「核」廃絶へ動く若い世代につなぐ平和への虹
平和について考えた今年の夏、私は初めて被爆体験者の方に直にお話を聞くことができました。そこで私は、核による被害のこと、環境破壊のこと、その状況を変えようとしている多くの方々の存在を知りました。

毎年、被爆者の声を届けようと活動を続ける、かわさき生活クラブ生協宮前コモンズの組合員有志でつくる「松本さんのお話を聞く会」。今年は、「長崎被爆体験と若者の声を聞き平和を考える~被爆者から見たウクライナ戦争、そして核廃絶に向けて~」という題で、宮前市民館で3時間にわたり開催されました。

7月23日の当日、この会で司会進行する喜多麗さんと篠田澄子さんは、「被爆の事実を知って、学んで、自分たちの責任として伝え続けたい」と毎年開催を続けていることへの思いを語りました。

話し手は、長崎で爆心地から2.8キロで被爆された松本正さん。90歳を越えて、核兵器について、伝え続けています。また、もうおひと方、核廃絶へ向けての活動をしている大学生の高橋悠太さんにも話をお聞きしました。高橋さんは国内のみならず海外にも赴き、世界中の仲間たちと核廃絶運動の活動を続けています。今年6月には、ウィーンで開かれた核兵器禁止条約締約国会議に市民参加しました。今回は、その会議の様子や核廃絶運動の話もしていただきました。

 

お二人に共通していたのは、未来まで続く平和への思いでした。その中で、一人でも多くの人に核の実態を届けること、そして問いかけ続けること、伝え続けることを諦めずに活動しています。お二人はそれぞれ、歴史や世界経済、金融、実体験、人生観を通して、核について伝えていました。

 

 

1945年8月9日何が起こったのか

当時14歳だった松本正さんは、長崎の爆心地から2.8キロのところにいました。松本さんは、ペンネーム「松本希雲」として制作したいくつもの五行歌に、平和と核廃絶の思いを託して、被爆体験を次世代に語り継いでいます。

 

「白熱の閃光と 凄まじい爆風 瞬時にして港町は 阿鼻叫喚の 灼熱地獄となった/松本希雲」

 

そう始まる松本さんの五行歌には、被爆の体験が描かれています。詩歌では、まだまだ当時の様子が続きます。現在は川崎市宮前区に暮らす松本さんは、「戦争体験」ではなく「被爆体験」を語り継いでいます。

五行歌に、当時の様子と松本さんの思いが凝縮されています。二度と繰り返さないという決意、そして未来の若い人たちに残したい平和への願い。「多様性の中で共生していくこと以外には、人類存続の道はないことを、次の世代に伝え続けたい」と松本さん

 

「語らないと 知らないになり やがて 歴史の中で 無かったことになる」「21世紀は核時代 反原爆・反原発の 勇気を持たない限り 青い美しい地球は 子孫には残せない」という歌も印象的でした。「恒久的な平和のために、知ることが大切、誰かが知るために、自身は伝え続ける、命を最優先する考えに立って」と伝える松本さん

松本さんは、人は二度死ぬのだと思うと言います。「当時の友だちは即死、助かっても、ほとんどが死んでいく、二度と帰ってこない。だけど、しっかり自分の中に受け止め、こういう悲惨な状態は二度と若い人たちに起こしてはいけないと思う限り、友だちは私の中に生きているのだと思います」。今日の講演でも、その友だちに「松本、若い人たちにしっかり届けてこいよ」と松本さんを通して一緒に語り継ぐ友達が自身の中にいるのだと言います。続けて自身が死ぬときにその友だちも死んでいく。「それが私が人間は二度死ぬという意味です」と話します。

 

日清日露戦争の体験談を直に聞いてきた松本さんたちの世代。松本さんは、戦争から遠い世代に対し、語り継いでいけるのか限界を感じている時もあったそうです。その時に医師の故・日野原重明先生から「命の教育」について教わったといいます。子どもたちの前に立ち、命の大切さについて授業をする日野原先生の姿、その時の日野原先生の授業の一コマを語っていただきました。

 

「君たちの心臓はどれくらい?君たちの左手の握りこぶし、それが大きさだよ。では命はどこにあるのかな?頭の中?目には見えないよね。でも命が存在しているから生きているんだよね。見えないけど存在している、わかるよね。見えないものは大切だよね。愛も友情も見えないことをまずは知ってほしい」。

