耳に障害がある息子さんを育てる「障害児ママ」である有美さん。障害児ママのキャリア支援を始めるにあたっては、2018年の第二子の出産と、その後のご自身の経験がありました。
生まれてくる子に障害があるなんて微塵も想像せず迎えた、有美さんの2人目の出産。
ところが生まれてきた子どもは耳に異常がありました。やっと対面できた喜びを味わう間もなく、産後2〜3時間後には赤ちゃんは救急車で総合病院へ運ばれていきました。
そのまま10日間NICUに入院。その時期が、今までの人生で一番辛い10日間だったと有美さんは言います。そしてCTの画像を見たNICUの医師からは「この子は一生音が聞こえないでしょう」と告げられ、衝撃を受けました。
夫婦でこらえきれず病院で号泣。でも帰りを待っている上のお子さんに心配をかけるわけにはいかない。全てここで出し切ってから家に帰ろうと話し、涙が枯れるほど泣いたそうです。
その後耳鼻科や小児の専門医らも受診してみると、聞こえにくさはあるものの補聴器を付ければしっかりと音や言葉を聞き取れる可能性があることがわかりました。紹介を受けたり、自分たちで探したりした様々な医療機関や療育機関のプロフェッショナルの力を借りることで、息子さんは順調に言語獲得を進めています。
障害児のママは働いちゃいけないの?
ただ、その中で有美さんが大きな違和感を覚えたことがあります。
「ママは、仕事を辞めて付きっきりでこの子の面倒を見て下さいね」
「通院には、ママが付き添いでいらっしゃいますよね?」
どこに行っても、ママ、ママ、ママ。
「この子の親は私だけではないのに、なぜ私だけが全てを担うことが当たり前のように会話されるんだろう?
もしこの子が話せるようにならなかったら、全部私の責任なんだろうか?」
そんな悶々とした思いを抱えながら過ごす日々でした。
仕事が大好きな有美さん。この時は会社を辞めてフリーランスとして、キャリアカウンセラーやキッズチアの教室運営を行っていました。
なんとか両立したい気持ちと、でもそのせいで息子がうまく話せるようにならなかったら?という不安の中で気持ちがぐらぐらと揺らぎ、なかなか答えが出せない時期が続きました。
ある日友人たちの前で話していると、不安な気持ちを抑えきれず涙が溢れてしまいました。その時、この仕事を始めるきっかけになる言葉をもらうことになります。
「そういう経験をした有美だからこそ、できる仕事があるんじゃない?」
友人の一人がそんな言葉を投げかけてくれたのです。
そこで有美さんはハッとしました。
「そうだ、私はキャリアカウンセラーだった!」
有美さんは元々、高校時代に祖父母の介護について相談していた病院のソーシャルワーカーの方に憧れ、名刺に書いてあった「臨床心理士」という資格に興味を持ち、大学では心理学を専攻していました。
また、新卒で入った会社でリーダーを務めていた際にも、メンバーとの関わりに課題感を持ち、キャリアカウンセラーの講座に通って資格を取得していました。
加えて、中学時代から今までずっと続けているチアダンスも有美さんを語る上で欠かせません。
「チアは、ポジティブな感情しか表現しない。だから好きなんです。
世界共通で、『常に笑顔で周囲に貢献する』という揺るぎないチアスピリットがある。皆に元気を与えるのがチアの役割なんです」と有美さん。
学生時代からずっと有美さんの中には、「人を元気にしたい」という強い思いがあり、それが仕事にもつながっていました。
友人の言葉で視界が一気にクリアになった有美さん。
障害のある子どもを生んでから、今までずっと持っていた違和感。
「なぜ、障害児にまつわる全てはママの責任で、仕事を辞めるのも当たり前だと言われてしまうのか?
