「やぁ、お久しぶり。元気そうに見えるじゃない」
そう言って笑う入戸野博先生のお姿は、お変わりなく優しいものでした。
子どもが大きくなると、小児科の先生とは接点が無くなってしまいます。私は、次男の死を乗り越える上で、入戸野先生の存在はとても大きかったことに、子育てが一区切りした今、改めて気が付かされます。
麻疹という感染症
平成10年4月に産まれ、元気に成長していた私の次男は、麻疹(はしか)になりました。次男は肺炎が悪化し、人工呼吸器を装着して大学病院で1年闘病しましたが、自宅に帰ることはありませんでした。担当医に「ポリオ2回目より、まず麻疹の予防接種を優先させるべきだったでしょう」と責められた私を、診療時間が終わった後の入戸野先生がなぐさめて下さったのを、今でもずっと忘れることはありません。
おりしも現在、感染症が拡大していますが、移した方は軽い気持ちでも、移された方が重篤になると、家族の人生も一変させてしまいます。
「息子さんのことは本当によく覚えているよ」と先生。
先生が診た患者さんで、亡くなったのは、私の息子を含めて5人。一人ひとりについてお話されました。そうか、ドクターにとっても担当した子どもが亡くなるということは、どれもとても思いが残るものなんだなとしみじみ思いました。
「ポリオの2回目を受けた直後に移された、と言っていたでしょう。亡くなったのは3月頃だったよね」
先生、覚えていらっしゃったんですね。私が職場復帰を前に、1年に2度だけの集団接種のポリオ2回目を優先してしまったことを。1歳の誕生日の直前で、ほんのわずかな差と思って。
息子の死をきっかけに、ポリオ2回目よりも麻疹を優先して接種をと案内するようになったのだそうです。その裏には「僕がせめてできることを」と、先生が医師会として奔走して下さった努力があったのだと知りました。子どもの死をそのような形で生かして下さったのだとわかり、とても救われる思いがしました。
ほぼ年中無休の源は
3人の息子がお世話になった順伸クリニックは、青葉区荏子田にある小児科(2019年3月より眼科併設)です。平日は朝8時半から、土曜、日曜、祝日も開いていて、休診日は年末年始だけです。平成4年の開院以来、どれほど多くの親子が先生に感謝しながら成長していったことでしょう。金曜の夜に保育園からの帰り道、ほかほかと温かい息子に嫌な予感を感じつつ、「とりあえず今晩は様子を見よう」で自分の気持ちを封じ込めても、結局土曜、日曜に順伸クリニックに向かったものでした。
なぜ、クリニックを休みなく開院されているのか。並々ならぬパワーが必要であり、ご負担も大きいのに。それが今回、まず伺いたかったことでした。
「子どもって、突発的に具合が悪くなるでしょう。なぜか夜とか、週末とか、アンユージュアルな時に。それに対応するのが、使命と思っていた」と話して下さいました。大学を卒業して小児科医になると決めた時から、それは心していたのだそう。
「名医足らずとも良医たれ」が母校の順天堂大学の理念。じゃあ、良医って何?と問いながらの病院経営は、できる限り病院の診察日を多くする一方、開院時間を工夫することで30年続けることができたのです。「開業っていうのは、短距離ではなく長距離マラソンだからね」と先生。
自分が対応できる範囲内にするため、日曜と祭日は午前のみ。早い時間に病院を開けて、早目の時間に診察修了。朝8時半からにしたのは、もうこれで幼稚園に行ってもいいよ、と親御さんに言えるように、という配慮から。本当にその通りで、私も、朝一番の受診で「よかったよかった」、と子どもを園に送り出し、自分は遅れて勤務先に向かうことができたものでした。
先生のその姿勢に共感して、地区で活躍されていたベテラン看護師さんが、自ら働きに来て下さったのを「常識的ではない、変わった先生って思ったんだろうねぇ」と笑っていました。その看護師さん、よく覚えています。お二人はいいコンビでした。
身を粉にして働くのは、ライフワークがあったから
