琥珀の子 電気のおはなし第7話
今回は夏休みということで、電気とはなんぞや? という話からちょっと脱線して、日本の電力会社のなりたち、実業界についてのお話をします。現在、全国で10社の地域独占的な電力会社があるわけですが、実は戦前には400とも600ともいわれるほどの民営の電力会社があったんですね。今日までの道のりは、けわしく、実にややこしい! のですが、「電力王」とか「電気の鬼」と言われた松永安左エ門(まつながやすざえもん)さんの生き方に触れながら、東京電力以前の世界をちょこっとかいつまんで見ていきたいと思います。
それでは電気をめぐる時空の旅に出掛けましょう♪

日本で最初の電力会社「東京電燈会社」が開業したのは、明治19(1886)年7月5日。灯油ランプやガス灯に続き、暗夜を白昼のごとくにする白熱電球の灯り。それを広めるのがおシゴトだったので「電燈(電灯)」なんですね。

茅場町に最初の発電所ができて、はじめて電気が送電されたのは開業翌年の11月。その後、麹町、日本橋、京橋、神田と合計5カ所の発電所(当時は電燈局といわれていた)ができます。使用されていたのは「エジソン式直流発電機」という小さな火力発電機で、燃料は石炭、送電範囲はせいぜい2km四方、400灯の契約が限度でした。最初は狭い場所に人がたくさん集まる都心にこそ発電所が必要だったのですね。ちなみに料金は1灯1カ月1円だったとか。

 

しかし、早くも電気市場はいけるぞ! ということで、全国だけでなく東京内でも新規参入業者が増え、競争が激しくなってきます(神奈川では明治23年、今の関内駅近くに「横浜共同電燈」が開業しています)。

明治生まれの起業家たちのキーワードは公益事業である「ガス」、「鉄道」、「電気」で、中でも鉄道と電気は分かちがたく、電力会社が鉄道会社をつくったり、鉄道会社で身を起こした人が電力会社の社長を兼ねたり、買収吸収したりされたりしてるんです。ちなみに出資する人も同じだったりで、例えば、森ノオトエリア、田園都市線にも関わりのある渋沢栄一さんは多くの事業と関わりがありますが、東京電燈の株主でもありました。

東京電燈は、明治28(1895)年には直流の限界を感じて方針を切り替え、当時国内最大級の交流200kWの発電量を誇る浅草火力発電所をつくって、そこから市内に一括して送電しはじめます。

が、そのうちに、日本は火力より水力だ! と水力発電所建設が全国的に盛んに。明治40(1907)年には山梨県の駒橋水力発電所からの長距離大容量送電ができるようになったため、浅草発電所は予備軍扱いにされ、関東大震災でついに瓦礫と化したのだそうです。なんだかちょっと福島の原発事故と重なります……。その後は、足立区に千住火力発電所が建てられまして、昭和30年代まで「おばけえんとつ」として、地元のランドマーク的存在だったそうです。

 

千住発電所&浅草発電所(絵:梅原あき子)

 

大正時代には、各社の激しい競争と吸収合併によって、東京電燈、東邦電力、大同電力、日本電力、宇治川電気という5大電力会社が業界を牛耳るようになってきます。この東邦電力の初代副社長が松永安左エ門さんでした。

中部 ? 関西 ? 九州と広い範囲の電力や鉄道の経営権をもっていた東邦電力は、東京に本社を移し更なる拡大をめざします。大正14(1925)年、震災で立ち行かなくなっていた電力会社を合併して「東京電力」という子会社をつくり、低価格を売りに東京電燈との間で覇権争いをくりひろげたのです。最終的にはこの2つは合併されて、昭和2年、新たに「東京電燈」という会社ができるのですが、安左エ門さんはその取締役の一人となり、東邦電力の社長の座にもつきました。関東 – 九州を傘下にしたのですから「電力王」と言われるのも納得です。それにしても明治 – 大正時代の民間企業の勢いって、想像以上にすさまじかったんですね!

明治8年、長崎県の壱岐島の商家に生まれた安左エ門さんは、「学問のすゝめ」に感動して、東京の慶応義塾に入り福沢諭吉さんに師事しました。資本主義と自由主義経済を学んだ彼は、学問の道には進まずに、銀行員、石炭輸入業など実業の世界へ足を踏み入れ、請われるままに職を転々としています。株で大損したうえに自宅火事が重なって無一文になってもめげず、明治41(1909)年、34歳で福岡と博多間を結ぶ路面電車をつくる「福博電気軌道」という会社を設立してからは終生電力事業に情熱を注ぎ、昭和46年、95歳で亡くなる直前まで仕事を続けました。九州ではガス会社も大きくしたし、電車も走らせたしで人気があり、一度だけ衆議院議員にも当選しています。

