緞帳と聞いて皆さんはどんな想像をしますか?私にとって緞帳は、舞台が始まるまでのひと時を待ちわびながら目にするものです。そんな代えがたい大切なひと時を織りなす緞帳をデザインした人間国宝がいる。しかもその緞帳が横浜市港北区の港北公会堂にあると聞き、どんな緞帳なの?と興味を駆り立てられイベントに参加しました。
「~知られざる港北の宝~横浜市港北公会堂の『どんちょう』を楽しむ」は、横浜市歴史博物館主催の「和の(大)文化祭」の一つ。「和の(大)文化祭」は、各区に根付いた文化施設が地域で暮らす人々を結ぶ紐帯としての役割を果たすことを目標にした地域連携イベントで、この日はおよそ70名を超える参加者が集まり開催されました。まずは、横浜市歴史博物館副館長の刈田均さんから開会挨拶があった後、おもむろに緞帳が上がり「芹沢銈介『知られざる港北の宝』~公会堂の緞帳をデザインした人間国宝~」の上映が始まりました。
東急東横線・大倉山駅から徒歩7分ほどのところにある横浜市港北公会堂は、1978(昭和53)年に開館。開館の記念に合わせて作られた緞帳をデザインしたのが重要無形文化財「型絵染」の技術保持者、人間国宝・芹沢銈介です。芹沢に下絵を依頼したのは、日吉の旧家の当主・田邊泰孝という人物。田邊家は現在の「日吉の森庭園美術館」となっていますが、今でも下絵4枚の原図を始め、芹沢に下絵を依頼した時の資料が数多く残されており、当時の売れっ子作家であった芹沢へツテをたどって懸命に依頼したとされるエピソードも伝承されているのだとか。
鶴見川をモチーフとして描かれた「陽に萌える丘」は、芹沢が83歳の時の作品。芹沢の指名により国内外の歴史的建造物の室内装飾織物の製作を担ってきた京都の名門織物メーカー・川島織物(現川島織物セルコン)によって織られたこの緞帳は、芸術性が高く、まさに「港北の宝」と言えます。
この日冒頭に上映された映像作品では、緞帳の下絵を芹沢銈介がデザインした経緯や、「陽に萌える丘」のデザインが丁寧に紐解かれていき、見終わった後には、また違った視点を得て緞帳の魅力を体感できるようになっていました。
港北区で暮らす人々が選んだデザイン
続いては「緞帳のデザインを読み解くー鶴見川流域に住む人々の想い―」と題し、今、目にした緞帳に描かれた細部を読み解き、4つの下絵の中からこのデザインがなぜ選ばれたのかについてを郷土史に詳しい大倉精神文化研究所理事長の平井誠二さんが解説しました。平井さんは、芹沢が描いた下絵の4つのうちからこの「陽に萌える丘」が選ばれた経緯を、横浜市港北公会堂が開館した昭和53年まで地域の身近な問題が背景にあったのではと推測。鶴見川流域では古くから大きな洪水被害が相次いだ歴史がありました。この「陽に萌える丘」が「水害のない港北区の明るい未来と、強いきずなに結ばれた港北区民を象徴しているのではないでしょうか?」という平井さんの考察から、土地に暮らす人々が重ねてきた歴史とその思いに触れることができました。
4500年の時を越えて港北区とつながる芹沢銈介
次に、横浜市歴史博物館学芸員・橋口豊さんから専門の「考古学」という視点から、採用されなかった2点の下絵「遺跡」(上写真の左上)と「土器」(上写真の左下)に着目した「芹沢銈介と港北区域との遠くて近い話」の解説がありました。
下絵のひとつ「遺跡」には、大きな湾曲を描くまるの中に、いくつかの小さなまるが描かれています。これはかつての港北区、現都筑区にある大塚・歳勝土遺跡を描いたものと考えられ、小さなまるは住居の柱跡。この遺跡を発掘したのが岡本勇という考古学者でした。実は芹沢銈介の長男である長介は日本の旧石器時代研究の第一人者で、この岡本と芹沢長助の2人は共に発掘作業に携わった仲間であり、同時代に日本の考古学研究に寄与していたのです。親と子、時代の流れをも超えた港北区と芹沢銈介との不思議なつながりを感じるエピソードでした。
14時から始まったイベントもいよいよ終わりが近づき、再び緞帳が下ろされました。壇上では「芹沢銈介緞帳プロジェクト」代表の大野玲子さんから、2023年3月に発行を予定している冊子「緞帳から見える港北区の歴史」を現在作成しているという報告と「日本の伝統文化を身近なものとして楽しんでいけたら」というお話があり、イベントは終了となりました。
緞帳が紡ぐ土地の人々
イベント終了後、改めて今回のイベントの主催、協力として開催に携わった皆さんにお話を聞きました。