今回、私が訪問したのは、東京・目黒区にある「にっとのクリニック」。入戸野先生は、現在そこで診察をされています。敷地の裏手にあるのが、「順伸クリニック胆汁酸研究所」。たんじゅうさん、と読み、科学的な小児医療を提供する一助で開設した、肝臓の疾患に関わる研究所です。先天性胆汁酸代謝異常症などの検査ができる設備が整えられています。入戸野生が、順伸クリニック開業とほぼ同時に立ち上げました。「開業すると研究を辞めちゃう人が多いけれど、自分は同時にやったんだよ。もうね、これはライフワーク。来週も京都の学会に行くんだ」と資料を見せて下さいました。専門的なことはわからなくても、これだけのパワーポイント資料作成にはどれほどの手間と時間がかかるかは察することができます。
「思いつめちゃう性格なのかな、もっとゆったりやればいいのかな。70歳過ぎたら、もっとゆったりしているかと思ったんだけれどね」と笑顔で生き生きと説明される先生。
今では海外からの検査依頼もあるそうで、胆汁酸に関する書籍執筆、学会発表も多数。このライフワークがあることが並々ならぬパワーの源なのだと思いました。
青葉区で開業したのはご縁から
元々は内科医のお父様が目黒でクリニックを開業され、先生のご自宅はこのそばにあります。なぜご自宅から遠い青葉区荏子田を選ばれたのか。意外な答えが返ってきました。
「同じクリニックビルの水野整形外科の水野先生と、ヨット部の後輩のつながりなんですよ」。
既に数軒の小児科がある目黒から離れ、子どもが増えそうな地域で自身の開業先を探していたところ、荏子田の丸正(2020年2月閉店)の上のクリニックフロアで空きがあるのを、水野先生から伺って決めたそうです。「駐車場があるのも良かった」というお話に、私も、具合が悪い子を車で連れてくることができたこと、また帰りがけに丸正でちょっと買い物も済ませてから帰宅できたのは、患者家族としても本当に助かったことを思い出しました。
入戸野先生は、青葉区医師会の会長を6年務めました。その任期中の2005年、青葉区の災害医療の体制を確立させようと、医師会だけでなく歯科医師会、薬剤師会の3師会と行政、他団体とが連携して「災害時地域医療検討会」を立ち上げ、防災訓練などを実施してきました。横浜市の中でも青葉区の地域医療機関は大規模災害への備えを先進的に整えてきたそうです。
また、藤が丘にあった休日急患診療所が区役所前に移転したことも、入戸野先生のご尽力があってのことだと聞きました。区役所駐車場に隣接させたのは、交通の便だけでなく、災害時対応がしやすいためだそう。休日急患診療所は、横浜市が市民サービスで運営していると思われがちですが、医師会の青葉区メディカルセンターが医師の輪番制で支えているものです。充実した地域災害医療体制については、入戸野先生のご尽力が大きいのだと感じました。
帰りがけに、先生が一冊の本を下さいました。『明日 またね』という、先生の著書。この本をテーマに、かわさきFMでのラジオの対談番組を長年続け、順伸クリニックのホームページでも聞くことができます。先生のお兄さんが3歳で疫痢で逝去されたお話も、中に書いてありました。
次男が亡くなった後の、我が家の長男や夫への慈しみの視点も、入戸野先生ご自身の家庭環境と重なることが多かったからなのかもしれません。
恵まれた、青葉区の小児医療に大きく貢献された入戸野先生のお話をじっくり伺うことができ、森ノオトライター養成講座を受講できてよかったと思いました。青葉区では、医師会のみならず地域のそれぞれの方々が連携して支えていることや、休日急患診療所は横浜市ではなく青葉区医師会の先生方が輪番で支えていることなどを知ることができました。実際に小児科にお世話になっている時はわかりませんでしたが、恵まれた環境にあったことを改めて感謝したいと思います。
順伸クリニック小児科 入戸野博先生
(現在眼科は入戸野晋先生)
神奈川県横浜市青葉区荏子田2-2-9 アドバンズビル2F
045-902-8818
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