霧が丘は、隣町でありながら私にとってあまりなじみのないところでした。最寄りのJR横浜線・十日市場駅からはバスで移動。整備された公園や緑地、戸建て住宅や団地が整然と立ち並ぶ、まさにベッドタウンです。この静かな街に、空きテナントを改装して新しい拠点「ぷらっとkiri cafe」が2023年1月にオープンする予定です。カフェの立ち上げを企画したのがNPO法人「霧が丘ぷらっとほーむ」です。
活動の原点
「ぷらっとkiri cafe」のコンセプトは「誰でもぷらっと立ち寄れるカフェ」。店舗のある霧が丘商店会内には団地や保育園、郵便局、診療所など生活施設があり、出かけたついでに寄りやすい場所です。「ぷらっとkiri cafe」では、地元産野菜のランチや毎週土曜のモーニングマルシェの開催、地域の情報掲示板の設置などさまざまなプロジェクトを企画していて、イベント開催日を含め毎日オープンする予定です。
「『常設の場』があることが大事なんです」と訴えるのはNPO代表の根岸あすみさん。 生まれも育ちも霧が丘の根岸さんは、小学生と保育園児の2人のお子さんの子育てと仕事とNPOの活動を両立しているパワフルな方。
「小さいころからご近所付き合いがありました。両親が近所のお年寄りのことを気にかけて食事を持って行ったり、逆に近所のおじいちゃんの家の庭にできた野菜を分けてもらったり」と根岸さんは自身の原体験について話します。住人同士の温かいつながりがあった霧が丘。しかし根岸さんが出産を機に地元に戻ったとき、街の変化を感じたと言います。両親の世代がシニア層として人口の約3割を占め、2009年にインド系のインターナショナルスクールが開校したことで、インド人が急増しました。世代や文化の異なる人々が住む街になった霧が丘。近所の公園でインド人と日本人のコミュニティがはっきり分かれている風景を見て、根岸さんは自身の子どもの頃を思い出します。「地域の人とのつながりを子どもにも見せたい。霧が丘をそういう地域にしていきたい」その思いがまちづくり活動の原点になりました。
一昔前まではどこにでもあった「ご近所付き合い」。 私の地元、京都の片田舎の小さな町ですが、自治会よりさらに小さい20軒ほどでつくる「隣組(となりぐみ)」という組織があります。地域の行事、冠婚葬祭、災害などの緊急時に助け合うご近所集団です。お葬式の時、親族がお寺や火葬場に行く間、家にお線香を上げに来られる方の対応をお願いしたりします。子どものころは何の違和感もありませんでしたが、その間、家は開けっ放しで親族は誰もいません。信頼関係があってのことですが、それは昔からこの場所に住み、毎日挨拶を交わし、お互いをよく知っているからできることです。
「地域に住む様々なコミュニティの人が繋がり、『楽しみ』、『小さな困ったことを助け合い』『学び合い』地域みんなで解決できる仕組みをつくることで、人の温かさが感じられる幸せな地域づくりを目指す」という霧が丘ぷらっとほーむの使命に共感したのは、私自身が「困った時はご近所同士で助け合うもの」という環境で育ったことが影響しているように思います。
「まち普請」との出会い
霧が丘に住民同士のつながりを作っていきたい。その思いで根岸さんは、お子さん同士が同級生の武藏幸恵さんらと意気投合して、NPOの前身となる団体「まちぷらす」を結成します。七五三向けの手作り写真館やインド人のママ友が教える子ども向け英語教室など、子育て世代向けのイベントを開催してきました。そんな活動をする中で、高齢者が気軽に立ち寄れる「たまり場」をつくるため健康体操や歌声教室など運営していた「福祉のまち霧が丘」の高橋律夫さんや、霧が丘に住む外国人親子の日本語教育支援や地域住民との交流イベントを企画開催していた「霧が丘インターナショナルコミュニティ(KIC)」の野場孝司さんらと出会い、シニアや外国人を巻き込んだ活動に発展させていきました。
3つの団体は毎週定期的にミーティングを重ね、お互いの考えを共有し深めていきます。それぞれ対象のコミュニティは子育て、シニア、インド人と異なりますが、目線を合わせられたのは「霧が丘を住みやすい街にしたい」という目的が同じだったから。「住民同士がつながっていくには居場所が必要」というミッションが見え始めたとき、横浜市の補助金「ヨコハマ市民まち普請(ぶしん)事業(以下、「まち普請」)」と出会いました。
まち普請は、地域の問題解決に取り組む住民に対し、施設(ハード)整備に必要な資金を補助する横浜市独自の助成事業です。その特徴は①助成額の上限は500万円で、防災、多世代交流、環境保全など、どのような内容でも応募可能であること、②2段階の公開審査によるコンテスト形式で、スケジュール、審査ともハードな内容であること、③1次コンテストを通過した団体に対し、横浜市の職員やまちづくりコーディネーター(まちづくりに関する専門知識や資格を持ち、市に登録された専門家)の支援を受けられることです。