上映された映像作品を企画・制作した区民グループ「芹沢銈介緞帳プロジェクト」の代表大野さんは「2019年の4月にこの会を立ち上げましたが、コロナ禍となり活動自粛が余儀なくされる中、動画を作ろうということになったんです」と制作のきっかけを話します。大倉精神文化研究所の平井さんは、横浜市歴史博物館学芸員の橋口さんから今回のイベントの話を聞き「緞帳をただ見ているだけでは分からない、芹沢さんの思いがすごく伝わってくる文化的に踏み込んだ活動をしていたので」と、大野さんを橋口さんに紹介しました。「この緞帳が、今まで関わったことのなかった人たちとの色んなつながりを生み、新しい発見が次々あって、面白いなって感じています」と大野さん。緞帳プロジェクトのメンバーで、今日のイベントでは司会を務め、作成中の冊子責任者でもある阿部知行さんは「子どもの頃から60年にわたり港北区に住んでいました。今までも地域活動はしていましたが、退職後、自分の根を置いていこうという意識を持って活動を始めました」
横浜歴史博物館学芸員の橋口さんは「地域に根を張ろうと思うのは、魅力があるから。こういうイベントを通じて『地域とは重層的に情報が集積されている場所なんですよ』と暮らす人たちが知ったら、もっと地域を好きになるんじゃないかな」
平井さんは、緞帳や公会堂ができた当時について「この緞帳も、できたばかりの頃はもっと色鮮やかだったんだろうなと思います。同じ時期にできた区役所に関する図面などの情報はあるんですよ。ところが、公会堂に関する記録は、区の公式の出版物や新聞、その他見てもほとんど出てこないんですよね」。芹沢に下絵を依頼した旧家の田邊泰孝さんの孫で、日吉の森庭園美術館の学芸員・田邊陵光さんもうなずきながら「採用されなかった下絵3枚の話も詳しくは分からない。やっぱり後になってね、聞いておけばよかったなって」と話します。現存する資料は少ないながらも、開館当時、この地で暮らす人々の思いからつながって生まれたこの貴重な緞帳から、文化の拠点である港北公会堂の誕生を喜び、祝った人々の情景が浮かんできます。本イベントでつながった方々をはじめ、区民の皆さんが港北公会堂とこれからどう歩んでいくのか想像を巡らせながら、その歩みがとても楽しみになりました。
地域を紡ぐ緞帳が今日も上がる
この日、新聞のイベント告知の切り抜きを手に「新聞で見て来ました」という港北区在住の女性は「私も染色関係の学会の団体にお勤めしていたことがあり、興味を持って参加しました。公会堂には初めて来館しましたが、こんな緞帳があったと初めて知りました。緞帳はとても素晴らしい織りでした」と第一声。「川島織物で作られたということですから、織りや染めについても聞いてみたかったです」とのお話に、これからも緞帳が様々な縁を紡いでいくのではと想像が広がりました。
昭和54年生まれの私は、緞帳とほぼ同い年。色褪せた糸を見ながら、この緞帳が歩んできた月日と自分を重ね合わせました。思えば初めての発表会で舞台に立ったのは、子どもの頃暮らしていた地域のホールでした。緞帳が上がってお客さんが見えた瞬間を忘れることができず、見るのも立つのも好きになって、舞台が身近にある仕事に就きました。この緞帳も私がそうだったように、港北区で暮らす人たちの縁を紡ぎ、今回のイベントのようにまた新たなつながりを生んでいるのではないでしょうか。芹沢銈介が下絵をデザインし昭和53年に誕生した緞帳「陽に萌える丘」は、時を経てもなお、地域に暮らす人々を紡ぐ贈り物なのだと感じました。贈り物を愛でる人たちとともに、これからもこの土地で暮らす人々を紡ぐ「どんちょう」が今日もまた上がります。
*本記事は横浜市歴史博物館主催<都筑・青葉・港北 和の(大)文化祭>として実施した取材記事です。
港北映像ライブラリ 芹沢銈介「知られざる港北の宝」 〜公会堂の緞帳をデザインした人間国宝〜
(本イベントで上映された動画が上記リンクで視聴できます)
日吉の森庭園美術館
よこはま縁むすび講中
大倉精神文化研究所 平井誠二先生インタビュー 港北区・緑区・青葉区・都筑区は “鶴見川流域文化圏”
http://yokohama-enmusubi.jp/report/interview-dr-hirai.html
公益財団法人 大倉精神文化研究所
横浜市歴史博物館
https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/
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