて、野乃子ちゃんを北相木村へ送り出す決断をしました。
山村での体験
さて、2年間の北相木村での、留学センターでの暮らしはどのようなものだったのでしょうか。野乃子ちゃんの2年間のあふれんばかりの思い出は、様々な行事ごとにセンターで描き、年ごとにファイリングされた「絵手紙」からも感じられます。絵手紙には「このシーンが一番の思い出! みんなも一緒に考えてくれました。~ずっと忘れない~」「ご飯作るまで一苦労!」「苗の一本一本に命がある~乱暴に扱ってはいけない~」「芋の中が真黄色~ホクホク・おいしい~」。力強い実感のこもった文字とダイナミックな絵で丁寧に描かれていました。どの行事についても気になる言葉が記されていて、その全てを聞きたくなってしまいます。
「全部印象に残っていて、どれかを選ぶのは難しいなあ!」という数々の体験の中から、いくつか野乃子ちゃんに話しをしてもらいました。
とりわけ印象的だったのは2月の、「寒中キャンプ」だそうです。
森の中でチームごとにテントを張って、焚き火の火起こしから始めます。森の気温はなんとマイナス26度。「テントを張る時に、テントの下に藁を敷くと少しは暖かくなるし、柔らかくなるよ。朝起きたとき、テントの中の湿気が氷の粒になってキラキラと降ってくるの。それは初めて見たから面白かったなあ。火起こしは慣れているのだけれど、前日雪が降っていたせいで、森で集める薪や地面が湿気っていて焚き火がなかなか着かなくて。火を起こせないとご飯が作れないから、みんなと必死で火を起こしたよ。今年は自分が一番上の学年だったからみんなを引っ張っていかなきゃって、色々教えるって大変だなあって思いながら、自分も色々教えてもらって来たんだなって改めて感じられたよ」。
同じく冬にある氷上運動会も「最高に楽しい」と話してくれました。氷上運動会は、学校のそばの凍らせた「田んぼリンク」で行われます。田んぼリンクは村の人たちが毎年作ってくれています。ツルツルに凍った田んぼの上で「カーリング」に「イス押しパン食いリレー」「そり引き競争」など、村の方々が企画準備してくれた競技に、山村留学の児童も村の人たちと分け隔てなく参加します。この行事に限らず、北相木村の山村留学は村の人たちの留学している児童たちへの温かな協力と交流も醍醐味だなあと話を聞いて思いました。
また、2月の節分もセンターでは外せない行事の一つ。普段は子どもたちの自主性や主体性をバックアップしてくれているセンターのスタッフの方々ですが、この行事はスタッフの方たちが様々な企画を用意してくれるお楽しみ会になるそう。センターの節分は昔ながらの節分を大切にしつつも、ゲーム大会などで大いに盛り上がります。「罰ゲームにはペットボトルに入れたカメムシをふってその匂いを嗅ぐんだよー」と、驚きのアイディアも教えてもらいました。
取材の後日、センターのブログを読むと、節分の日に「もっと日本の伝統行事を大事にしてほしい。山村留学だからこそできることがあるのではと思っていた。そんな思いから、センターでは子ども達が『節分』という行事にワクワクできるような、思い出に残る節分の催しをしてみることにした。」と節分に込めたスタッフの方の言葉が綴られていました。野乃子ちゃんが節分の話しをする様子は、そのスタッフの方々の思いを確かに胸いっぱいに受け止めて持ち帰っていることを伝えていました。
センターのスタッフの方々についてむっちゃんは、先生でもなく、親でもなく、親戚のお兄ちゃんのような雰囲気で子どもたちに接してもらい、その存在は子どもにとってはもちろんのこと、親にとってもとてもありがたいものだったと振り返ります。
横でむっちゃんのその言葉を聞いていた野乃子ちゃんは、「そうそうなんでもドーンと来い!って感じ」とスタッフの方々の愛称を教えてくれました。
山村留学を経て
北相木村の留学は小学校までですが、その先もまた、それぞれ様々な進路を選択していくそうです。むっちゃんは、「留学中に出会った様々な家族との出会いから、学びの場は地元に限らず、全国から選ぶことが出来るのだなあと視野を広く持てるようになった」と言います。そのため、野乃子ちゃんにとって、長谷家にとって、野乃子ちゃんの中学進学も様々な選択肢があると捉えていたそうです。その中で、家から通える公立の中学校の合唱部がとても熱心という理由から、野乃子ちゃんは地元の中学校を選びました。現在再び地元の友達と共に充実した中学校生活を送っています。
春からの、この地元の街での生活について、村との違いなどをどのように感じているか野乃子ちゃんに聞いてみました。
「登校中に鳥が鳴いているのが聞こえてくると、
※ 北相木村は、村の随所で縄文時代の石器や土器などが出土し、今から約1万年前、すでに人が住んでいたことが分かっています。
取材中、そばで妹たちの相手をしてくれていたお父さんの芳教(よしのり)さん。最後に「2年間思い切り自然のあふれる環境で野乃子は大満足して過ごしてきて、街の環境を物足りなく感じてしまうかというとそうはならなかった様子で。今は今で地元の学校や生活を充実させていて、どんな場所でも楽しむ力を持って帰ってきたのだと感じる。特別によく家事を手伝うようになったとは言えないけれど、してもらっていることに対しての感謝の気持ちをしっかり持てるようになったと思う」とお父さんから見た野乃子ちゃんの変化について話してくれました。
長谷家の皆さん、それぞれの思いが交差した2年間の先にある今。
子どもにとって、どんな一日も、将来のために頑張らねばならない通過点としてあるのではなく、今を身体と心いっぱいに味わう、かけがえのない一日としてあれたらいいなあと思いました。体験の中で生きる力は蓄えられ、その健やかさの先に、自分のために、そして人のために未来を築く日々があるのでしょう。
山村留学での体験の一つひとつを、野乃子ちゃんが心から愛おしんでいる様子が幾度も胸に伝わってきました。
距離では離れながらも、見守る家族の温かさの中で、多くの経験を与えてくれた村やセンターの思いと、野乃子ちゃんの素直な心が出会ったからこそ見ることができ、身に染み込んだ様々な出来事と風景があったのだと思いました。
山村留学には自然と人、どちらからの力をも貰いながら育まれる豊かな時間があることを教えてもらった日となりました。
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