私たちがお邪魔したのは、大倉山駅から少し外れた港北区役所にほど近い一軒家「まめどスペース結」です。地域のためにお家を開放したいというオーナーさんの希望から、鈴木さんたちに声がかかり、企画のコーディネートをするなど2013年8月のオープンに向けて協力し、週3回カフェ・ミエルを運営しはじめました。
鈴木さんが地域活動に目覚めたのは、ご主人の転勤先、北海道札幌市での「公園あそびの会」の立ち上げがきっかけでした。行政の主導で行われる公園の再整備に、大学教授や環境系の有識者が加わり、市民参加を呼びかけていたのだそうです。当時、小学生二人の母親だった鈴木さんは、やはり子育て中の元気なママさん10数人と一緒に、冒険遊び場をつくったり、冬にはかまくらをつくって泊まったり。子どもたちとの遊びの計画をたくさんたてるうちに、公園が自分の、地域の、みんなのものと感じるようになりました。現在は、すでに社会人と大学生になったというお子さんたちも、この北の大地で過ごした日々の楽しさを覚えているそうです。
市民が集える活動の拠点があるといいなという想いもこの経験から生まれます。必要なものは自分たちで作るという、シンプルゆえに強い想いは途切れることなく、大倉山に戻ってからも公園子育てサポーター養成講座を受講するなど、市民参加の場づくりに向けて積極的に動き、新たな仲間とつながっていきます。
大倉山のカフェ・ミエルがオープンしたのは2010年11月3日。その年の6月にI.S.B公共未来塾(社会的起業を目指す起業家やスタッフを養成するビジネススクール)の一期生となり、商店会から持ちかけられた地元産の蜂蜜を売るアンテナショップの話をもとに、コミュニティカフェの提案をしたら、見事開店資金の支援を受けられることになったのです。これで逃げ場がなくなり!? 覚悟してカフェ運営に乗り出したのだそうです。
その頃ちょうど国土交通省からのお達しで、商店街振興組会と横浜建築業協会、横浜市が組んで「セメントから人へ」と、衰退するまちを盛り上げる総合サービス事業をつくる動きが重なっていました。商店会の会長も若い方で勢いがあったのでしょう。2010年11月、フランス語で蜂蜜を意味する「ミエル」がめでたくオープン。鈴木さんたちミエルのメンバーは、カフェの運営と合わせて、市民が集える講座やイベントをしかけて地域活性に挑みます。
しかし、それから半年経たぬ間に東日本大震災がおこりました。誰もが方向性を模索せざるをえない沈んだ雰囲気の中で「地域」というキーワードがかえって注目されるようになりました。「新しい地縁」が欲しいと、都心に通っていた若いママたちの意識が変わってきたのです。鈴木さんたちがやってきた市民主体の地域活動の意味や、価値に気づく人が少し増えて、次の新たな拠点づくりへとつながるんですね! その年の12月に法人を設立し、NPO法人街カフェ大倉山ミエルとして、カフェで新たに活動を始めます。
2013年8月に「まめどスペース・結」がオープンして、2014年1月からカフェ・ミエルが結の中に出張ミエルとして営業を始め、4月には、全面移転し、週3回営業に。また2014年1月には駅をはさんで反対側、エルム通り沿いにコミュニティスペース「大倉山おへそ」がオープン。今また新たに大倉山おへそを中心にして「グローカル大倉山プロジェクト」がはじまっています。グローバル(国際的)とローカル(地域)をかけあわせたという楽しげな企画で今後の展開が気になります。
社会的起業、市民参加のまちづくり、そうしたことばを良く聞くようになりました。とはいうものの、地域の課題を解決するソーシャルビジネス自体が、一般的にあまり理解されておらず、市民がビジネス感覚をもって市民のための居場所をつくるという活動をどう受け入れたらいいのか、またその場をどう活用したらいいのか分からないという人も、まだ多いそうです。鈴木さんたちは、理想とする場づくりに向けて、「もっとこうできたら」とビジョンを描いています。次から次へと、できることを探してチャレンジし続ける姿勢にはなんだか頭が下がりました。
実は、9月にはじまった「かながわボランタリーエースプログラム」の10の参加団体に森ノオトも大倉山ミエルも入っていて、これから数回にわたり顔を合わせて同じ時間を共有できることになっています。お互いに大きな課題となっている、資金調達、経営という視点をもって活動を見直し、事業計画をたてることになっているのです。
港北区、青葉区ともに人口30万人を超える大都市です。コミュニティとはなんだろう、コミュニティカフェとはなんだろう、と考えて未だしっくりする答えが見つからない私ですが、そういう意味でも、これからの鈴木さんの、大倉山の女性たちの動きが楽しみです。
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