デジタル時代に「書道」ってどうなの?なんて思われるかもしれませんが、ぜひ、ぶらりとお店に立ち寄ったような気分で祥雲堂ヒストリーとそのこれからを覗きみてほしいと思います。
私が祥雲堂に出会ったのは、20年ほど前になります。
原付バイクをトコトコと走らせているとある日、いつも通る町田街道沿いの交番を通り過ぎたところにある交差点の傍らから、ふいに「書道」の看板が目に飛び込んできました。
それからずっと気になりつつも、小さな入口と窓からは店内の様子が見えづらかったため気後れし、しばらくお店の扉をたたくことができずにいました。
私自身、書道をやっており、まさにこういった専門店で自分に合った筆を選び購入してみたいと思っていたタイミングでもあったので、とうとう勇気を出してお店の扉を開けたのです。
そこは決して広くないながらも、所狭しと書道用品が並んでいて、まるでおとぎ話に出てくる「魔法使いの店」のようで、一瞬で私の心はときめいたのを今でも覚えています。
そんな祥雲堂ですが、2010年に町田駅に近い現在の場所へ店舗も移転、さらに近く代替わりをされると伺い、ぜひ話をお聞きしたいと思い、これからお店を引き継いでいく加藤雄大さんに取材を申し込みました。
取材に訪れたのは花冷えの雨の日でした。少しフワフワした足取りで道中を歩いていると、店内の入口近くに加藤さんの姿が見え、やっと地に足がついたような気持ちでゆっくりと扉を開けました。
一歩お店に足を踏み入れると、どこか懐かしい気持ちになる墨の香りにふんわりと包まれます。壁一面の筆、紙の入った箱の山、ショーケースの中には固形墨や硯などがいっぱい並べられており、まるで宝探しのよう……!
かといって専門的な道具だけでなく、小学生の書写でも使えるような1,000円台の筆や墨液もおいてるので、お子さんの道具が替え時となったら駆け込み寺としても気軽に利用できます。
まずは、私にとって少し謎めいていた、祥雲堂の歴史を紐解いていきたいと思います。
ことの始まりは1977年、まだまだ日本経済が活気に満ちていた頃、先代の関口敏男さんが脱サラして行商からスタートされたそうです。
「“何をやっても上手くいく!”そんな機運があったわよね、あの頃は」と語るのは、加藤さんと一緒に取材に答えてくれた、2代目で敏男さんの妻、関口幸枝さんです。
敏男さんはご家族に介護が必要となったとき、友人から「書道用品販売」っていう仕事があるよとお勧めされたことをきっかけに、会社勤めよりかは自分でやろう!とこの仕事を選ばれました
最初は地元である湘南エリアの書家宅を、軽トラで訪ねて周りました。
「一生懸命にやってるとね、あそこにも書家の先生がいるよって教えてくれるようになってね、それで広がっていったのよ」。
その頃には書家の作品を掛け軸などに仕立てる表装の仕事も増え、時代の勢いもあり、流通のよい「町田」に店舗を構えることになりました。
それが1981年オープンの1号店です。
1987年には2号店に場所を移します。私が出会ったのもこの店舗です。
その頃、「お習字」「そろばん」はダントツ人気の子どもの習い事でした。
「みんながお習字をやってるような時代よね、ピアノとか水泳とかは少なかった。それが今では学校で扱う時間も減ってるでしょ、他の授業が忙しいと書写の時間が削られてしまったり。学校の先生はお手本も書かないし、墨だってすらない、道具も既製品のセットばかりで味気ない……。字の形よりも、墨をすって線を引いてみる、それだけで書の楽しさを感じられるのにね」。
幸枝さんの言葉に私は、お話を聞きながらも何度もうなずいてしまいました。
そんな中、敏男さんが亡くなり、バトンは幸枝さんへ渡されます。
「やるしかない!」その一心で、先代の残してくれた道標を頼りに幸枝さんはお店を続けてきたそうです。
先代からのバトンを受け継ぐということは、きっと色々な苦労や逆境もあったのではないかと想像したのですが、幸枝さんからは苦しかった思い出は何一つ語られませんでした。「この世の中って、自然となるようになるって思うのよ」。あっけらかんと笑顔を見せる2代目の、その芯の強さがあったからこそ、今日まで祥雲堂を残してこられたのかもしれないなと感じました。
そして、人通りがよく騒がしすぎない、現在の3号店に場所を移した頃、だんだんと時代の流れも変わってきました。
デジタル化がグンと進み、書の在り方同様、お店の運営にもアップデートが必要と感じてきたそうです。
