ワット(W)、アンペア(A)、ボルト(V)って聞いたことありますよね? これって実は、ワットさん、アンペールさん、ボルタさん、と、みんな実在した人物の名前から採られているんです。これから、彼ら1人につき1話というふうに、順にスポットを当ててお話していきたいと思います。
それでは電気をめぐる時空の旅に出掛けましょう♪
(文と絵/梅原あき子)
さて、今回の主役はワットさん。
彼は、1736年、スコットランドの港町グリーノックで生まれました。父親は船大工でしたが、ワットさんは、理学機械、科学機械の製造修理といった機械工学の世界へと進み、21歳の時に、グラスゴーの大学内に小さな工房を持ちます。なんでもまちなかでは出店許可がおりず、大学の中でなら店を開くことができたのだとか。日本だと反対のような気もしますが、英国では普通のことだったんでしょうか。ちょっといいですね。実際、この場を得たこと、ここで大学教授との親交を結んで蒸気機関の改良に取り組んだことが、ワットさんを大きく羽ばたかせました。
「蒸気機関」というのは、簡単に言うと、熱を運動に変えるしくみです。
その頃すでに、ニューコメンさんという方がつくった蒸気機関が実用化されていて、おもに鉱山の排水用に使われていました。お湯を沸かして出る蒸気の力でピストンを持ち上げたら、こんどは蒸気を冷やしてピストンを下げる、この上下の運動が大型のポンプを動かして、地下水を外に吸い出します。水から生じた蒸気で、水を吸い出す。蒸気機関は、地面を掘っていると必ず溢れてくる「水」に悩まされていた鉱山主たちを救う最新マシーン! だったんですね。
ただ、このニューコメン機関の熱効率はわずか0.5%。石炭をやたら燃やさないと働いてくれません。この燃費の悪さをどうにかしようと、ワットさんは当時のさまざまな技術を結集し、実験を成功させていきました。
1769年にはワットさんは蒸気機関の特許を取得。その後資金面でもよき仲間を得て、1775年にボールトン・ワット商会を設立し、より精度の高い蒸気機関の特許も取って、いよいよ実用向けの製造を開始します。ニューコメン機関よりも石炭使用量が4分の1ほどで済むことから、注文が殺到したそうです。
1781年には熱のエネルギーを上下運動でなく、回転運動に変えるしくみも開発します。他にもさまざまな工夫を重ね、蒸気機関が利用しやすくなると、飛び火するように技術の応用がはじまるんですね。1804年には初の蒸気機関車が登場! これは悲しいかな、レールの強度に対して車両が重すぎて実用化には至らなかったのですが、のち1825年以降には各地に鉄道が開通しはじめ、人やものを大量に運ぶことができるようになりました。
ワットさんは、商業的に成功した後も、知的好奇心の衰えることなく研究生活を続け、82歳まで長生きなさったのだそうです。
そんなワットさんの研究成果を称える意味で、ものを動かす力、仕事の量、そして電力の国際的共通単位としてワット(W)が採用されました。
彼は「電気」じゃなくて「蒸気」の人。「蒸気機関の18世紀」をリードした人物ですが、Wは、家電の裏側をみればたいがい記載されている単位です。電化製品のワット数が高ければ、電気をたくさん使う。つまり、仕事量が多いということが分かります。家電製品のコンセントをつなぐというとても簡単な行為が、約200年前の、イギリスの産業革命の時代にもつながっているのが面白いですね。
と、ここで終わりにしようと思ったら、蒸気の歴史をさらにたどると、あらあらどうして不思議なことに、再び古代ギリシアの時代に遡ってしまうんです。蒸気と電気ってまるで兄弟みたい!
古代ギリシアの時代、エジプトのアレクサンドリアに、ヘロンさんという数学者がおりまして、蒸気機関(スチームエンジン)のつくり方を自分の著作に載せているのだそうです。アイデア自体は紀元前からあったらしいのですが、図を用いて詳しく説明しているということで、ヘロンさんが蒸気機関の発明者ということになっています。
ボイラーでお湯を沸かすと中空の球が蒸気の力でくるくる回るという、この蒸気実験装置は、風の神様の名前をとって「アイオロスの球」と言われています。アイオロスの球は、実用のためというよりは、火の力、水の力、風の力といった天の法則を取り出して、見る、感じるための道具だったようです。
なんだか台所のやかんの音も今日からちょっと神秘的に聴こえてきそうですね。
では今回はここまで。
ワットさんから始まって、思わぬ長旅になりました。
次回はアンペールさんの故郷、フランスへと飛びますよ。
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