そんな風潮を変えていきたい。
障害を持った息子のことについて相談できる専門家はたくさんいる。
でも、私のキャリアについて相談できる人は誰もいない。
友だちに話を聞いてもらうことはできても、具体的なアドバイスをくれる人は誰もいない。
絶対に、私と同じように誰にも相談できず悩み苦しんでいるママがたくさんいるはず。そういうママたちの助けになりたい。私のような人もいるんだよと伝えたい」
そう思い立ち、仕事は辞めずに子育てとの両立を目指すこと、そして新たに「障がい児ママ専門キャリアカウンセラー」という看板を掲げて活動を始めることを決めました。
意志を持って発信し続ける
「障がい児ママ専門キャリアカウンセラー」としてのホームページをオープンしてから約2年。
意志を持って発信し続けていることで、知り合い伝いに障害児ママからご相談が入ったり、障害を抱えている学生たちを支援するイベントの運営を任されたりと、新たな仕事が舞い込むようになってきました。
以前は障害児ママだけに特化せずにキャリアカウンセラーの仕事をしていた有美さん。女性からのキャリア相談がメインでしたが、ここ数年で相談内容に変化があったと言います。
男性の育児参加や企業のダイバーシティ推進が進んだ影響から、「仕事と子育ての両立」についての相談は減ってきたそうです。
「逆に『ママも働きたければ働ける』時代になってきたからこそ、そんな時代なのに安心して働けない人たちが取り残されてしまっている。介護と仕事の両立や、不妊治療と仕事の両立に悩む人など、相談内容は多様化、細分化してきています。
そういった方ほど誰にも相談できず、ロールモデルも少なく、支援を必要としているんです」と有美さん。障害児ママもまさにそうです。
リーチすることがなかなか難しいターゲットではありますが、こちらが「あなたたちを支援したいと思っているよ」と明確な意志表示をしておかないと、辿り着いてもらうことは難しい。これからもライフラークとして、この看板を掲げて発信し続けていきたいと有美さんは言います。
今後は障害児を抱える親が集まるコミュニティに直接アプローチをしたり、行政との連携を視野に入れたりと、誰にも相談できず困っている障害児ママに出会えるチャンスを増やす活動をしていきたいと話していました。
取材を終えて
女性のキャリア相談の内容も多様ですが、そもそも女性だろうが男性だろうが、人間は一人ひとり違う。
私の次男も難聴を抱えていますが、有美さんの息子さんとは難聴の原因も、聴力も、着けている医療機器の種類も違います。
詳しくない人から見ると「障害者」「難聴児」などはひとくくりに思われてしまうかもしれませんが、一人ひとり抱えている悩みは違うし、疎外感を感じるポイントも違います。
数としては少ないかもしれないけれど、そういった人を取り残さないようにと活動をされている有美さんの姿は私にはとても眩しく映りました。
「子どもに障害があるとわかり、たくさん泣いていたあの頃は、自分のキャリアとわが子の障害がこんなふうにつながり、活かせるだなんて全く思わなかった」と有美さんは言います。
「あの頃の自分に『大丈夫だよ』と言ってあげたい。そして子どもにもいつか、『あなたのおかげで、ママはこんなにお仕事が楽しくなったんだよ』と言ってあげたい」。そう語る晴れ晴れとした笑顔が印象的でした。
私自身も生まれてきた子どもに障害があることがわかり、たくさん泣いてたくさん悩んで、でも仕事との両立をすると決めて前向きに頑張っている最中です。
有美さんの活動を、未来が全く想像できず泣いてばかりだったあの頃の有美さんや私のような人にもっと知ってもらい、ぜひ助けを求めてみてほしい。この記事が多くの障害児ママの目に留まることを願います。
有美さんはこうも言います。「いつかは、『障がい児ママ専門』じゃなくて、『障がい児の親専門』キャリアカウンセラーに名前を変えていきたい。ママだけが全てを担い、我慢しなければならないのが当たり前という風潮も変えていきたい」と。
男性の育児参加が当たり前になってきたように、今までの当たり前を新たな当たり前に変えていくことは不可能ではないはず。有美さんのチャレンジを今後も見守り、応援していきたいと強く思います。
天田有美さん
ホームページ https://yumi-amada.com/
お問い合わせはこちらから https://yumi-amada.com/contact/
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