●「依存」から「自立」へ。種が教えてくれること
キタハラ: この8月17日(土)に、森ノオトでは在来作物の種を継ぎ守る人々を描いたドキュメンタリー映画『よみがえりのレシピ』を上映します。河名さんが代表を務めておられるナチュラル・ハーモニーにもご協賛をいただき、この地域で「地域の固有の種」に対する関心を高めていこうというねらいもあります。
在来種はまだ一般的にあまり存在を知られていませんが、河名さんがこれまで普及してこられた「自然栽培」とは深い関係がある「種」です。
河名秀郎さん(以下、敬称略): 在来作物とは、その地域に根ざし風土に合った生き物、植物の姿だと理解しています。そして毎年、その土地で生まれた植物の種を自家採種して、種を固定したものが「固定種」と呼ばれています。
今から60年くらい前の高度経済成長期のはじまりに、様々な社会の理由から「売れる種」が市場にあふれ出しました。それまでの自然交配した種とは異なり、人間が人為的に操作した育種が主流になり、それ以降、種が育つために「人の手」が必要になる時代が訪れました。農薬や肥料、有機肥料も含め、人が手を加えなければ作物は育たない、そのような「依存型」の農業に変わっていったのです。
自然栽培の作物は、種子そのものが持っている力を発揮して育ちます。野山で種が落ちたら、人の手を介さずに根を張り、芽を吹いていく。このように自然栽培とは自然の法則にのっとって農業に活用する栽培方法です。自然栽培を行うには、このような「自立型」の種子を必要とし、土の浄化と種の浄化を同時進行していかなければなりません。私は30数年前に「種」のアプローチから自然栽培を進めていこうと農家に訴えてきましたが、有機農業をしている方にさえも声は届かず、自然栽培もまったく普及しませんでした。
自家採種をする理由は、消費者のためではない。ほかでもない農家自身のためだと思うのです。誰かにコントロールされることもない、さらに無駄な経費をカットでき、ローコストでその上持続可能な農業になりますから。しかしその意味は、起業して10年は、ほとんど伝わらなかったですね。
キタハラ: 種を買わなくてもいい、肥料や農薬の代金もかからない、農業資材や、化石燃料も不要になります。
河名: 今の農業は投下資本が大きすぎて、お金も人的エネルギーも膨大にかかります。自然栽培の観点からするとこれらは必要のない無駄なエネルギーですし、環境にも悪影響を及ぼします。その無駄を全部省いて本来のシンプルな農のスタイルを確立できれば、農家にとってはラクで楽しく、食べる人も健康になり、私たちの喜びにもつながります。農家が幸せにならなければ、日本の農業は立ち行きませんからね。
キタハラ: 農業に限らず、私たちの現代の生活は「これがなければ成り立たない」といった常識にとらわれて、完全にしばられている感じですね。
河名: とはいえ私は、高度経済成長期に生まれたF1種(一代交配種)や農薬、化学肥料を全否定しているわけではありません。戦後の食料難や人口増加の時代にF1種によって収量が上がり、食料供給が追いつきましたし、肥料についても同じことが言えます。善悪ではなく、時間的な経過のなかで必要と不必要をいかに見極めていくかということだと思います。
今の時代背景においては、私たちはF1種も化学肥料も役割を終え、不必要だと判断しています。これまでの大量生産・大量消費・大量廃棄の時代から今、農業は量よりも質、適正生産?適正消費の時代にシフトしていくときだと考えます。これまでの60年間の農業の変遷を見てきて、今のままの農業は破滅の道に進むのでははないかと感じています。例えば効率を優先してきたあまりに、おしべのない種や、翌年植えられない種が生まれました。不自然な種は不自然な形で食べる人間の心身や社会に反映してくるのではないかと、容易に予想できます。
昨今、農薬や化学肥料に頼ってきた慣行農法から有機農業に移行する人が増えてきましたが、実は有機でも投入する有機肥料の質によってはよくない作物も生まれてきている。有機農業も堆肥の違いこそあれ「依存型」の農業と言えやしないか。
農業の次のステージがどこに向かうべきなのか、それは「依存型」から脱却して「自立型」に移行することではないかと思います。21世紀は農業のありかたも、そして生き方も、自立の道を歩んでほしい。そして地球全体が自立型社会になっていくべきだと思います。
●種と土の浄化のプロセス
キタハラ: 自然栽培に切り替えることで、種と土はどのような浄化のプロセスをたどるのですか?
