半農半Xから専業農家へ。 あおばの農家として生きていく。
林英史さん・瑞穂さん夫妻は、今や青葉区を象徴する若手農家として、マルシェやイベント、メディアに引っ張りだこ。そんな二人が「農家として生きる」と決めた日は、きっと誰もがターニングポイントになった、6年前の「あの日」でした。

横浜市青葉区鴨志田町に住む農家・林英史さんは、たぶん青葉区でもっとも有名な農家さんの一人です。米、麦のほか、年間約70品目の野菜を栽培し、自分たちで直接消費者に売り、届ける「マルシェスタイル」が「はやし農園」流。妻の瑞穂さんお手製の布の幟(のぼり)を立てて、珍しい野菜も一つひとつわかりやすいポップを並べて、ちゃきちゃきと元気よく野菜を販売します。土日なら、可愛らしい看板娘に会えることも。小学校6年生のお姉ちゃん、1年生になったばかりの妹さんも、「お父ちゃん」の仕事が誇りです。

 

1年365日のうち、120日は畑に出て農作業、120日は収穫や出荷の作業をして、120日は街に出て自ら野菜や米を売る。休みは5日とれるかどうか。そんな忙しい農業と直売をやりながらも、「地域の人と毎日のように顔を合わせて、会話を交わして、楽しいですね」(英史さん)、「(就農する時も)不安はなかったです。なんとかなるだろう、と」(瑞穂さん)と、顔を合わせて笑います。

寺家町の小麦畑。「この畑からの里山の風景が大好き」と瑞穂さん。小麦は、栽培中に踏むことで根っこが強くなる

 

森ノオトで初めて林さんを取材したのは、今から6年ちょっと前。東日本大震災の直前でした。当時は都市計画の仕事を兼業するサラリーマンでもあり、「半農半X」から「専業農家」への転身しようかどうか、というタイミングでした。

 

2011年3月11日の東日本大震災、そして原発事故——。私たちの暮らす横浜も放射能に汚染され、2歳未満の子どもには水道水の飲用が制限されるなど、大きな混乱がありました。当時、我が家の長女は2歳。子どもに食べさせるものをどうしたらいいのか、迷いがありました。

 

そんな時、コマデリの小池一美さんが言いました。

「林さんは、野菜をつくっているよ。自分で放射能検査機関に行って検査して、その結果をお客さんに伝えながらも、農業をがんばっているよ」、と。

畑のすぐ近く、「工作室グリーン」のショールーム「グリーンピース」のポニーと鶏の糞をわけてもらって、有機質の堆肥をつくっている。冬場は発酵して湯気が立つほど温かい

 

「震災前までは、都市計画の仕事を続けながら農業もやっていこうかな、という気持ちでしたが、震災がきっかけで、専業農家として生きていこうと、覚悟を固めました。あの時、地域のスーパーマーケットから食料が消えました。でも、私たちは、食料を生産できるわけだから、何かあっても、地域に食べ物を届けることができる立場なのだ、と」(英史さん)

 

しかし、報道やSNSで、放射能汚染に関わる情報がどんどん明らかになり、農作物の基準も揺らいで、刻々と変わる状況のなかで、信念をもって耕作を続けていくのは、並大抵のことではありません。

「苗を育てていいのかな、田んぼの水は大丈夫かな、母乳を飲ませていいのかな……あの時は、農作業をやりながらも、不安が常にありました」と、瑞穂さん。お姉ちゃんが赤ちゃんの時には、「人間代かき」と笑いながら、田んぼで泥だらけになってハイハイさせていたのに、2011年に赤ちゃんだった妹さんには怖くてさせられなかった、と言います。

 

林さんは自ら手塩にかけて育てた野菜やお米を、母乳を測定できるほど高い精度の検査機関に提出し、3種類の放射性物質の合計が3-4ベクレルという数値が出たことを公表しました。「あの時は、作物に対して、娘が病気なんですよとハンコを押して嫁に出すような気持ちがして、つらかったですね。もちろん、離れていく方もいましたが、それでも“無農薬だから安心だよ”とか、“ちゃんと検査してくれてありがとう”と言って買い続けてくださった方も多くて、逆に信頼関係を築くきっかけにもなったのかな」と、英史さんは当時のことを振り返ります。

 

震災直後、私自身もどのように生きるべきか、迷いがありましたが、同じ地域に、日々大地を耕し、食料をつくり、命に向き合っている農家さんがいる、そのことが大きな勇気を与えてくれました。林さん夫妻がここで農地を耕し続ける限り、私もここで地域を耕すことを仕事にしていこうと、震災をきっかけに地域でエネルギーに向き合う市民団体を立ち上げ、森ノオトの活動を広げていく覚悟が定まりました。

