工藤さんとの出会いは、遡ること1年前。2021年9月に開催された「区役所で花端会議『育てる』を語ろう!」でした。地域の花と緑に関わる活動者と関心のある人たちが一同に集った同イベントでは、プログラムの後半にグループワークの時間が設けられており、参加者が少人数のグループに分かれ自由に意見交換をする場がありました。その時、同じグループにいたのが工藤さんでした。「土にうるさい百姓です」と自己紹介された工藤さんの口調は静かでありながら、語られる言葉の一つ一つに思いが込められていることを強く感じさせられたのがとても印象に残っています。いつか詳しくお話を聞けたらと思っていたところ、今回の取材が実現しました。
「もう草がさ。むしってもむしってもすごい勢いで生えてきて大変よ」
土曜日の朝9時。取材のため、待ち合わせした畑を訪れると、工藤さんはもう一仕事終えた後。まだ夜も明けきらぬ暗いうちからの草むしり、大変お疲れさまです。
聞くところによると、この上谷本町の田畑でも農業従事者の高齢化が進み、気付けば「みんな周りはほとんど80代」。除草剤などの農薬に頼る農家もある中、工藤さんは農薬に頼らない昔ながらの方法での農を続けています。「今じゃ『自然農』なんて言うと、逆に最先端だって思われるかもしれないけどさ。これ使って」。そう言って手際よく逆さまにした牛乳ケースの上に折り畳みクッションを敷いて、アウトドア用の椅子をこしらえてくれました。目線が下がると、電線により遮られることない空がただただ頭上に広がり、民家から離れた静かな田畑に時折控えめな秋の虫の声が聞こえてきます。畑を囲むようにして植えられた丈のあるコスモスが自然の目隠しとなって心地よさが生まれ、不思議と安心感に包まれます。
母方の一族が代々この土地で農業を営んでおり、幼い頃から土が好きだったという工藤さんですが、工藤さん自身のもともとのバックグラウンドは建設業。父親の稼業を継ぐ形で7年前に引退するまで昼夜問わず、肉体的にも精神的にも厳しい緊張感ある施工現場に携わってきました。そんな工藤さんが「やもと農塾」を自ら立ち上げ、農に向き合うようになった理由は何だったのでしょうか。
「農のある風景を守りたいとの思いがすべて」と語る工藤さん。山林や田畑で過ごした豊かな幼少期の記憶がよみがえります。「ちょっと想像してみてもらいたいんだけど」と前置きした上で、当時印象的だった風景を再現するように話してくれました。
夕方4時になると訪れる凪の時間。平屋しかなかった当時は、空が広く遠くまで見渡せます。夕暮れがかってきた空に、家々の煙突から立ちのぼる煙。そろそろ夕飯の支度時でしょうか。刻々と色を変えていく空の色にゆったりたなびく煙。子どもながらにきれいだな……と思ったそうです。工藤さんの心の原風景。まったく同じ景色を見ることは残念ながらかないませんが、今目の前に広がる風景と重ねて見てみると、少しだけ昔にタイムスリップしたかのような不思議な感覚をおぼえます。
多摩田園都市の開発がはじまった1950年代後半、ちょうど小学校の高学年だった工藤さんはその後約半世紀の間に起こっためまぐるしい変化を目の当たりにすることになります。「土がコンクリートに覆われ、風景が様変わりしてしまい、安らげる場所がなくなっていってしまった……」。幼少期からの遊び場で、この土地を愛し、慣れ親しんできた工藤さんだからこそ緑ある景色を守りたいと一層の思いが募ります。またネーミングを「農塾」としたのにもまた、工藤さんならではの思いが込められていました。「農の技術も次の世代に継承していく必要がある。それにはまず自分が学び、受け継ぐ。そして伝える」。
自ら学び、実践したことを伝えていく。昔ながらの原風景を知る最後の世代として、先代から新しい世代への橋渡しのような役割を自らに課す、そんな決意にも似た心の在り方、活動の原点となる思いを名前に据えました。