河名: 一言でいうと、不自然さを除去するということにつきます。今まで入れてき肥毒(肥料や堆肥、農薬などの異物)を取り去る作業をしていくと同時に、自家採種を繰り返すことで種子の肥毒を解消していきます。
今までの農業は、作物は土で育てるというより、肥料で育てるという観点で行われてきました。その観点から 肥料を入れることは「善」と考えられてきました。しかし、土ができてきた歴史からもわかるように、土はそこに生えてきた植物が朽ち、結果つくられたもの。そしてその土で地球上の植物たちは繰り返し繰り返しいのちをつなげ、クスリの世話になることなく今日に至っています。自然界のどこを見ても、農薬をかけるほどの虫や病原菌に冒されている場面は見ることができません。土は肥料や糞や食品のカスでできてきたわけではなかったのです。自然栽培ではその肥料や糞、カスこそが自然界の土壌バランスを崩し、結果虫や病原菌を呼び込んでいる、と考えます。
近年、世間では農薬に対して「悪」という意識を持つようになっています。しかし私は、農薬が「悪」で肥料が「善」という図式は無理があると考えます。むしろ農薬よりも肥料を施すことのほうに目を向けるべきではないでしょうか。土壌のバランスは人間の計算でつくることはできません。目先の収量アップを得るために肥料なるものを無闇に投入することは、アンバランスを引き起こし、結局農薬必須の農業にしてしまう。
食事を例にすると、栄養偏重主義がすすめばすすむほど、病気が増えるのと一緒です。わたしは自然栽培を通じて、いかにバランスが大事かを気づかされました。
実際トマト一つを見ても、最近の分析技術の進化から今まで未発見だったいくつもの新しい成分が見つかっています。しかもそれら一つひとつがどのような働きがあるのか何も解明されていません。実は今まで私たちが知り得ていた成分や情報は自然界のほんのひとかけらに過ぎない、とても粗いアバウトな要素でしかなく、それだけでトマト全体を理解し判断するのはあまりに無理があるのです。
農業の世界も同じように、人間のわかり得た狭い範囲での知識をベースに肥料学が成り立ってきました。それも無理があるのです。自然栽培の世界では、「私たち人間にはまだまだわからないことだらけだ」ということを前提に、人智で極端に単純化された肥料概念を排除します。同時に、人間も土に習い、栄養学を排除していく。この発想はこれからのライフスタイルをデザインするうえでの一つの判断基準になるのかな、と思っています。
肥料学・栄養学は、全体観からするとわかり得たひとかけの枝葉末節の情報で、無駄ではないがあまり意味をなさないと感じます。大切なのはバランス感覚。バランスこそ「幹」であり、「軸」だと思います。自然栽培の野菜は、その象徴だと思います。
キタハラ: 「この栄養がいい」とマスコミが言えばそれに人が殺到するように、極端なモノカルチャー化に危惧を覚えます。
河名: 今の日本に蔓延しているのは、目先の利をみる文化ではないでしょうか。ある成分を配合した化粧品を肌に塗ったらお肌がプリプリになるとか、ね。効果が出るということは、その効果を出す成分には必ず薬効があるということです。一方で、薬効があるということは同時に反作用(副作用)がつきものです。しかし、その反作用についての情報は流れない。いいことだけしか表に出てこない、副作用については目を向けない文化が今の日本には蔓延しています。
肥料も、まさに作物に対しその場の効果を上げるために作用させるもので、だから反作用としての虫や病原菌が出るというのが私たちの考え方。自然栽培では、効果・効能を追わず、自然界と調和した農業を目指しています。極端に効くような瞬間的な利益を追っても、必ず反作用が起こります。これは野菜だって種だって人間だって同じです。
キタハラ: 自然栽培で土や種が浄化されるまでにどのくらいの歳月が必要なのですか?
