おいしいおとめ納豆を作り続けていくために。神奈川区・おとめ納豆(中村五郎商店)中村弘さん
「濱の料理人」代表の椿直樹さんと巡るシリーズ、第10弾は、横浜市神奈川区・西神奈川の中村五郎商店「おとめ納豆」の中村弘さんです。横浜醤油さんに引き続き、こちらも横浜にたった2軒しかない希少な納豆屋さんです。(写真:大西香織)

 

西神奈川の路地裏に小さな商店がありました。見渡せば、コンクリートの床には、ほこり一つなく、何十年も使っているであろう器具は磨き込まれ、年月を感じさせない光を放っていました。

 

食品を扱う工場だからでしょうか? 主(あるじ)のふだんの心配りがいっぺんに分かってしまうような、隅々まで掃除の行き届いた空間です。

 

左から大豆を蒸す鍋とボイラー。ボイラーの水蒸気で大豆を蒸しあげる。昭和41年に購入した鍋は、中村さんの手で修理を施されながら、大切に使われている

 

今回、大ど根性ホルモンのオーナーシェフ・椿直樹さんと訪れたのは、中村五郎商店の中村弘さん、おとめ納豆を作る職人さんです。

 

中村弘さん。小さな頃から納豆屋を手伝ってきたが、納豆屋になるのが嫌で、ヨーグルト会社で営業として働いていたことも。退職後、語学留学先のハワイで「まずい納豆を食べた」ことがきっかけで納豆作りに目覚める

 

納豆づくりは、大豆を一晩水に浸すところから始まります。

 

翌朝大豆を圧力鍋で蒸かし、柔らかくなったものに納豆菌を吹きかけ、松経木と和紙で梱包して室温40度の室(むろ)で約1日おいて納豆菌の成長を促します。

 

その後、冷蔵庫で1日ねかせるとできあがりです。

 

大豆。中村さんは納豆を1日おきに作る。作業は午前2時。水に浸しても膨らまない「石豆」と呼ばれる大豆を取り除く作業を3時間かけておこなう。1回に扱う大豆の量は10kgから15kgだから……想像するだけで気が遠くなる

 

松経木。熱湯にとおすと、しなやかで扱いやすくなる

 

おとめ納豆の一番の特徴は、ロウ引き紙と松経木。ロウ引き紙とは和紙を加工し、撥水性をよくしたもの、松経木は松を薄く紙状にスライスしたものです。

 

今では納豆に使われることが少なくなったこの梱包材を使うことで、通気性がよく納豆菌が長く生き続けることができ、おいしさを維持できるのです。

 

取材中、経木とロウ引き紙で大豆を詰める体験ができるよう中村さんが準備してくれていました。

 

まずは中村さんのお手本から。

 

折り目も何もないまっすぐな紙。中村さんはいとも簡単に三角を形作り、大豆を詰めていきます。そして、あっという間にあの独特な三角形のパッケージが出来上がります。

 

左から中村さんと椿さん

 

次は、椿さんが体験。隙間のない三角の角を作り出すのにはコツがいるようで、経木が思い通りの形にならず、何度もやり直します。「まるで納豆ミュージアムだね」と笑う椿さん。他のスタッフもチャレンジしましたがやっぱりうまくいきません。

 

中村さんは、お母様と一緒にいつも300から400個の梱包作業をおこないます。手作業の納豆づくりの奥深さに少しだけ触れることができました。

 

おとめ納豆の“おとめ”は初代中村五郎さん(お祖父様)が夫婦(めおと)ではじめたところから名付けられた

 

ミミの謎。どの三角パッケージにもあるミミの正体は、昔の辛子おき。当時、納豆を購入したお客さんに、このミミに辛子をつけて出していた。今はパッケージの中に辛子を入れる

 

椿さんのマネージャー役を務める成田弥土里さんは夫婦そろっておとめ納豆の大ファン、半ば興奮気味にその味わいを語ります。

 

「ここのは味のバランスがとにかくいいの。甘いし、おいしいの」

 

中村さんは味の秘密をもう一つ教えてくれました。

 

