私と「こども映画教室」の出会いは、2014年3月。
近所の図書館で何気なく手に取ったチラシが、こども映画教室のイベント告知でした。“カメラ好きの我が子は興味をもつかもしれない”という気軽な理由で申し込み、会場である世田谷ものづくり学校(IID、東京都世田谷区)に長男を送り届けました。スタッフ数名が迎えてくれ、「はい、お母様は上映会の時間にまたお越しください!」と受付が済んだらサッサと戻され、少し拍子抜けしました。
数時間後の上映会のとき、私が見たのは驚きの光景でした。
劇場作品の制作発表会見さながら、舞台の上に立ち、グループごとに撮影した1分間の“映画”を発表しているこどもたち。みどころや苦労した点などを熱弁するその姿は、監督そのものでした。
誰も知り合いのいないなか飛び込んだはずの長男も、参加しているメンバーとはかなり打ち解けた様子で、マイクを握り締めしゃべり続けていました。その表情が、これまたとびっきりの自信に満ちあふれた表情で、「これは、連れてきて良かったな、なんか、すごいなここ」と胸がどきどきしたことを覚えています。
その後、夏に横浜で開催された3日間のワークショップを含め、こども映画教室には何回か参加してきましたが、ここ数年のワークショップの人気っぷりはすごいもので、抽選になることも多いのです。
こども映画教室のファンとして、代表の土肥悦子さんへの念願のインタビューがかないました。
■見たい映画が見られない!ならば自分で映画館を作ってしまおう!
こども映画教室が始まったのは、石川県金沢市です。
1995年、土肥さんは結婚を機に東京から金沢に生活の拠点をうつしました。転居翌年の1996年には東京発の「’96・イラン映画祭」を企画し、全国を巡回するとともに金沢でも自主上映会を開催してきました。もともと映画が大好きで、フランスに留学して映画を学び、その後映画会社で働いていた経験がある土肥さん。映画のない生活など考えられない! という土肥さんが転居してふたをあけてみたら、金沢市内には自分の観たい映画を観られる場所がなかったそうです。
その後、1997年の8月に長男が誕生します。長男が生まれてからはしばらく育児に専念したものの、土肥さんの映画への情熱が衰えることはなく、1998年12月に、石川県で唯一のミニシアター系の映画を扱う映画館「シネモンド」をオープンさせたのです。子育てをしながら映画館を運営する土肥さんを支えてくれたのは、金沢のママ友たちと、自主上映をしているなかで出会った映画通たち。彼らはその後、シネモンドのスタッフとして、長く土肥さんとともに動いていくことになります。
ここまでの流れを聞くだけでも、とてもスピード感があり、驚きます。実は、約5年間の金沢生活の間にお子さん2人と映画館を生み出し、その後、今や人気絶頂のこども映画教室をスタートさせた土肥さんを突き動かしていたもの、それは「映画が好き!」という気持ちに尽きるのです。
■映画館作りに奔走していた時期に見つけた「夢」
映画館シネモンドが軌道に乗り始めた2001年、土肥さんは東京に戻ってきました。
その後、お子さんも増え、3児の母となった土肥さんは、“映画が人と出会う出口を失いたくない”という思いで、「公設民営の映画館をつくることに情熱を燃やしていた」といいます。
一口に、映画といってもいろいろで、大人数を呼び込む映画もあれば、商業目的とは一味違ういわゆるミニシアター系の映画もあります。現在、シネコンなどに小さな映画館が駆逐されつつある状況にありますが、世界を知る窓口となるドキュメンタリー映画や、良質なミニシアター系映画と人々が出会う機会がなくなることを土肥さんは危惧しているのです。さらに、(予算の小さな)小さな映画館の従業員が、結婚して子どもを産めるという環境をつくりたいという思いがありました。
実は、こども映画教室は、公設民営の映画館ができれば、こどもの文化・芸術系の教育コンテンツとして、こんな活動ができますよ、というプレゼンテーションのひとつとしてスタートしました。
この頃、土肥さんの忙しさはピークに達します。0歳、2歳、4歳のお子さんを育てながら、住まいのある東京とシネモンドのある金沢を往復し、行政をはじめとする様々なところと交渉する日々。“映画のために”必死で活動するなかでも、当然、母親でもある土肥さんの体は母乳を作り続け、「母乳をトイレでジャアジャア搾っていた……」そうです。「私はいったい何をしているんだろう」「私はもう金沢に住んでいるわけではないのに……」そんな行き場のない思いが交錯していました。
身も心も限界に達した時、集めた署名をもっても行政に受け入れられず、「公設民営の映画館」をつくる! と、ふり続けていた旗を静かに置いたそうです。
このとき、「こども映画教室の企画だけは手放したくなかった」と、土肥さんはいいます。それはなぜかと問うと、「面白かったから」と、とてもシンプルな答えが返ってきました。こどもを持つ親だったからこそ、頭の片隅には“映画”と“こども”という二つのキーワードが確かにあったと言います。こうして、こどもたちと映画が出会う場としての「こども映画教室」が生まれました。
■大人やプロにはない発想で映画をつくり上げるこどもたち