 

「実は2011年は、私にとって大きな転換点だったんですね。学生時代から農家に住み込んで、都市ではなかなか農業が成り立たない現実を見てきました、半農半Xを長く続けてきて、いつか農業で生計を立てていこうと漠然と思ってきましたが、震災がもう少し早く起きていれば専業農家への道を諦めていたかもしれません。震災をきっかけに、農家として生産力を増やして地元に農作物を卸していくことにしっかり向き合っていかなければと、フリコが振れたんです」(英史さん)

鴨志田郵便局では毎週月曜日の10時ごろから野菜を販売。「私たちは直売所を持っていないからこそ、街に出て直売しています。昔ながらの引き売りの新しい形でしょうか」(英史さん)

 

農家は、明日から始めようと言っても、職業としてはすぐにできるものではありません。一つの作物が育つのに、種から苗をつくって、育てて、収穫できるのは年に一度。農地を取得していくには、地主さんとの粘り強い関係づくりが大切です。昨年の実績を元に今年の計画を立て、来年につながっていく、息の長い仕事です。

 

林さんが専業農家になって6年。ほとんど休みなしの生活で、今日も田んぼへ、畑へ、そして街へと向かいます。

 

今では15軒の地主さんから農地を任されて、1haの田んぼと5oaの畑を耕しています。近所から馬と鶏の糞をわけてもらって、それを堆肥にして有機質の肥料で野菜を育てています。「無農薬にはこだわりがあるけれど、こだわらない」。農家として生計を立たせるためにも、地域のほかの農家さんと共存するためにも、どうしても消毒が必要な場合は、必要最低限にしてお客さんに情報を公開しています。はやし農園の畑はいつもきれいに整備されており、お子さんやその友達の声で賑わっています。

 

はやし農園は決まった直売所を持っていませんが、地域のいろんなお店や郵便局の軒先にテントを張って、販売の得意な瑞穂さんと手分けをして、年間でのべ200回ほど街に出て直売をおこなっています。「できるだけ端境期(季節の変わり目で野菜が品薄になる時期)が出ないように、常に15種類くらいの野菜をそろえるようにしています」と英史さん。英史さんの誠実な人柄と、瑞穂さんの朗らかさに惹かれて、リピーターも多く、レストランではやし農園の野菜を使うケースも増えています。

 

「消費者の皆さんには、週に1回、月に1回、年に1回でも、地元の食材を食べてほしいですね。新鮮だし、おいしいし、何より“昨年の4月はこれ食べたなあ”と、食で季節の循環を感じるライフスタイルをつくりたいですね」と、英史さん。瑞穂さんは「うちに限らず、◯◯さんのぶどう、△△さんのなし、最高においしい! そう言える関係を地域のあちこちでつくってほしいですね」と話します。

手先が器用で明るくユーモアのある瑞穂さんがつくるポップは、見ているだけで楽しくなる。野菜の食べ方を教えてもらえるのも直売の魅力だ

 

若葉が萌え出るころ、そろそろ田植えだなあと思ったり、灼熱の太陽を浴びるころに真っ赤なトマトで喉を潤し、麦わら帽子をかぶってトウモロコシにかぶりついたり、赤とんぼの群れが飛び交うなか、黄金の稲穂が頭を垂れて、もうそろそろ新米の季節だなあとお腹が動き出す……。地域の農家さんと仲良くなれると、季節の移り変わりと食べ物のつながりが見えて、「農的自然環境」が自分の生活リズムに組み込まれてきます。

 

私たち青葉区民は幸せです。はやし農園という語り部がいることで、地域の景色が色濃く鮮やかに見えて、旬の味覚と連動した季節感を未来に伝えることができます。

そして、地域の農家さんと強く結び付くことは、災害時も含めて、いざという時に支え合える強い安心感を日常にもたらすことにつながります。

 

はやし農園が耕しているのは、畑だけではない。6年ぶりの取材を通じて、しなやかでたくましい夫婦の背中を見ながら、青葉区で生きていてよかったなあ、と、しみじみと感じるのでした。

Information

はやし農園

TEL 070-6664-2747

毎週月曜日に鴨志田郵便局で直売。その他の出店情報はFacebookで。

http://www.facebook.com/hayashifarm/

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この記事を書いた人
北原まどか理事長/ローカルメディアデザイン事業部マネージャー/ライター
幼少期より取材や人をつなげるのが好きという根っからの編集者。ローカルニュース記者、環境ライターを経て2009年11月に森ノオトを創刊、3.11を機に持続可能なエネルギー社会をつくることに目覚め、エコで社会を変えるために2013年、NPO法人森ノオトを設立、理事長に。山形出身、2女の母。
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