「NPO法人ぎんがむら」主催の防災ワークショップが行われたのは、ほどがや市民活動センター「アワーズ」(横浜市保土ケ谷区)。20名程の参加者を進行するのは塩月崇雄さんです。穏やかな語り口で、とても優しい雰囲気をもつ塩月さんは、なんと7人のお子さんを持つ現役自衛官。東日本大震災後には、災害派遣も経験しています。ご自身で防災対策を考えていくなかで、「自分だけで対策していても意味がない、地域で取り組むべきであり、対話を交えながらワークショップ形式で行うのがベストである」という考えに至ったそうです。
まずは参加者が4グループに分かれ、和やかな雰囲気のなか、自己紹介が始まりました。すると突然、あの警告音が会場に響き渡りました。緊急地震速報の音です。一瞬、静まり返り、黙って座ったままの私たちに塩月さんが言いました。「どう感じましたか? 不安に思いましたか?」
塩月さんによると不安を感じたとき、人間の思考は次の3つに分類されるそうです。(1) 自主解決、(2) 他者依存、(3) 思考停止。多くの人は誰かと同じ行動をとりたがり、自ら考えることをやめてしまうそうです。おそらく私も、「みんなが逃げていないから大丈夫」という根拠のない理由にすがるだろう、と考えているところに、また緊急地震速報の音が。やはり黙って座ったままの私たち。「知っていても動けないのです。災害のことをよく知っていても、自分のことをよく知らないと意味がないんです」と静かに塩月さんが言いました。
ワークショップはここからさらに、自分を知るパートへと進んでいきます。
「みなさん、ここで目を閉じて想像してみてください。みなさんは今、自宅のリビングにいます。緊急地震速報が流れた後、やがて震度6の立っていられないほどの地震が起こります。自分がどのように避難するのか、想像してみてください」
塩月さんの声を聞きながら、参加者全員が目を閉じます。私も、急いでキッチンのガスを確認し、揺れが収まるまでテーブルの下に隠れ、その後情報収集をする、そんな自分を想像していました。しかし、塩月さんの次の言葉で私の想像はガラガラと音を立てるように崩れていきました。「みなさんは今、自分は無事であるということを前提に考えていませんでしたか? 健常者は常に潜在的災害弱者なのです」
潜在的災害弱者、つまり、たまたまその時に病気にかかっていた、落ちてきたもので怪我をした、あるいは旅先の露天風呂に入っていた、など、人は誰でも簡単に災害弱者になりえるということ。このことを想像すらできていない自分を認識した瞬間でした。
塩月さんは、東日本大震災で多くの人が亡くなった主な3つの理由を、次のように解説してくれました。ひとつ目は「狼少年効果」。警報が発生しても津波はこなかったという過去の経験から、多くの人が逃げなかったといいます。ふたつ目は「災害過保護」。身の安全は国と行政が守ってくれると思いこみ、自分で自分を守ることを忘れてしまう。そして、最後は「正常化の偏見」。津波に対する知識は多くの人が持っていたはずなのに、人間は都合の悪いことは考えないようにしてしまうという心理。これらが相互に作用して悪循環を生みだし、あの未曾有の被害をもたらした、大きな要因になったといいます。
「想像できないことに効果的な対策はとれない」
塩月さんが繰り返し言った言葉です。想像したくないことは想像しない、あってほしくないことは考えない。無意識にそうなっていた私は、あの時あの場所にいれば確実に最悪の事態になっていたと思うと、暗くて何も見えない深い穴に落ちていくような気持ちになりました。
さて、ここで沈んだ気持ちになっていた私を救ってくれたのは、次のグループワークでした。同じグループになった方と対話をしながら、自分の防災対策に足りないものを補完し、より発展させていくことを目指します。私が参加したグループは、このワークをリードしてくれるグループファシリテーターの杏さん、相鉄線沿線にお住まいの60代の男性、40代の女性、そして私の4人です。