2004年、チリの映画『100人のこどもたちが列車を待っている』に出てくるアリシア・ヴェガ先生がやっている手法を参考に、映画を観る+工作をメインにした映画教室を始めました。金沢市民芸術村を会場に、金沢コミュニティシネマ推進委員会主催で行われました。そして2007年に講師として招いた中江裕司監督が、「映画を撮ってみよう!」と言ったことをきっかけに“映画を撮る”というワークショップにふみきりました。
ここで、こども映画教室を詳しく知らない方のために、ワークショップで大切にしていることをご紹介します。
・ 本物の大人に出会う
・ 大人は口出ししない
こどもたちは、土肥さんのもとに集まってきた“映画が好きで好きでたまらない、実際にプロとして活躍しているスタッフ”たちに囲まれて過ごします。
こどもが好きなスタッフもいれば、こどもの相手には不慣れで戸惑うスタッフもいるそうです。それが、ワークショップが終わり、作品を発表するころになると、みんな“わが子”のような感覚になり、舞台袖から手に汗にぎりながら“がんばれ”とつぶやいている親心をもってしまうスタッフが続出しているというのに驚きます。
土肥さんいわく、「好きなもの(映画)を通して仲良くなっているから、大人とこどもという上下関係みたいなものもなく、一緒に作品を作り上げた同志みたいな関係になっているんだよ」と。
なるほど、ワークショップに参加している大人もこどもも、目をキラキラ輝かせ、誰がこどもで誰がスタッフなのか、その境界線が一瞬わからなくなるほど、夢中になっている姿が印象的なのです。
そんな映画好きなスタッフにとって、映画をつくるなかで“教えない”というルールは戸惑うはず。ですが、土肥さんから何度も“教えないでね”と言われ続けたスタッフは、そこをぐっとこらえます。
すると、変化がおこるといいます。こどもたちは、映画の作り方を知っている大人では思いつかないような、もしくは怖くてできないようなやり方で、何度も意見をぶつけながら、ひとつの作品を作りあげていくといいます。
「こどもが何かを見つけるチャンスをつぶさないようにしたい」土肥さんの考えのもと、スタッフたちはこどもが自らの力で気がつき行動にうつすまでをじっと見守ることを徹底してきているのです。
おそらく「こうやってやるといいよ」と教えることができたら何倍も楽で早道のように思いますが、教えることを我慢して我慢して、こらえた先には思いがけない新鮮な発見があるのが、大人スタッフにとっても面白くてたまらない瞬間なのだろうと思います。
■映画が好きで好きでたまらない! そこから生まれる幸せ
金沢から始まったこども映画教室は、2013年から東京でも開催されるようになり、今では全国から「やってほしい」という要望が相次ぎ、弘前、相馬、尾道など地方都市での開催も増えました。また、昨年度は横浜市の公立小学校の授業の中での映画教室も実現しました。
今までも、「わが子が夢中になる姿に驚いた」「こんなに輝いた表情をするなんて知らなかった」という保護者の方からの声があり、普段過ごしている学校での姿とは違う表情、活躍を見せる子どもたちが多くいることから、“教育的意義”のある映画教室という一面が取り上げられることもあります。
特に公立小学校で開催したときには、日常生活と同じメンバーで行っているのにもかかわらず、それぞれのこどもの新たな一面を発見し、またそれをお互いが認識し合っている、いまだかつてないくらいの教育的効果があったと、担任の先生から感想が聞かれたといいます。
しかし土肥さんは、「教育的意義はあくまでも副産物」と言い切ります。
「大好きな映画だから、その映画とこどもたちが出会っている瞬間に立ち会えているのがこの上なく幸せ」と、力強く語ってくれました。
「こども映画教室の目的は? と、よく聞かれるんですよ。実のところ自分が楽しくてたまらないからやっているんです。結果として、こどもの幸せ、未来につながるものが生まれている。これが映画の力なんです。こどもだけでなく、スタッフやお客さん、その場に居合わせた人みんなにいい影響を与えるんです」
情熱的な目で語ってくれた土肥さんの声が、何度も何度もよみがえってきます。
3人のお子さんを育てながら自分の道を突き進んでいる姿に憧れを抱き、子育ての経験もしっかりと生かして活動を続けている姿に、“今の私の子育て時間も、無駄ではない”と勇気づけられもしました。
大好きな映画にも、お子さんに対しても、きっといつも全力でぶつかり、何よりも楽しむ気持ちを失わずにいる土肥さんは、たくさんの人をひきつけ、影響を与え、計り知れない副産物を生み続けています。
「私はなにもすごくない、映画がすごいの、若いスタッフがすごいの」と、なんの迷いもなく答えてくれる土肥さんのもとで、きっと今日もこどもたちや映画好きな大人たちが楽しく集って、映画談義に花を咲かせているのではないかと思えてなりません。
そして、私はこの春から「こども映画教室」が生まれた金沢の地に移り住みます。
自分の「好き」を追求していった土肥さん。大変なこともあるけれどそれさえも楽しみながら生きる姿にものすごく勇気をもらいました。
慣れない土地で、苦難があったとしても、ゼロをプラスに変える力のある「好き」という思いを貫けば、自分自身も、周りも幸せに巻き込んでいけるようになるかもしれない、そんな予感を胸に、新たなスタートをきりたいと思います。
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