河名: 土の浄化は、その畑なり田んぼへの過去の施肥投入量にもよりますが、おおよそ10年くらいは必要でしょうか。種も8年は必要だといわれています。そのクリーンアップする期間を経て、肥料などによる外的な要素が排除され、その土の本来の特性がよみがえります。
在来種はよくカタチが悪いといわれますが、わたしは違うと思っています。種と土が浄化されていくと、いびつだった形からどんどん美しい姿に進化し、左右対称になっていきます。例えば大根の葉っぱは真上から見ると美しい六角形を描くようになり。しかも、虫食いもない。土と種が浄化していくまでにはそれなりの期間と努力を要しますが、やった結果は必ずかえってきます。
●大都市も自然そのもの
キタハラ: 東日本大震災、そして原発事故。3.11を機に私たちの暮らしや価値観、情報への感度は大きく変化したように思います。しかし震災から2年以上が経ち、時代の針が戻り、もう一度高度経済成長を望むような、昭和へ逆戻りするような気もするのですが……。
河名: 大局的な目で見ると、いまこのように地球環境が汚染されていることも、グローバル経済へと進んでゆくことも、善くも悪くも自然の流れの一つのような気がします。その流れに対して恐怖を感じるよりも、いま起こっていることは浄化のプロセスの一つと考えてみてはいかがでしょうか。日本の農業が今後立ち行かなくなる可能性も、人類が新たな病気を得ていくことも、その歩みの結果でしかなく、ではいったい何が根源的原因なんだろうと考え、私たちはその原因に気づいていくプロセス、つまり破壊から共存にむかう過渡期にいるのではないかと思います。
今のこの状態に気づいている人たちのパーセンテージは少ないけれども、よい菌が繁殖して発酵が始まるように、じわじわと気づきが広がっていくと思います。かえって急激な変化は不自然です。戦後、60年かけてこのような農業や社会の情勢にしてしまったのですから、60年かけて新たなる世界を創造するくらいの気構えでいいと思います。わたしはかならず成し遂げられると信じています。断片的に見れば恐怖も不安も起こるかもしれない、淘汰もあるかもしれない。だけど自然界はちゃんと調整していくし、破壊と同時に創造のエネルギーも生み出されると思います。
30年前、私が自家採種の大切さを訴えても誰も耳をかしてくれなかった。しかし、今は自家採種に取り組もうという人は確実に増えています。時が来たんです。在来種にも注目が集まり今回映画になっていくプロセスも、気づきの証ではないでしょうか。新たな芽吹きがうまれているから、あとはそれを成長させていけば、じわじわと広がっていくと思います。
自然栽培の農家は、慣行農法や有機農法から切り替える前は大変だと思っていても、やってみたら美味しいし、楽しいし、経営も安定したと、常にポジティブに語ってくれます。自然栽培は目的ではなくて、ツールだと思います。自家採種と自然栽培をセットに生き方も含めて変化を楽しむことで、様々な醍醐味が生まれます。
キタハラ: 消費者の判断軸も、磨かれてくるのでしょうね。
河名: これまでは閉ざされてきた情報網のなかで既成事実をベースに生きさせられてきた人たちが大多数でした。社会の仕組み自体が、都合の悪い真実を知らされないようになっているのです。だけど今は、自らが知ろうと思えば事実を知ることのできる時代で、このパンドラの箱をこじ開けたのがさきの原発事故だったと思います。
F1の種子も、遺伝子組み換え作物も、今後、思うようには開発が進まない可能性も見えています。今の農業の延長線上に見える景色は、人間が自然のルールを無視して開発すればするほど、肥料を使えば使うほど、虫や病原菌は猛威をふるい農業そのものが成り立たなくなる、わたしにはそう見えています。問題はいつ、誰が気づくかです。行き着くところまで行って頭をぶつけて初めて気づく人と、途中で気づいて修正できる人と、流される人と。それぞれ「気づき」のタイミングは異なるなかで、自然界の営み、作用と反作用で、自ずと調整されていくのではないでしょうか。
キタハラ: 都市生活では、空気や水もきれいとは言えないし、多少なりとも首都圏は放射能で汚染されている時代のなかで、食べ物、着るもの、生き方、トータルで考えて、一つずつ変化を始めることができる。首都圏にナチュラル・ハーモニーのようなお店が増えてきていることを、頼もしく感じます。
