野口正男さんは野口建具店の2代目の建具職人として、木製建具を1枚1枚お一人で制作しています。
「建具」と言っても、聞き慣れないどころか、なんと読むのかわからない方もいるかもしれません。辞書によると、建具(たてぐ)とは「部屋の仕切りや外部との仕切りに用いる、開け閉めすることのできる可動性の障子・襖・窓・戸などの総称」(引用元:大辞林)とあります。最近では「ドア」や「サッシ」と言った方がわかりやすいかもしれません。今では窓というとアルミサッシなど鋼製建具がほとんどですが、以前は家の外と中を仕切るのも、木製の雨戸に木製のガラス戸、そして障子でした。窓を木製建具で作る家は少なくなりましたが、室内では各部屋の出入り口のドアや和室の襖、クローゼットの扉など、ほとんどの家で木製建具が使われています。建具について普段意識することはなくても、多くの人が暮らしの中で毎日触れているものなのです。
建具のまちと謳う埼玉県ときがわ町出身の野口さんのお父様は、照り降り関係ない仕事にと建具職人を目指すことになったそうです。親戚の建具屋の下で3~4年、その後東京に出て修業を積み、昭和29年、28歳のときに独立して川崎市麻生区下麻生に野口建具店を開業しました。その後、結婚して野口さんが生まれ、手狭になったタイミングで昭和45年に現在の鴨志田町に移り、それから野口建具店として51年もの間ずっとこの地で建具を作り続けています。1年後に隣に瓦屋が、少し後には斜向かいに金型屋、その後鉄筋屋、金属加工会社などが近くにでき、鶴見川にほど近い一帯は工場が集まるエリアとなりました。今では周辺に多くの住宅も立ち並びますが、鴨志田での開業当時はまだまだ周りは田んぼだったそう。
「2歳で移り住んで以来、鴨志田から出たことがない。温室育ち」と笑う野口さんご自身は、自分も建具屋になるんだろうなと子どもの頃からなんとなく思っていたと言います。一度は外の世界に出て経験を積もうと、大学卒業後はサラリーマンとして満員電車で通勤する生活が始まりました。しかし時代はちょうどバブルが崩壊するころに差し掛かり、1年と経たずして退職することになってしまったのです。それを機に、野口さんもお父様と一緒に野口建具店として仕事を始めることになりました。
「アルミサッシがなかった頃は、家を建てるときには木製の雨戸を取り付けてまず開口部をふさぎ、その後ガラス戸、障子と何本もの建具が付いていたんだよね」「2間続きの和室の場合、障子や欄間で建具の枚数が20~30枚にもなる」と説明するように、和室を持たない家も多い現在では住宅事情がすっかり変わり、制作する建具もずいぶん変わりました。
それでも作業場にお邪魔した際には、和室の欄間や障子の装飾として施される、伝統的な文様の細工が施された部材をたくさん並べて迎えてくれました。細い木で組まれた、円や三角が繰り返される繊細な幾何学模様がぱっと目を引き、思わずわぁー!と声を上げてしまいました。麻の文様、波の文様……釘などの金物は使わず、溝を付けた細い木を組み合わせて文様を描き出しています。三角形が繰り返される文様は3本の木を交差させて作っているので三組手(みつくで)と呼ぶそう。それぞれの木の桟自体に模様がついていたり丸くなっていたりして、さらに複雑な文様が作られていきます。実はこれ、仕事が終わった夜などに練習で作っているものだとか。
野口さんには「この伝統技術を残していきたい」という思いがあり、伝統的な建具の制作技術を受け継ぐ継承塾を受講したり、年に一度開催され、全国の職人が腕によりをかけた作品が集まる「全国建具フェア」(今年は新型コロナウイルスの影響で延期)に作品を出品するなど、積極的に伝統的な建具制作を続けています。