 

「人のいのちの重要性を一番よく知っている医師こそ、平和の最前線に立って、行動すべき」と常に話していたという日野原先生との交流を伝える松本さんの様子は、まるで日野原先生が側に寄り添っているような温かな印象を受けました。

 

最近、中学校の先生方からも松本さんに講演の要請があるそうです。きっかけは、コロナの中、子どもたちが目には見えない命について気づきはじめた現状があるそうです。

 

“出会い”について語る松本さん。「人生は“出会い”が大事。“出会い”によって、新しい自身の物語が開かれます。自身が生涯にわたって携わる活動のきっかけとなり、強く支えられ、自身の歴史が築かれていきます」と。松本さん自身がこうして語り続けるのも、過去の二つの出会いといいます。命について伝えることを教えてくれた日野原重明先生との出会い。もうひとつは、自身が被爆しながらも倒れるまで被爆者の救護に当たった医学博士の永井隆先生との出会いだそうです

核とは

助かった松本さんも周りの人も放射線障害がだんだん増え、自身も髪の毛が減り、下痢が始まったそうです。被爆したことで変わってしまう周りとの関係、食物などから体内に取り込まれた放射性物質による被曝である体内被曝の胎児への影響で被爆2世3世を生むこと、差別など、核兵器の被害は時が経っても終わらない、というお話がありました。

 

現在は、兵器以外でも核が使われている現状があります。それについては、長崎で被爆を経験した松本さんの、非常に心配している様子がうかがえました。

 

また、高橋悠太さんに、今世界で起きている核の状況も教えていただきました。国を超え、多くの地域で行われた核実験を行う過程で関わった人々への被害、そしてその地域の環境汚染、食べ物、生物などの環境にも及び、それは私たちが命を育んでいる生活と密接です。そういう点で、今も問題は続いていると言います。

 

 

「核兵器禁止条約」が及ぼす世界の動き

2017年に世界的に核廃絶に向けて採択された「核兵器禁止条約」。この条約に批准した国が集まり、今年6月21日~23日にウィーンで会議が開かれました。「核兵器禁止条約」が、これまでの「核兵器不拡散条約」と異なるのは、核に関してあらゆる行為を禁止したことです。持つことも、作ることも。これが徐々に社会通念化しつつあり、国や銀行、研究機関、学校も核への関わり方が変わり始めたそうです。核廃絶に向けて活動している慶応大学4年の高橋さんも、この会議に市民団体として参加しました。

会議には、加盟国として65カ国、オブザーバー参加として20カ国強の国が集まりました。参加団体数は1000団体ほど、そのうちの6割が市民団体として参加したとのことでした。会議前の1週間の間にも、会議に向けて、現地で核についての情報を共有し合いました。

 

特に「核抑止」については、世界の国々はそれがいかに危ないかを理解している、と仰っていました。核抑止は、あくまで、核を使わないという前提で牽制し合うという構図で成り立っているため、核を使った時の対処法を誰も持っていないというお話でした。経済面においては、各国の金融機関が核の製造維持に関わる機関への投融資を引き揚げはじめているそうです。ここ2年でも百近くの銀行が投融資しないことを決め、日本の銀行のいくつかも同じような流れだということでした。

 

高橋さんは今回、日本もオブザーバーとして会議に出席することを、外務省担当者にも直談判しています。ただ、今回は日本はオブザーバーとして参加しませんでした。

しかしこれからの日本がどのような役割を果たせるのかが大事になってくると仰っていました。

 

また、核の認識について、世界と日本で違う視点は、世界は核は環境をも破壊するという点を強く持っているということです。「住む場所に関わる色んなことが汚染され、周りには健康障害を煩っている方もいて、故郷にも帰れない。それは自分の心持ちや信念の一番大切な部分に影響する」と高橋さんは語ります。

「万に一つの(核廃絶が実現できる)可能性があるとしたら、それを追求するってことじゃないですかね。(核抑止の)パンドラの箱を誰かがあけて、ウミを出し切る、そこでようやくまっとうな議論が始まります」と話す高橋さん