まずは個人で、「実際に行っている防災対策」を黄色い付箋に書き、それをグループ内で共有します。私は塩月さんの講義を聴いた後で、より一層乏しく感じる自分の防災対策に落ち込みながらも、付箋に書き出していきました。そして、お互いの対策を共有する時間になると、どのグループも話がはずみ、感嘆の声や笑い声などがあふれ、会場が賑やかになってきました。私たちも、水や非常食を常備する、常に携帯電話のバッテリーを持ち歩く、災害時に家族とどこで落ち合うか決めておく、などの防災対策を出し合い、なぜそうしようと思ったのかという話もしながら、ワークは楽しく進んでいきました。
現状を共有し合えたところで、次は、災害発生直後から1カ月後までに考えられる、「起こるべき事象」を赤い付箋に書いていきます。そしてそれを模造紙に順番に並べていくのです。ここまで和やかにワークを進めていたなか、突然、塩月さんから衝撃的なひとことが。「自分がどう死んでいくのか、ケガをしていくのか、家族がどう亡くなっていくのか、最悪の事態を想像してください。イメージできないことに対策はできないんです」。参加者からは唸りともため息ともとれる声がもれました。
それからは思いつく限りの最悪の事象を含め、いろいろと書き出していきましたが、ここでひとつの気づきがありました。災害直後はたくさんの事象が思いつくのに、1カ月後の事象はほとんど思いつかない。模造紙はその部分だけ空白が大きくなっています。被災後の生活に、どの程度の生活の質を求めるのか、そこまではなかなかイメージができないということです。さらにその時、もしも守るべきものがなかった場合、はたして被災生活を乗り越えていく気力が自分にあるのだろうかということが頭をよぎりました。そして実際に多くの方がそのような極限状態に置かれ、それは今もまだ終わっていない。その現実を自分事として考えることがいかに辛く、そしていかに大切なことかを実感しました。
またまた落ちてしまった暗い穴から必死に這い上がるべく、次のワークに進みます。一番はじめに黄色い付箋に書き出した「実際に行っている防災対策」を、赤い付箋に書き出した「起こるべき事象」に対応させていきます。しかし、まったく対策が足りないのです。そこで、「足りない対策」をグループで話し合いながら、それを緑の付箋で書き出していくワークに入ります。ここでも各グループで活発に意見がだされ、模造紙はみるみる付箋で埋まっていきました。対話をするということが、自分に合った防災対策のヒントをお互いに与え合うことつながっていきます。そのプロセスのなかで、私の気持ちも前向きになってきました。そしてワークショップの冒頭、塩月さんが言っていた「防災はワークショップ形式で行うことがベスト」という意味が分ったような気がしました。
最後のワークは、グループ間での共有です。お互いの模造紙を見比べながら、新たな発見がたくさんありました。参加者の中には実際に仙台で被災した方もいて、「手を洗う水がなく、食べ物を掴むときにサランラップがとても役に立った」、「レジ袋がトイレ代りになった」、などの経験談を聞くこともできました。また、グループ内の半数以上の参加者が非常用の笛を携帯している、というところもありました。対話の数だけ、たくさんのアイディアがあるということを実感できたワークでした。
ワークショップは塩月さんのこんな言葉で締めくくられました。「地域の人とつながることも防災対策のひとつです。避難所にいるべき人がいない時、つながりがあれば気づいてもらえるんです。また、知っている人と知らない人が困っていた場合、どちらを助けますか? 地域でつながることで、助け合える人を増やしていきましょう。そして、事後の対応で救える命はとても少ない。事が起こってから一人が救えるのはせいぜい一人か二人。でもこうやって事前に防災の意識を高めることによって、より多くの命を救えることになるのです」
このワークショップに参加してみて、私は考えるべきところを完全に間違えていた、大きな勘違いをしていた、そんな気持ちになりました。自分がしてきた対策は、自分にとって楽な対策であったこと、自分をおろそかにした対策であったこと、さらにそれを無意識のうちにしていたということ。大きな衝撃を受けたとともに、たくさんの気づきを得たワークショップとなりました。自分を知ることが防災対策のスタート地点であり、そして今、ようやくその場に立つことができました。
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