文=まんまるプレイパーク・西田清美/写真=牛久保公園プレイパークをつくる会
*このシリーズでは、「子どもを育てる」現場の専門家の声を、毎月リレー方式でお送りしていきます。
「子どもたちには自然の中で思いっきり遊んで欲しいという気持ちがベースにあるのですが、今小3の長男が小学校に入学した時、放課後に遊んでおいでと言える場所がない!と気づいたのが、プレイパークをつくろうと思ったきっかけです。息子に牛久保にプレイパークをつくろうと思うと伝えたら、当時の息子が『そんなの無理だと思うよ』と言ったんです。それもあって私は、やりたいことがあってもやればできることを息子に行動で示そうと決めたんです。わが子たちと、牛久保にプレイパークをつくると約束したんです」。
これは、「牛久保公園プレイパークをつくる会」代表の小長谷友紀さんの言葉です。
牛久保公園は、センター北駅近くにある都筑区内の公園です。
そして、プレイパークとは、赤ちゃんから大人までが遊びに来られる地域の遊び場です。
まんまるプレイパークも、イベント時には500人もの人が集まって、1日平均30人は遊びに来ます。昨年の利用者数は、21,872人。すごいところだなって思います。
でも、遊び場を作るきっかけは、自分の子ども……なんですよね。子どもとの約束って素敵だな。小長谷さんに許可をいただいて、このエピソードを皆さんにご紹介させていただきました。
私が、プレイパークをつくりたいと思った最初のきっかけは、自分のためだったかも。
「今の子どもは、遊べない」「今の子どもは、ゲームばかりしている」……30年以上前から同じようなことが言われていました。そして必ず「昔はよかった」という話になります。まだ20代独身の私は、嫌な気持ちになりました。自分の育ってきたことを否定されているような感じがしました。「昔は、よかった」って、今に対して何の解決にもならない。
今を生きる子どもたちに対して無責任な言葉……。
そんなとき、実家近くで、地域のお母さんとお父さんが、子どもたちの遊び場づくりのために集まり、話し合い、学びあう現場に立ち会いました。
「無責任じゃない大人がいる。」 ……私の幸運の始まりでした。
真剣に想いを出し合い、おかしいことはおかしいと言える場がある。
そして仲間が集まれば前に進める。
なにかができる。
そんなことを教えていただいた場所でした。
できあがったあそび場は、いろんな人の笑顔にあふれた素敵な場所でした。
「今の」子どもたちが、おもいっきり遊んでいる場所でした。
子育てって楽しそう。
そう、素直に思えた場所でした。
公園は、赤ちゃんからお年寄りまで一緒に集える、一緒に笑える、そんなところ。気持ちのいい空間が子育てを楽しくしてくれます。
「子育てって楽しそう」
「子どもっておもしろい」
「なにかあったら助けてくれる人がいる」
「一緒にやりたいな」
そう思えてはじめて安心して子どもを産んで育てることができるのではないかな。
そう、「一緒にやりたい……」。
私が見た、実家近くのあそび場での子育ては、みんなでやっていた子育てでした。
横浜に越してきて、子どもが生まれて、最初は、孤独でした。
住んだところが1棟しかない社宅。しかもお墓の前。
でも、これがよかった。みんなで子育てがしやすかった。
夕方の一番しんどい時間帯に、一番人が外に出てきて、小さい遊具のある公園でずっとおしゃべり。
お父さんの帰りが遅いから、子どもたちは誰かのうちでお風呂に入って、焼きそば食べて、夜の8時には、解散。そして子どもは寝る……。
そんな毎日でした。
下で誰かの遊び始める声が聞こえたら、靴を履き始めるわが子たち。
「ちょっと、先に子どもだけ外に行くね」と窓から声をかけられる関係。
「押入れのすのこが古くなったから焚火にして焼き芋しない?」
そんな私の無謀な提案も、おもしろがってやっちゃう母たち。
この社宅、最長で7年しか住めず、乳幼児家族か共働きの夫婦しか住んでいなかったので、好き勝手できていたんだな、と今になって思います。
社宅では、いろんなことがありました。
保健師さんの訪問でショックを受ける母。
ご主人が入院、二人の子どもを抱えて看護生活を送る母。
子どものために自分の病と必死に戦う母。
小さい社宅で、たった5年の間に信じられないことが起きていました。
でも一人ひとりが、できることで支えあった毎日でした。
社宅を引っ越した後は、忙しい保育園生活が7年続き、同時にプレイパークを始めて、毎日いろんなことに振り回され、家のことはほったらかし、子どものお迎えにも間に合わない。電話をしている私に、「もーやめて」と叫ぶ娘……。そのうち冷凍庫を開けてアイスを食べることを覚え、電話の時間が長いと冷凍庫のアイスが減る日々。