若い世代の動きと平和に向けて

実は、「核兵器禁止条約」が2017年に採択されるまでに、世界中の若い世代が活躍したそうです。核廃絶に向けて活動している団体が、条約採択に向け、各国の議員の元に足を運びました。また、SNSを活用したよびかけが展開されました。面会を重ねるごとに議員の方々が関わり方を模索していく方向に変わっていったことを感じたといいます。「議員は問われるから考え始める」と高橋さん。世界で起こった市民団体による国家への働きかけは「核兵器禁止条約」の成立に大きく貢献しました。高橋さんが共同代表として関わる任意市民団体「カクワカ広島」「KNOW NUKES TOKYO」でも、日本政府へのオブザーバー参加への呼びかけや議員への核政策アンケートなどを実施しています。

 

核廃絶に向けて、足を運び続け、問いかけ続けるという高橋さんのお話に、被爆体験を語る松本さんの言葉も重なります。「何があったのか知ることで、そこから何かを感じることができる。私たちは無力ではない、微力な力が世界を常に動かしてきた事実を思い出してほしい」。

 

「核兵器禁止条約」締約国会議に出席していたフィジー出身の20代女性の「核実験を、太平洋人として重く受け止めている」という発言も紹介してくれました。高橋さんは、「太平洋人として」という言葉の中に、国を超えたアイデンティティを感じたことが印象深かったそうです。松本さんも、それに関して話してくれました。「世代、国、宗教、文化、民族というそれぞれのアイデンティティを超え、人間としてというアイデンティティに向かおうとしている姿が若者たちに見える。守るものとして共通しているのは“言論の自由”と“生存の権利”。そこに希望が見えた」と。「でもそのアイデンティティに辿り着くのには、時間がかかります。その間に私たちがすべきことは、判断を誤らないようにすることですね。若い世代に見えている希望を実現するために」と言葉を続けてくれました。

講演を終えた後、宮前市民館を出て、振り返って見た空

「日野原先生が、平和への虹は、僕はここまで、君はここまで、と未来に世代をつないでいけるか。それともつなげずに地球がなくなるか、と仰った。このことはまさに、みんなの問題です」という松本さんのお話。高橋さんの「みんな、当事者なのだと思います。各時代に生きる当事者なのだと」という言葉。それらを思い返しながら、草の根運動から国へ働きかけていく道筋を作っていく若い世代、世界と自分が暮らす地域の差を感じさせない彼ら、時代のSNSの距離感がまさに彼らの感覚なのかとカルチャーショックを受けつつも、そこに平和につながる希望があり、平和への虹をつなげ続けようとする多くの人々がいるのを感じました。

 

最後に、会場からの質問に高橋さんが答えます。今回の自分たちのお話に対しても、正しいと判断しなくて良いと仰いました。むしろ、自分で調べて、考えて自分なりの信念を持っていただけたらうれしいですと。

 

そうして、それぞれの方が、信念を形作る過程の中で、自分たちは自分たちが体験した話や自分たちが知る歴史や会議での出来事などを、それぞれの方が考える際の材料として提示し続けていきたいということでした。それを、また別の言い方で、高橋さんは“本物との出会い”を作る場所を提供したいとも仰いました。松本さんも仰います。「大事なのは、知ること。知ることとは、インターネットで知識や情報を得ることを指すのではなく、自分の足を前に出して動いて出会って、聞いて、本物かどうかも含め何をどう感じるかです」

 

会場の様子。核廃絶運動について高橋さんは語ります。「変化はすぐには訪れない、でも、人がつまずいたり、大きな局面に、辿り着いたとき、体験談や体験が歯車となって、その人の中で、動き始めるかもしれない。本物との出会というのは、非常に価値があります。だからこそ、本物との出会いを作りだしていくことは、生きる私たちの責任です」

Information

■松本正(ペンネーム松本希雲)さんについて

「ハマ風の会」代表メンバー 五行詩歌誌「ハマ風」発行人

・五行詩歌「ハマ風の会」
HP  http://5uta.web.fc2.com/

 

 

■高橋悠太さんについて

・カクワカ広島HP

https://kakuwakahiroshima.jimdofree.com/(任意団体カクワカ広島共同代表)

・KNOW NUKES TOKYO HP

https://www.know-nukes-tokyo.com/(任意団体KNOW NUKES TOKYO共同代表)

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この記事を書いた人
田中ゆうきライター
横浜に越してきて、たくさんの緑に囲まれて過ごし、季節の移り変わりをいっそう感じるようになりました。わが子たちも、自然とともに育ちあっていてます。最近の興味は、キャンプ、食育、バトミントン、畑での野菜作りなど。家庭菜園も始めてみたいと思っています。
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