(文= NPO法人パノラマ理事長 石井正宏/写真・キャプション=小幡崇)
*このシリーズでは、「子どもを育てる」現場の専門家の声を、リレー方式でお送りしていきます。
ひきこもった経験のある若者や、学校を辞めてしまいそうな高校生を支援しているのは、なにも使命感に燃えて始めたことではなく、家から15分圏内のやったことのない仕事をするという、謎の転職ポリシーによる偶然だったことを第1回で書かせてもらいました。でも、それはきっと人生の悪戯としてのプランド・ハプンスタンス(偶然的必然)があったんだと思います。そんなテキトーなぼくが起業までして、対人援助職を一生の仕事にさせるような経験が、長い道のりを振り返るとやはりあります。今回はそんなエピソードを紹介したいと思います。
ぼくが以前に勤めていたNPO法人は、まだ若者支援が社会インフラ化する前のミレニアム・イヤー当時、全国のひきこもっている若者の家に家庭訪問をして、家から出てきてもらい、寮で一緒に生活をしながら、自立を目指していくという稀有な支援施設でした。ぼくは、家から出てきた若者を寮で受け入れ、家にいるよりも、ここでの生活のほうがマシだと思ってもらえるようなケアを担当することが多かったのですが、全国に家庭訪問にも行っていました。一番遠くは大分県です。いつ、本人が家から出ると言うかわからない訪問支援で、その時に、対人不安が強く、公共交通機関に乗れなかったらどうするんだ、ということで全国どこへでも車で行くというのが法人の方針でした。大分県から高速を何時間も運転して帰って来た日の夜は、瞼を閉じると白いセンターラインが網膜に焼き付いたように浮かんで見えたものです。
うんともすんとも言わない無機質な扉に語りかけるという、独り言の苦行のようなことをするわけですが、部屋の中で、会ったこともない、顔もわからない若者が身じろぎもせずに佇んでいることを想像しながら、本人が扉を開くのを、或いはこちらが扉を開けても大丈夫なタイミングを全身で感じ取りながら、様々なシチュエーションをシミュレーションし続ける支援です。ひょっとするとナイフを持って襲いかかってくるかもしれないし、部屋の中で自傷行為をすることも考えられる緊張の時間の中で、ぼくは会ったことのない人、つまり“助けてと言わない人”を、保護者からの聞き取りのみから、目の前に現れることのない若者を想像し、最悪の状況を含めた想像を常にする職業的特性を培ったんだと思います。
家庭訪問(アウトリーチとも言います)という支援手法は、本人の気持ちを無視した暴力的な支援として、しばし批判されることも多い支援でもありますし、ぼくはここで家庭訪問をことさらに推奨しようとしているわけではありません。現に暴力的な「引き出し業者」と呼ばれるような支援でもなんでもない団体もあります。そのような人たちは言語道断なわけですが、しかし、助けてと言わない(言えない)ひきこもる人の支援が、ただ待つだけでは、どうにもならない場合が多いと思います。
ぼくがかつて出会った若者の中に、3.11で家が津波に流され、階下ではご家族が亡くなってしまったという壮絶な体験をした若者がいました。その若者は当時2階にいて、辛うじて流された家の中で数日を過ごすことができたそうですが、家から出て助けを求めることはできなかったと言います。寒さと空腹に耐えかね、窓を開けたら自衛隊のヘリコプターが飛んでいて、彼は偶然発見され救助されました。
阪神淡路大震災で倒壊した家の中でも、助けを求めず、このまま死のうと思っていたという若者に出会っています。彼ら彼女らは、徹底的にQOL(生活の質)が落ち、自尊感情を失い、自分なんか生きている資格はない=助けてもらう資格もないと思い込んでいたんだと思います。その後、縁があってぼくに出会い、そんな話を、時折笑顔を見せながら話してくれました。やっと、そんなふうに笑えるようになったんだな、生きていてもいいんだと思えるようになったんだな、と感じたことを覚えています。