そして2022年夏、3代目のバトンを受け取るべく加藤さんは祥雲堂で働き始めます。
というのも、加藤さんのお父さんは書家であり、幼少のころから関口ご夫妻との親交があったためいわば親戚のような関係なのだそうです。
「受け継ぐ」ということへの、加藤さんの思いを尋ねてみました。
「父が書家であるものの、自分は全く書をやってこなかったんです。前職も書道とは全く関係のないIT関連企業で営業をしてました」。
そう、加藤さんは現在34歳。
デジタルに通じた若くて、今っぽい柔らかさのある、笑顔の優しい方なんです。
「最初は大丈夫かなぁ、という気持ちはありました」。その言葉とは裏腹に、とても落ち着いた話し口調。
祥雲堂のInstagramを開設されたり、横田基地内で外国人向けの催事に出店したりと、どんどん行動を起こしています。
加藤さんの不安な気持ちに、背中を押してくれたのが妻である加藤友美さん。
この4月から友美さんもスタッフとして加わり、ゆくゆくは夫婦二人で運営していくそうです。
「妻に相談したら、『いいじゃん、おもしろいからやってみなよ!』って言ってくれたんです。その言葉がなければ迷っていたかもしれません」。
「これからもっともっと勉強して書の魅力を自分の言葉で伝えられるようなりたいです。そしていつか、加藤雄大の店、と言ってもらえるようになりたいですね!」と穏やかな表情でありながも熱く語ってくださいました。
書の歴史も然ることながら、祥雲堂の歴史もまた長い!
プレッシャーは感じなかったのでしょうか。
「もちろんありますけど、幸枝さんを慕うお客様が多いにも関わらず、その幸枝さんが自分に声をかけてくれている。それに、2代目の肩の荷を下ろしてあげられるのは、自分しかいないと思ったんです」。
プレッシャーの裏側には加藤さんの、幸枝さんを思うまっすぐな優しさと、歴史を背負う強い意志がありました。
芸術の分野でもデジタルがメインストリームとなりつつある今、書のこれからはどうなるのだろう、そんな疑問を持たれる方もいるのではないでしょうか。
これからの祥雲堂についても尋ねてみました。
「例えばですが、“エモい”や“マインドフルネス”のような今の感性も取り込んでいければいいな」と続けます。
「ただ、そこで大切にしたいと考えているのは、バランス。“伝統”と“今らしさ”の両輪で、まだ書を始められていない方に興味をもってもらえるようなお店にしていきたいですね!」と語ってくれました。
加えて、道具の背景も知ってもらいたいと幸枝さん。
今まさに物価上昇が続いていますが、書道用品も同じです。
紙がどこで作られて、どうやって運ばれるのか、輸入品が多いことなど、知らない方が多いそうです。
サステナビリティがあちこちで語られる時代において、背景を理解して物を選ぶ大切さは、書道の世界にも例外なく言えることだと、私自身考えます。
ちょうど執筆をしているさなか、気になるネット記事を目にしました。「やっておけばよかったと思う習い事」というような内容で、ランキング形式に、理由が添えられたものです。
調べてみるとさまざまな調査があるようですが、「習字」「書道」はどの調査でも上位に入っていました。
加藤さんご自身も仕事でさまざまな人と接していると、潜在的に「書道に興味がある」という人は実は多いと感じるそうです。
SNSやネットニュース……。
デジタル文字ばかりを目にする毎日の中で「手書き文字」は、書く側にも、見る側にも、新たな価値や魅力を与えているかもしれません。
満開になりつつある桜を眺めながら、私は思いを馳せました。
祥雲堂はこれからもずっとそこにあり続ける、大樹のような存在。
書に関わる一人ひとりがミツバチになって、歴史や思いを花粉にのせて届ける。
それがこれから書を始めようとする人たちの心に、小さな蕾をつけ花を咲かせる。
歴史をつなぐ気脈が生命のように巡り巡って、きっとずっと未来は明るい!そんな清々しい前向きな気持ちになりました。
町田祥雲堂
小田急線・町田駅北口より徒歩3分
住所:〒194-0022 東京都町田市森野1-33-18
電話:042-725-4700
営業時間:10:00~18:00
定休日:日曜・祝日・第三土曜日
ホームページ:https://www.shoun-do.com/
Instagram:https://www.instagram.com/machida.shoundo/
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