その中でも2017年、2019年には様々な職種の技能を競う「技能グランプリ」の建具部門に挑戦されました。見学者もいる中で、与えられた課題の作品を2日間に渡り制限時間内で制作するこの大会。「もともと大会を見に行っていたけれど、参加者がいる白線の中はまるで別世界。すごい人たちばかりだし、まさか自分があの白線の中に入るとは思ってもいなかった」と緊張感が伝わります。「だから自分があの中に入ったときは嬉しかったね」と続きます。淡々とした語り口ながら、踏み出したその一歩に大きな覚悟と勇気、そして惜しみない努力が必要だったことは想像に難くありません。
そして心に響いたのは「賞を取ることが目的ではなくて、大会に出たり出品することが仕事へのモチベーションになっている」という言葉です。このような建具を実際に使用することが少なくなっていて、残念な思いにとらわれていた私の気持ちを軽々と超えていき、職人としての真摯な姿勢に、ものづくりに関わる者としてはっとする思いでした。
野口さんの話を伺っていると、他にも興味深いお話がどんどん出てきます。
驚いたのは、2001年に開催された「JAPAN2001」という日英政府交流事業の一環で日本の民家をイギリスに移築する際、神奈川県建具協同組合の一員としてほぼボランティアで建具を制作し、イギリスまで吊込み(建具を取付けること)に行かれたそう。予算もなく資金集めから始まり、現地に赴いて開口部の寸法を測り、それをもとに日本で制作した建具を送った上で再び現地へ。現地の大工さんとのコミュニケーションに苦労しながらも、数日かけて調整しながら建具を収め、観光する間もなく帰ってきました。「次あっても、もうやらない」と笑いながら言うものの、いい経験だったとどこか楽しそうです。
さらにこのコロナ禍では、建具屋仲間に声をかけられて障子紙でマスクを作ることに。障子紙でできた計260枚ものマスクを社会福祉協議会に届け、介護施設や保育園に渡ったそうです。私も作り方を教えてもらい一緒に作ってみましたが、工程が多く時間がかかる上に思うようにキレイにできません……。「声をかけても他に誰もやらない」と野口さんは苦笑しますが、簡単に引き受けられることではありません。
「今度、神奈川県のものづくりマイスターとして小学校に講義と実技を見せにいってくるんだよね」「インスタをやってるんだけど、外国人からの反応が多いんだよ。アプリで翻訳して、今度は日本語を向こうの言葉に翻訳して、なんてやってる」など、新たな取り組みにも事欠かない様子です。仕事と分け隔てなく、建具屋として自分にできることはなんでもやってみようという姿勢に刺激を受けます。野口さんの作る凛として実直な建具の背景には、このような積み重ねがあったのだなぁと納得しました。
家を「建てる」よりも「買う」という感覚が強い現在。野口さんによると、1972年には600人いた神奈川県建具協同組合の組合員の人数が2005年には230人、現在では90人と急激に減っているそうです。その数字に現れているように、建具に限らず家の多くの部分は品番で指定できる、規格化された工業製品で成り立っています。それはそれで合理的な良さがあるのですが、顔の見える距離で思いや技術のある職人さんたちに手をかけて作ってもらった「そこにしかない家」には、思い入れもひとしおです。暮らしの器となる家づくりにはまだまだそんな世界もあることに、ぜひ思いを巡らせてみてください。
毎年11月23日は「あおばを食べる収穫祭」。森ノオトが取材を通じてつながった地域のお店が一堂に会する、マルシェイベントを7年にわたって続けてきました。2020年は新しいカタチに挑戦して、地域をつなぐ情報発信としての「ウェブ収穫祭」を企画しました。エリアごとに、森ノオトでもおなじみのあのお店、あの団体の最新情報をお届けします!これから1カ月かけて、森ノオトのfacebookページで出店者さんの紹介をしていくのでフォロー&シェアをよろしくね!
<ウェブ収穫祭2020特集ページ>
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