家庭訪問をしていて、最後の最後、ひきこもっていた若者が家を出るというシチュエーションがあります。「環境を変えて、人生をやり直してみよう」という言葉掛けに、本人は「うん」とは言えません。もしも親を恨んでいたら、親が連れて来た支援者であるぼくに、そこで「うん」と言ったら負けになってしまうんですね。でもこのままで良いとも決して思ってはいないから、「いいえ」とも言えない。こちらも掛ける言葉が次第に尽きて、永遠を凝縮したような重たい沈黙が支配する部屋の中で、身じろぐこともできなくなるような時間が訪れます。
話は別のケースになりますが、ある当事者家族との面談で、ぼくが考えるモア・ベターだと思える選択(ベストな提案などない)を提案したのですが、ご家族は決めることはできずに、長い沈黙が訪れました。ぼくは決めやすいように選択肢を噛み砕き、最後の背中を軽く押すことはするけど、決めてはあげません。なぜなら、長期的なひきこもり家族の問題は、長期的な意思決定の先送りの結果であることが多いからです。ここで、家族で決めるという手続きの経験を踏むことが、ぼくにはある種の家族支援だと思っているからです。
その日、沈黙を破ったのは、当事者からは義理の姉という距離感のご家族でした。「石井さん、私たちは当事者だから決められないのです」と言いました。同じ屋根の下で暮らす家族だから決められなくなることがあって、第三者にしか決められない問題というのもあって、それが他者への相談なんだと思います。それはそうだろうということはわかっていましたが、何か、その沈黙には、どこか黙祷のような死者を思う時間に似ていて、この先の支援には必要な時間なんだと思いました。今回はぼくの提案に乗ってみて下さい、という形でその面談は終わったと記憶しています。
話を戻すと、「当事者は決定できない」という問題があり、「YES」とも「NO」とも言えない場合がどうしてもあります。社会性とは、社会や自分との折り合いをつける意思決定の連続の中を生きているとも言い換えられるのではないかと思いますが、その意思決定をしない生活を長く続けてきたことで、意思決定能力が奪われている場合もありますし、或いは何らかの精神疾患のようなもので、能力を失っているような状態になっているのではないかと、ぼくは感じています。
その沈黙に永遠と付き合うわけにはいかないし、決められないのなら、決めてあげなければならないこともあります。どこかでこちらも覚悟を決め、「さあ、行きましょう」と本人に立ち上がってもらうことを促します。多くの場合、すっと自分で立って、歩き出してくれます(このような結果になるように、長い時間をかけて本人に安心してもらえるよう努めています)。ぼくはそんな場面を何度も見てきました。そうして思うのは、この人はずっとこの時を待っていたのではないだろうか? ということです。実際、寮を出て自立していく若者から、「石井さんが家に来なかったら、きっと僕はまだひきこもっていたと思う、来てくれてありがとう」という感謝の言葉を何度か聞いています。
「待つ」ことは、ぼくの講演の中でも必ず大切にして欲しいこととして伝えていますが、「待つ」ことが、支援手法として意味を持つのは、ある程度の条件が揃っているときだけなのではないかと思いますし、その条件を整えていくことこそが、支援なのではないかとぼくは考えます。
結局、ぼくが対人援助職を一生の仕事にしようと思ったエピソードには辿り着けませんでしたが、次回の連載では触れられると思いますので、また少しお待ち下さい。
さて、最後に「ぼくの耳鳴りは440Hz」というタイトルについて。長く音楽を溺愛するあまり、ぼくの耳の奥ではいつも耳鳴りが鳴っています。この数年DTM=宅録を再開し、明瞭に音を聴き取ろうとしたり、自分の演奏を盛り上げるためにボリュームを上げてしまうのが良くなくて、ぼくの耳鳴りはさらに大きくキィーーーーーンと鳴り続けています。その音が、弦楽奏者がチューニングする際に欲しがる「ラ」の音の440Hzであるようにぼくには聴こえています。ただ、それだけでこの連載のタイトルを「ぼくの耳鳴りは440Hz」とさせていただいているわけですが、きっと、あとから意味がついて来るような、来ないような、そんな意味のないタイトルは、ぼくが若者支援を美化した希望の光のようなタイトルを付けることへの小さな抵抗なんだと思います。
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