ひどい親でした。
生活の仕方も教えなければ、勉強なんて全く教えられず。
自分のことで精いっぱい。
それでも小さい頃は、子どもを連れていろんなプレイパークや川や森に出かけ、へとへとになるまで遊んで、何もせずに一緒に寝る……なんて生活でしたが、だんだん子ども抜きで自分だけがプレイパークに通って、帰りが遅く、ご飯は手抜き、家が散らかっているのも早く電気を消して寝たら見えないよ、という生活を送ってきました。もうすぐ3人の子どもが成人します。
こんな母親をやってきた私ですから、現在子育て支援の仕事や、プレイパークで世話人をしながら、今のお母さんたちの子どもとのかかわりを心から尊敬しています。そして自分の子育ては、反省しかありません。
3人が口をそろえて言うことは、「うちの母、よその子は育てても自分の子は、ほったらかしでした」
牛久保プレイパークの小長谷さんの言葉で思い出したことがあります。実は、私まんまるプレイパークを始めるとき、一緒に作っていく仲間と衝突をしました。後にも先にもあんなに感情をぶつけたことはなかったです。
日々悶々としている私に夫は、小さい子ども抱えてそんなに嫌な気持ちをしながら続けることないんじゃない?と、言いました。
そうだ、やめようと思ったときに、一人の友人が、「いいの?ずっとやりたかったことじゃないの?」と私に言いました。
はっとしました。
「自分がやりたかったことを、人と意見が合わないからといってやめてしまう姿を、子どもたちに見せたくないな。たとえ意見が合わなくても一緒にやっていけることを見せていきたいな。大切なことは、きっと分かり合えるはず。喧嘩別れじゃない道を選ぼう」。ちょっと、偉そうでした。「このまま終わったら子どもたちに恥ずかしい」。そんな感じです。
自分ひとりだったらこんな気持ちにならなかっただろうなと思うのです。
子どもがいると、親としての自分は、これでいいのかって思う瞬間があります。
ご飯作らないとき
長電話してるとき
掃除さぼっているとき
に思わないのは、私の情けないところなんですが……。
そんな始まりで続けてきたまんまるプレイパークも今年で15年目。
そして長年代表をさせていただいていた私も昨年で交代しました。
今は、大阪で暮らしています。
親らしいことを何一つしていないのですが、末の娘は、小学校高学年や中学校時代につらいことがあると、一人でまんまるに行っていました。(それは、後で気づきました)。長女は、半年間過ごしたアフリカでまんまるプレイパークを紹介していたみたい。そして大学生の息子は、子どもの時は、親がいるから避けていたのに、今時々まんまるに顔を出して、サッカーしたり、近所の子どもたちと遊んだりしているらしいのです。
「子どもが生まれたらまんまるにいけばいいんだろっ」。車を運転しながら ぼそっと言いました。
まんまるプレイパークに助けられた子育てでした。
3人の子どもたち、何かに秀でているわけじゃないけど、家事もできないけれど、いろいろ苦労もしそうだけど。だけど、なんか大丈夫かなって思えました。根拠のない大丈夫ですが。
小さな小さな幸せをたくさん集められるんじゃないかなって。
まんまるで出会ったたくさんの子どもたち、お母さんお父さん、若者たちもきっと大丈夫かなって。
そして何より、大阪という土地で新生活を始める自分も……大丈夫だなって。
(遅ればせながら、今家事を楽しんでいます……。)
子育て中、プレイパークを開催していく中、困ったとき、悩んだ時、たくさんの人に支えていただき、「大丈夫」をいただきました。それが自分や子どもたちの心の糧になっています。今まで出会ったみなさんに感謝の気持ちを込めてこの文章をお届けします。つたない文章を今まで読んで頂きありがとうございました。
※西田さんのコラムは今回が最終回です。今後は、まんまるプレイパークのプレイリーダー「はんす」と、一時保育「さんぽ」の保育士の燕昇司さんにコラムを担当していただきます。
まんまるプレイパーク
毎週月・火曜日 毎月第2・4日曜日 11時から17時
都筑区鴨池公園まんまる広場
牛久保公園開催日は、3/28の11:00-15:00です。
3/28は、愛護会のお花見ピクニックとブックカフェの同時開催
Profile
西田清美(まんまるプレイパーク)
大阪府箕面市出身。そこで「あそぼう会」というお母さんたちの子どもの遊び場づくりをお手伝いしたことがプレイパークに関心を持つきっかけに。結婚を機に横浜市都筑区へ。昨年末より大阪在住。
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