河名: 緑がいっぱいあることがイコール自然であるとは限らなくて、大都会も人間が作り上げた構造物も含めて自然界だと私は考えています。自然と都会をパーツに分けて考えるのではなく、山の中に住んでいる人も都市に住んでいる人も、ひとくくりで自然な存在と考えます。自らが自然そのものであり、本来、汚染を浄化できるカラダであることを自覚することが大切です。
田舎だから空気や土がきれいかというとそうでもなくて、農薬や化学肥料でむしろ汚染度が高いこともあります。都会の人ほどクルマに頼らず歩いているので医療費は首都圏の方が地方より安いというデータも出ています。どこに住むかではなく、どう生きるか、ライフスタイルが試されていると思います。
ナチュラル・ハーモニーは東京・世田谷で創業し、衣食住のトータルなナチュラルライフスタイルを提供する複合店舗「ナチュラル&ハーモニック プランツ」は横浜市青葉区の江田からスタートしました。当初は誰も見向きもしなかった自然栽培や、プランツのようなお店も、今では求めてくださる方が増え、事業としても成立し始めています。私は、東京に住む人たちの新しいライフスタイルを応援したい。
物事をパーツに分けて細分化してとらえるのではなく、全体観のなかでトータルにとらえていく。自然と調和した食べ方や生き方は、これからのスタンダードになっていくはずです。いま世の中で起きている現象から、本当にそれが正しいのか見極め、判断して、次のステージに進んでいく。自然栽培は最先端のライフスタイルで発想だと思います。
キタハラ: まさに「ナチュラル・ハーモニー」(自然との調和)ですね。今日の河名さんのお話は、森ノオトの目指すネクスト・スタンダードそのものです。今後とも、どうぞよろしくお願いします!
【キタハラ’s eye】
日本の農業に壊滅的な打撃を与えると言われているTPPの交渉が始まっています。TPPに対して河名さんの意見をお聞きすると、「リスクはあるが、各々が自らの判断力を磨くチャンスでもある。安いからいいと言ったとたんに自らをジャッジし、生きることを閉ざし淘汰される側を選ぶということになるのではないか」と。つまり、自立して生きるのか、自らの判断を国や他者に任せるのかが問われているという指摘に、目が覚める思いでした。
森ノオトは「ECOLOGY」を標榜しているメディアです。エコロジーの本質を考えた時に、例えば効率的にエネルギーを運用するとか、極論を言えばLED照明を使うことがECOという最近の風潮に、疑問を抱いています。エコロジーとは、人間社会と自然界が調和する、相互に循環の輪にある関係を表す概念だと理解し直すと、河名さんのおっしゃる「自然栽培」的な生き方は、まさにエコロジーそのものだと言えます。
「ナチュラル・ハーモニー」という会社名に込められたメッセージ。大都会での生活も含め自然界そのもので、その中で自らを調和させていく、多いなる勇気をいただきました。今後も、様々な場面でナチュラル・ハーモニーとご一緒できることがあれば……と思っています。
河名秀郎(かわな・ひでお)
ナチュラル・ハーモニー代表。1958年生まれ。16歳の時に姉の死に直面し、医療の無力さと健康の大切さを痛感する。大学卒業後ハーブティー会社に就職するも、大自然と調和する生き方を自らの肌身で感じるために1年間千葉県の自然栽培農家に住み込み、農業修行をする。1986年に世田谷区下馬に3坪ほどの八百屋を開店し、ナチュラル・ハーモニーを設立。1991年、青山にレストランを持つ。2000年には横浜市青葉区荏田西に衣食住の総合的なライフスタイルのお店「インターナチュラルガーデン プランツ」を開店。2007年春に「ナチュラル&ハーモニック プランツ」に名を改め、横浜市都筑区のノースポート・モールに出店。
東京・銀座の「ナチュラル&ハーモニック 銀座」、レストラン「日水土」、埼玉県越谷市の「ナチュラル&ハーモニック レイクサイド」などいずれも連日盛況で、一般消費者向けのナチュラル&ハーモニックスクール「医者にもクスリにも頼らない生き方―自然栽培から学ぶ―」は全国各地で開催され多忙な日々を送っている。
著書に『自然の野菜は腐らない』(朝日出版社=刊、2009年)、『本当の野菜は緑が薄い』(日経プレミアシリーズ=刊、2010年)、『野菜の裏側』(東洋経済新聞社=刊、2010年)、『日と水と土』(朝日出版社=刊、2010年)など
オフィシャルサイト「ナチュラル・ハーモニー」
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