「畑」と聞き、てっきり野菜など収穫できる農作物を中心に育てているものと勝手に想像していたのですが、実際に訪れてみて意外で面白いなと感じたのが、工藤さんの畑全体がまるで巨大な花壇のように作られていることです。これから見頃を迎えるコスモスは畑を囲む生垣のように外へ向けられており、それに負けじと後ろから背を伸ばしたジンジャーが白い花をのぞかせています。これからハーブを植える予定だという区画には工藤さんが「形がかわいいんだよ」と教えてくれた綿が根を張り、花端会議で配られたチェリーセージの苗はこんもり大きく成長しています。よく近所の人に「大した手入れもしていないのにどうして花がよく育つのか」と質問されるそうですが、その秘密は土にあります。「コナラの堆肥を入れているからさ。プランター?プランターはまた別物だよ。燻炭を使って、小さいなら小さい中で根っこの世界を作ってあげないと」と工藤さん。土地の歴史から始まり、地理的特徴や土・堆肥の仕組みなど、工藤さん自身のエピソードや思いを織り交ぜながらの話に、取材を忘れてついつい引き込まれてしまいます。
一緒に活動している畑の仲間がいるとのことで尋ねてみると、ご近所さんもいればたまたま工藤さんが畑で作業をしていた際に前を通りかかって声をかけられ、そこで生まれた会話をきっかけに畑に通うようになった人もいるとのこと。農作業を共にするだけでなく、秋になればたき火を囲んで一杯楽しんだりと畑はコミュニケーションの場にもなっているそうです。職業もバックグラウンドもまったく異なる5名が畑を通じてつながることの面白さ。無理にメンバーを増やすというよりは自然なつながりでこれからも広がっていければと語ります。
また、やもと農塾の緑を通じた場づくりの活動といえば、柿の木台のお花箱の存在も忘れてはいけません。このベンチと一体型になったユニークなお花箱設置のアイデア発端となったのは、工藤さんのお母さまの闘病生活中に、リハビリの一環として一緒に家の周りを歩くようになっての気付きでした。
田畑の広がる上谷本町は平地でありながら、その南は都市開発により整備された柿の木台の住宅街と接しており、勾配のある坂道が延々と続きます。足腰が弱くなってきた高齢者、ましてや怪我や病気を抱えている人にとってこの長く続く坂の道は実にしんどいもの。見れば、ずっしりとした買い物袋を両手に下げたお年寄りがまた一人、ゆっくりとした足取りで坂をのぼっていきます。「お年寄りが散歩の途中に座って、休む場所が必要だ」。そう考えた工藤さんは地域の有志で集まった仲間たちと共に2016年9月に横浜市の「地域緑のまちづくり事業」に応募し、審査を受け見事合格。その後3年間に渡り、市の助成金を受けながら同地区内に123個ものお花箱を設置し、住民からも好評を得ました。
現在は横浜市役所の環境創造局職員として、また横浜防災ライセンス青葉連絡会の会長として忙しい毎日を送っている工藤さん。休みの日は畑にいて、ほとんど家にいることはないと言います。大変に思うことはないのでしょうか。今の生活について尋ねてみると「まあ、好きなことをやらせてもらってるから」と実にあっさりした答えが返ってきました。「畑は自分が正直に表現できる場所。自分らしく生きられる」と語る工藤さんの言葉は飾りがなく、どこまでも自然体。だからこそ、ストンとストレートに伝わってくるものがあります。目の前の農に真摯に向き合いながらも、その目線はあくまでもその向こう側にいる人、まちに注がれているのを、インタビュー全体を通じて強く感じました。皆が暮らしやすいと思えるまちの実現のため、自分ができることをやりきる。工藤さんは今日も畑に向かいます。
やもと農塾
住所:横浜市青葉区上谷本町91-3
電話:045-971-2064
メール:calcio-n@kudoh.co.jp
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