平成17年度の開始以来、毎年実施されていますが、年に3~4件ほどしか採択されません。かなりの狭き門ですが、ぷらっとkiri cafeの整備事業は令和3年度の助成対象として見事採択されました。
「1次審査書類の〆切が6月2日で、補助金を知ったのが5月30日の夕方だったんです」と当時を振り返り、苦笑する根岸さん。「翌日急いで区役所に連絡したら、ぜひ申し込んでくださいという雰囲気だったので、そこからはかなりのスピード感でした」
1次コンテストの提案書は施設の概要、提案の背景、目指す地域の将来像などをA4用紙2ページに収めるもので、根岸さん曰く「すらすら書くことができました」と。なぜなら3つの団体間のコミュニケーション過程ですでに整理されていたから。書類に落とし込んでいく中で、根岸さん自身も「私たち、準備ができていたんだ」と感じたと言います。
無事に応募書類を提出し、1次コンテストを迎えました。5分程度のプレゼンテーションを行い、審査員との質疑応答を行います。審査基準は創意工夫、意欲、公共性。プレゼンテーションを行った根岸さん曰く「こんなことをやりたい!という思いやアイデアを熱意でもって伝えれば大丈夫です」。インド人との交流は特徴として印象深く伝わったことでしょう。団地再生や外国人移住者との共生は、今後、多くの地域が直面する課題。これらに向き合ったロールモデルとしての期待もあったと思います。
いろいろある。地域の合意形成の難しさ
「実現性」とは一体何でしょうか。施設を完成させられること、維持管理できること、これらも重要ですが、最も重視されるのは、施設整備で目指す地域の姿について地権者、地域住民、自治会町内会等と合意がなされているか、という点です。施設が整備されても地域の人たちに受け入れられなければ提案は実現されたことになりません。実際、2次コンテストまでに地域の合意形成ができず辞退する団体があったり、たどり着けない団体のために次年度1次審査をパスできる免除制度があります。どの団体も、それくらい苦労をするということでしょう。
霧が丘ぷらっとほーむの場合、地権者のUR都市機構、近隣住民である霧が丘商店会やUR団地の住民、自治会、社会福祉協議会、老人クラブ連合会、学校にも説明に赴き、取組みの理解を得る為の時間がとても大変だったといいます。地域住民に対しては活動の告知を兼ねてどのようなイベントを開催してほしいかアンケートを実施し、170件以上の回答を得ています。また老人クラブ連合会のシニア世代がアンケートを3000世帯にポスティングしてくれたり、回答者の中からボランティアとして協力したいと申し出る人も現れ、合意形成の過程で活動の輪が広がっていきました。
一方で、3団体で結成した「霧が丘ぷらっとほーむ」自体地域の住民の方からさまざまな指摘をもらうこともあるとのこと。自分たちの街を大切に思うからこそで、おそらくどこの地域でもある話かとは思いますが、霧が丘にはこんな街づくりの歴史もあります。
霧が丘は昭和50年代に山林を宅地開発し郊外住宅地として新しくつくられた街です。当時働き盛りだった30代の家族世帯が同時に住み始めたことから、子どもたちが通う学校区域を中心に地域コミュニティが形成されていきました。
しかし街は変化していきます。子どもの数の減少により3つあった小学校は平成18年に統廃合されました。統廃合にあたり、当時の自治会長、PTA関係者、校長らが集まり、小学校をどのように再編するべきか、統合校ではどのような教育を行うべきか住民の意見を取りまとめ、市の教育委員会に提案しています。
また小学校の跡地は、民間ディベロッパーへの売却が決定していましたが、反対を表明する一部住民たちが住民監査請求を行いました。請求は棄却されましたが、売却差し止めを求める住民訴訟も提起され、結果、事業予定者決定は取り消されました。その後、緑区が地域住民に意見聴取を行い「跡地の活用を検討するにあたっては、まずは教育機関を候補とすること」に約8割が賛同したといいます。
霧が丘という地域は、自分たちの街は自分たちで守るという意識の高い地域であると感じます。地元への愛着のある住民が多く住む街。根岸さんのような新たな挑戦を応援したり心配したり、関心が高い人がたくさんいることも納得がいきます。
支援者、続々と
まち普請1次コンテストから2次コンテストまでの半年間、根岸さんたちは地域の団体への説明、住民向けのイベント、2次コンテストの準備と目まぐるしいスケジュールをこなしていきます。「仕事との両立は大変でした。でも仕事はやめない方がいいと高橋さんやほかの方にも言われました」と根岸さん。勤め先は都内にあり通勤だけでも大変です。NPOの活動を続けたいと会社に相談したところ、根岸さんの話をきっかけにダブルワーク可能な新しい制度が作られました。今は正社員のまま月20時間勤務で勤め続けられているといいます。
