「フォレスター」という言葉をご存知でしょうか。オーケストラの指揮者のように、森づくりについて環境、経済、景観などいろいろな視点で考え、統率する役割を果たします。その他にも木材の流通のコーディネートや森林環境教育なども担い、ヨーロッパでは憧れの職業の上位にランキングする森のスペシャリストです。日本では2013年から「森林総合監理士(フォレスター)」という国家資格がつくられましたが、職業としては未だ確立していません。私、山田は、フリーランスのフォレスターとして、森の困りごとの相談に乗ったり、森林環境教育をしたり、木を使いたい人と育てる人をつなぐ木材コーディネートなど、「森のよろず相談係」をしています。
私が活動する静岡県西部の天竜地域は、日本三大人工美林に数えられる林業地です。ここで育った天竜材は建築材料として日本全国に出荷されていて、何と、森ノオト理事長の北原まどかさんのお宅にも使われているそうです。横浜には森林はあるけれど里山が多く、人工林や林業にふれる機会が少ないという声を聞き、「これはお伝えせねば!」と友人の鈴木将之さんに取材をお願いしました。
みなさんは「林家」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。落語家ではありません。「りんか」と読みます。農家は誰でもわかるのに、なじみのない言葉ですね。1ヘクタール(サッカーコート1.4面分)以上の森林を保有している人(世帯)を林家と呼ぶのです。森の手入れは森林組合や民間の林業会社に委託されることが多いのですが、林家の中には少ないながらも自ら間伐などの手入れをして、独自の森林経営をしている人がいます。「自伐林家(じばつりんか)」と呼ばれ、それぞれの家ごとにこだわった木の育て方があり、節をなくすために枝打ちという作業を徹底的にする家もあれば、何代もかけて100年以上の木を育てるなど、同じ地域の中でも自伐林家の個性は森の姿に表れています。
代々受け継いできた育て方が性格にも反映されるのか、自伐林家のみなさんが個性派揃いなことも魅力の一つだと感じています。けれども、その森を訪れることができるのは林業関係者などの限られた人だけなので、今回は森林・林業の専門家フォレスター山田が天竜でイチオシの自伐林家、鈴木将之さんからお話を聞いてきました。
まずは鈴木家の歴史について聞いてみました。自伐林家は旧家が多く、鈴木さんも「うちは俺で12代目」とさらりと言うけれど、どのくらい前から続いているのかピンときません。すると屋根裏から出てきたという古い書付の写しを見せてくれて、始まりは江戸時代であることがわかりました。
鈴木家の林業はひいおじいさんが山林を買ったことから始まり、おじいさんがスギやヒノキの苗を植え、草刈りなどの手入れをしていましたが、木の値段が高かったこともあり、重労働である伐採の仕事は専門の人に頼んでいたそうです。お父さんの代からは、さらに木の価値を高めるために、長さや太さが細かく指定される注文材に対応できるようチェーンソーを使って自分で伐採までするようになりました。
木の値段が高ければ伐り過ぎてはげ山になったり、昭和55年頃をピークに木材価格が下がり続けたことにより山林を手放したり放置する林家が増えるなど、ここ40年ほどの間に林業が衰退していきます。人工林が荒廃していくなかで、鈴木家は山を荒らすことなく、自伐林家の道を選び、1本ずつ手を掛けて100年以上の木を育ててきました。最近では古いヒノキが名古屋城の天守閣復元に使われ、先日出荷したものは首里城の復元に使われる予定だそうです。他にも、仲間と一緒に磨き丸太の工場を作ったり、お供え物用のサカキや切り花として使える木を林内に植えて販売したり、工夫して林業を営んできました。
鈴木さんの代になってからは、所有山林を歩くガイドツアーを実施したり、NHKドラマ「ふるカフェ系 ハルさんの休日」に私と一緒に出演した際には、木でできた小道具を用意してほしいと頼まれて、天竜スギの椅子を作ってみたり。面白いと思うものに果敢にチャレンジするのは鈴木家の血筋なのかもしれません。
鈴木さんは、天竜林業研究会の会長や森林組合の理事を務めていて、天竜の林家の代表としていろいろな場に呼ばれるほどの立場にありますが、子どもの頃は「絶対に林業を継ぎたくない」と思っていたそうです。
近所の林業高校には進まず、普通科を選ぶほどだった鈴木さん。けれども、近所の自伐林家の跡継ぎで年の近かった熊平智司さんから「一緒に林業やろう!」と誘われていたそうです。そして、両親の期待もあり、高校卒業後は静岡県立林業大学校(現農林環境専門職大学短期大学部)に進学することに。林業の基礎を学び、卒業後は天竜森林組合で修業をしたのちに、家業を継ぎました。