平和主義、現場主義で慕われた反面、生まれつき気性が激しく、思ったことは相手構わずに言い、やると決めたらトコトンやるさまは、盟友から「壱岐の海賊」と揶揄されたり、「財界の共産党」と言われたり、「鬼」意外にも、とかくあだ名されることが多かったみたいです。女遊びも盛んだったそうで、残っている写真は晩年の怖い顔のものが多いんですが、すらりと細身で、海外事情にも詳しく、仕事熱心で、金に汚くない、女には優しい、とくれば、まあモテたことでしょう。同じく電力業界にいた友人の福沢桃介(諭吉の娘婿)さんや、小林一三(いちぞう)さんもなかなかのイケメンで、彼らが並ぶと下手な役者よりも目立ったのではないかと想像します。

 

松永安左エ門さん(絵:梅原あき子)

 

昭和にはいると、戦時体制のもとで、電力も国家総力戦のために国有化が叫ばれるようになります。安左エ門さんは国有化に断固反対してきたのですが、時局には勝てず、昭和14年(1941)年には、すべての電力会社は解散させられて、日本発送電会社と9つの配電会社がつくられました。このとき、東京電燈も各地の会社とまとめられて「関東配電株式会社」と名を変えています。

そして戦争が終わり、国有化が解かれると関東配電はなくなり、昭和26(1951)年、現在までつづく「東京電力」が誕生したのでした。はあ、ほんとうにややこしやー。

戦争の間、安左エ門さんは国有化された新会社の経営には一切加わらず、「耳庵」と称して隠居してしまいます。海外事情を知っていただけに戦争に負けることが分かっていたのでしょう。隠居といっても頭脳は明晰、茶をたて、世界の歴史と日本の足下に目をむけて、電力再編による日本再生プランを密かに練っていたのでした。戦争が終わると「今度は僕がアメリカと戦争する番だ」と語り、実際に時の政府からも必要とされて、なんと75歳で現場復帰! 電気事業再編成審議会会長に就任したのでした。

もともと、民営化はアメリカのGHQが強く要請してきたものなのですが、彼らに、日本発送電会社を分割して民営化するという自説を説いて一歩も引かず、GHQのプランとも、他の審議員のプランとも違う、9地域9送発電体制案がついに通ってしまったのでした。このときできた形が現在も続いているのです(現在は沖縄が加わるので10地域10送発電と電源開発がある)。

また、ほぼ日本中を敵にして、「鬼」といわれながら、電力料金の30%値上げを断行して資金不足から抜け出し、戦後の復興への道筋をつけたといいます。主婦からしたら泣きっ面に蜂どころではなかったのですが、そうして集められた資金は無駄なく生かされたと言ってよいでしょう。

安左エ門さんは、これからは電力技術に精通した人が必要だと「電力中央研究所」を立ち上げて理事となり、科学知徳の錬磨と人づくりに邁進しました。「産業計画会議」という私設シンクタンクも主宰して、日本のあるべき姿をつねに模索し、よく人に学び、人を叱り、政財官学をつなげる努力をしています。

80歳で欧米視察にでかけ、石炭から石油への切り替えをすすめ、20年後には原子力だと予言し、彼の育てた人たちが日本での原子力発電の基礎をつくったと言われます。それについては本当に先見の明があることだったのか、評価の分かれるところではあるし、電力を使わないと生きていけない世の中を作った功罪はあるとは思います。でも、もし彼が今生きていたとしたら、常に働く人の側に立っていたことなどから考えて、とっくに自然エネルギーの開発にいそしんでいたのではないかとも思われます。

例えば、今も関東と関西では電気の周波数が違って、融通しあうのに不便なんですが、それを統一した方がいい、ということなどを大正時代から言っていて、それができなかったことを後悔しているそうなんですが、国による統制には反対だけど、業界内で統一できることはした方が全体のためにはいいんだ、とはっきり言える人ってなかなかいないですよね。松永さんは、なにか、何歳になっても無一文からやり直せるエネルギーを持っているようなところがあって、好き嫌いを超えて、とっても魅力的な人物です。

もしかしたら、琥珀の子のほうが、彼ら産業界の人を利用して自らの存在を誇示しているような気にもなってきて、原発を卒業するには、いろんな角度から歴史をみないといけないなあと、つくづく思います。安左エ門さんたちの時代にはできなかったこと、考えもしなかったことができる時代になった現在ですが、これからのくらしを、電力政策をどうするか? 行き詰ったときには、明治の電力民営化時代に、ヒントが隠されているかもしれません。

それでは、また!

次回は、またふらっと海外へ飛ぼうかと思います。

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この記事を書いた人
梅原昭子ライター
引き算の編集が好きです。できないこと、やりたくないことが多過ぎて消去法で生きています。徒歩半径2キロ圏内くらいでほぼ満ち足りる暮らしへの憧れと、地球上の面白い所どこでもぶらりと行ける軽さとに憧れます。人間よりも植物や動物など異種から好かれる方が格上と思っている節があります。
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