強力な助っ人はほかにも現れました。まちづくりコーディネーターとしてサポートしてくれた櫻井淳さんは、まち普請負け知らずの方。住民向けアンケートやカフェメニューの試食会は桜井さんのアイデアでした。「二次コンテスト、このままじゃ落ちるよ!!」と叱咤激励を受けたからこそ乗り越えられた、と副代表の武藏さんは当時を振り返ります。
「まち普請」の過程でたくさんの人を巻き込み、組織としても成長してきた根岸さんたち。武藏さんは「まち普請はこの先活動続けるために必要なプロセスを教えてくれる。大事な場をいくつも踏ませてくれた」と語ってくれました。
まち普請はハード面の助成ですがソフト面のコミュニティづくりを育む事業でもあります。地域の合意形成の重要さについて、平成17年から22年度まで審査委員長を務めた早稲田大学社会科学部教授(都市・建築デザイン)卯月盛夫さんの講評に次のような一節がありました。
「まちづくりというのは本当に信じられないくらい時間がかかる。特に工事に時間がかかるのではなく、その前の調整に時間がかかる。調整に時間がかかればかかるほど重要な案件なのです。今までそういった事を避けてきたからまちがよくならなかった。(中略)
そうじゃないよっていう夢をもって調整に入ろうとすると法律や制度など色々な壁でできない事がある。でもそこに挑戦するのがまちづくりの本質であって、それが2年かかるのか3年かかるのか、問題が大きければ大きいほど時間がかかるわけです」
そこに挑戦するのがまちづくりの本質であり、醍醐味。霧が丘ぷらっとほーむの挑戦はこれからも続きます。
根岸さんたちの話を聞いて、率直に、どうしてこんなに順調に事が進んだのだろうと思いました。彼女たちの苦労や努力は相当なものだったと思いますが、多くの支援者が現れたのは、3人の爽やかな人柄と素直な思いに霧が丘の人々が希望を持ったからのような気がします。
少子高齢化の解決策の一つとして、地域を循環させるため、住宅や商業施設を建設し、若い世代を流入させるという方法があるでしょう。傍ら、根岸さんら行うまちづくりは、「今の住人」を大切にしたまちづくりです。彼女たちにあるのは「どこどこの●●さんのためになる」という圧倒的具体性。例えば土曜のモーニングは、毎週土曜の朝にシニアの方々がラジオ体操をして、そのあとわざわざ車で長津田までコーヒーを飲みに行っていることを受けてのアイデアです。おそらく行政ではそのニーズは汲み取り切れないでしょう。地域のちょっとした困りごとは地域の人が一番知っている。それを機動的に解決できるのが市民主体のまちづくりの強みなのだと思います。
そしてもう一つ。彼女たちを応援するのは実際に一緒に手を動かす支援者だけではないと思います。
根岸さんたちはカフェのオープンに向けて今年8月にクラウドファンディングを実施。163人の支援者から、目標額の220万円を超える234万円の寄付を集めることに成功しました。支援者からは、「みんながつながれる場所をつくるとアクションを起こしてくださった皆様に感謝」「ここまでの道のり、過程が素晴らしいです。この新しいスポットに集う街のみんなの笑顔が思い浮かびます」といった応援の声が寄せられました。
また、まち普請採択先のその後を調査・研究し、まち普請事業自体の効果検証を行った報告書(「市民が生み出す地域の力」研究会作成『幸せを生み出す「地域の力」~ヨコハマ市民まち普請事業の事例研究をふまえて~報告書』)に、事業の効果として、 「その整備プロセスには参加していない市民でも、その拠点が市民によって建設され、市民によって運営されている状況を知ることによって、地域に対する愛着を持つことも確認された」とあります。
自分たちの地域を大切にしてくれてありがとう。まだ会えてはいないけれど、そう思っている住民がたくさんいる。そのことも、根岸さんたちの支えになればうれしいと思います。
NPO法人霧が丘ぷらっとほーむ
【ホームページ】
https://www.kirigaokaplatform.com/
【facebook】
https://www.facebook.com/kirigaokaplatform/
【instagram】
https://www.instagram.com/kirigaoka_platform/
【クラウドファンディングのページ】
https://camp-fire.jp/projects/view/591401#menu
ぷらっとkiri cafe (予定地)
住所:横浜市緑区霧が丘3丁目26-1-205
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