せっかくの機会なので林業を継ぎたくなかった理由を詳しく聞いてみたところ、「家の手伝いのたびに丸太を人力で引っ張り出すのがきつ過ぎて、嫌だった。泥臭くて、時代に逆行している気がした。でも今は、山から採れる物のおかげで家族で仕事を回すことができることに感謝している。知らん間に、一周回って時代が追い付いてきたようだ。」と話してくれました。それなのに、通りがかったお母さんには「あなたが死んだら次の日に、うちの木全部伐ってやるって話してただよ!」と強烈な親不孝ギャグをかまし、私がコメントに困っていたら、お母さんに「そ~んなことしちゃいかんよ。ねぇ?」と軽くいなされました。こんなやり取りをずっと繰り返してきたのかもしれません。引き継ぐものがあって、いつもそれを意識していることが代々続いてきた秘訣でしょうか。
「オジイサも、オヤジもオレも、その時代のやり方や細かいところに違いはあるけど、間伐ではいい木を残して大きな木を育てたいというビジョンは変わらない。だんだん完成形に近づいてきてる気がする」と思いを聞かせてくれました。鈴木さんと山の話をしているときはいつも、私の普段の生活では感じられない、ずっと続いてきた時の流れを感じます。今回の取材で鈴木家の森づくりについて今まで知らなかった詳しいお話を聞くことができました。現在の美しさだけでなく、この森や木の将来の姿を思い描くことが楽しみになってきて、前よりよいものに思えてきました。次の代も、そのまた次の代も、ずっと、続いてほしいと願わずにはいられません。
近ごろは「SDGsに貢献するから」と森林や林業が注目されるようになり、新聞やテレビの取材をたくさん受けるようになった鈴木さんです。「SDGsってよくわからないし、環境のためにやってるって気持ちも、実はあんまりない。いい木を育てることと、山のもので生活できるこの暮らしが気に入っていて、鈴木家が続いていってほしいだけだよ。そんな暮らしをする人が増えるのはいいんじゃないかと思うけど」というのが本音だそうです。
適切に手入れされた木は100年以上たっても成長を続けます。きれいな水や空気を育み、人だけでなく多くの生き物にとって心地よい空間をつくりながら、高品質な木材や山の恵みで生計を立てている自伐林家は、持続可能な森林経営の一つの形です。これは立派なSDGsの実践だと思うのですが、本人にそんな気はないようです。右肩下がりの林業界が「二酸化炭素吸収源だ!」「もっと補助金を!」とSDGsに乗っかろうとするのとは根本的に違いがあると感じます。
最後に「最近は米作りや炭焼きなんかを友だちと始めたんだよ」と鈴木さんの実家からちょっと離れた田んぼに案内してくれました。始めたばかりの一昨年は10キロくらいしかできなかったけれど、昨年は200キロ収穫できて、山の水で育つお米はおいしいと好評だったそうです。今年は私も手伝って、お米を分けてもらおうと心に誓い、取材を締めくくりました。
天竜林業の文化を担ってきた自伐林家は鈴木さん以外にも数軒ありますが、まだ跡継ぎの決まっていない家もあり、文化遺産に指定して保護したいぐらいだと思っています。しかし、森林利用における国の方針は、所有と経営の分離を進め、質よりも量を重視しているため自伐林家への支援はあまり期待できず、もう絶滅危惧種と言ってもいいでしょう。
「それぞれの個性を伝えたい」、「流通が複雑な木材の中でもしっかりと顔が見える木をもっと活かしたい」そして、「とにかく続いてほしい」。自伐林家について、いろいろと思うことはありながら、伝えるスキルやアイデアもないまま、もどかしく過ごしていたところに、今年1月に静岡県の森づくりミーティングのパネリストを務めた森ノオト理事長の北原さんから、主観を書ける森ノオトライター講座を紹介していただき、思い切って受講しました。片道2時間以上かけて横浜に通い、この原稿に向かう今、まさに想像以上の産みの苦しみを味わっています。
最後の講座と編集会議を経て、読者のみなさんに山奥でひっそりと美しい森を育てる人とその暮らしの魅力を少しでも伝えられる記事になっていることを祈ります。
今後も森と木と暮らしをつなぐ記事を届けたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
屋号「山中(やまなか」」12代目当主 鈴木将之
「うちは商売が下手だから、街の人とつながったら何か面白いかもしれないな~」と鈴木さんからコメントをもらいました。森ノオト特製ガイドツアーを山田が企画するかも⁉
天竜林業研究会 https://tenryurinken.net
天竜の自伐林家の紹介はHPをご覧ください。
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