「うちの大豆は中国産なんですよ。いわゆる満州大豆なんです。昔、横浜の商社にいた方が昭和初期に満州(現・中国東北部)に転勤を命じられて、寒い土地で栽培できる作物を考えて大豆を作ることにしたのがはじまりです。昭和5年には満州は世界一の大豆輸出を誇るほどになって、輸出する大豆のうち、半分を日本へ、残りの半分を欧米へ出すほどだったんですよ。このおいしい大豆は、もうそこでしか作ってないんです」

 

とかく嫌厭(えん)されがちな中国産の食材ですが、中村さんには満州大豆への強いこだわりがあるのです。それはお父様から中村さんへと受け継がれた納豆の極意にも通じるのかもしれません。「産地がどこであるか」よりも、おとめ納豆が代々受け継いできた味を追求し続ける中村さんです。

 

中村さんと椿さんとの関わりは3年前、ある種苗会社主催の地元食材を使った料理教室。講師は椿さんで、料理のお題はおとめ納豆でした。

 

「椿さんはホルモン屋をやっているから、和食で出てくるのかなって思っていたら、オムレツだったんですよ。意外でした」と感激した様子の中村さん。

 

「納豆って完成されていて、そのまま食べた方がおいしいじゃないですか。だから、なるべくシンプルに考えてオムレツにしたんですよ」と照れくさそうに語る椿さん。

 

「あの料理教室の時のメニューにおとめ納豆って書いてもらったので、いろんな人にじわじわと知っていただくいい機会になりました」と中村さんは椿さんの納豆オムレツに感謝しきりなのでした。

 

ここで、中村さんから椿さんに質問がありました。

 

「地産地消にこだわっている椿さんが、中国産大豆を扱うおとめ納豆も扱って大丈夫なのかなって」

 

「横浜に根付いている人が作っているんですから、産地そのものは関係ない。むしろ1、2軒しか残っていないない納豆屋の存在を、横浜の飲食店として伝えなきゃいけないわけですよ。おいしいから買った方がいいよって。だからこそ味が分からなくなるような手の込んだ料理はしちゃいけないんですよね」。中村さんの不安を払うような、椿さんの迷いのない答えでした。

 

できたての納豆。辛子を入れる作業と同時に納豆の出来を一つずつ確認する。白いものに覆われている(菌)かぶりのいいもの、粘りのよいものが“よい納豆”の評価の一つ

 

試験的に横浜産の大豆で作った納豆のパッケージ。中村さんの満州大豆への想いもあり、期間限定での販売を考え中

 

中村さん、今後の夢ってなんですか?

 

「お客さんに“おいしい”って言って食べてもらうことが一番の成功だと思うんですよ。自分は作ったり配達したりで手いっぱい。年老いた母に電話に出てもらうことも難しい。だからチャンスは逃しているかもしれないけど、今はこれ以上無理しちゃうとおいしさは保てないかな」

 

迷いながらも、今一番のベストはこの道なのだと意を決めた様子の中村さんでした。

 

椿さんは中村さんの気持ちをくみ取り、寄り添います。

 

「私はわりとできないこともやってみたくて、後から引き受けたことを後悔することもあるけれど、中村さんはご自分のできる量をちゃんと把握されているところがすごいですよね。

 

最初はスーパーを紹介しようかとか、どっかに直営店を出したらとか言っていたんですけど、中村さんと関わるうちに、彼は販路を広げたいわけじゃないって分かってきたんです」

 

「やっていくうちにそうなりましたね」(中村さん)

 

お父様の元で納豆を作って10年。お父様が亡くなり、一人で作り続けて10年。納豆職人、また経営者として中村さんの視線の先は、お客さんにおいしく食べ続けてもらうこと。柔和な人柄からは計り知れない強さが感じられました。

 

確かに、中村さんにいただいて食べたおとめ納豆は、実に粘りの強さが持ち味なのでした。

Information

中村五郎商店

URL:http://home.netyou.jp/99/otome710/

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この記事を書いた人
明石智代ライター
広島県出身。5年暮らした山形県鶴岡市で農家さん漁師さんの取材を通して、すっかり「食と農」のとりこに。森ノオトでも地産地消、農家インタビューを積極的にこなす。作り手の想いや食材の背景を知ることで、より食材の味わいが増すことに気づく。平日勤務、土日は森ノオトの経理助っ人に。
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