外国人在住者と子育て〜メイドがいない日本での育児とは〜 都筑区在住・Ayu Hannisfaアユ ハンニスファさん
「家事は家政婦がやるもの」メイドという職業が確立され、乳幼児の世話は、ベビーシッターを雇うのが一般的だといわれるインドネシア。今回は、インドネシアの首都ジャカルタで生まれ育ったアユ・ハンニスファさんにお話を伺いました。

(文=NPO法人Sharing Caring Culture 代表理事 / 川崎市立小学校外国語活動講師 三坂慶子/写真提供 NPO法人Sharing Caring Culture)

*このシリーズでは、「子どもを育てる」現場の専門家の声を、毎月リレー方式でお送りしていきます。

 

 

■自分の時間をつくって日記を綴るアユさん

「アユ」さんと名前を聞いて、日本人を想像する方もいらっしゃるかもしれません。「かわいい」、「美人」を意味する「アユ」という名前は、インドネシアでは長女に付けられることが多いそうで、私がアユさんの名前を聞いたのは、マレーシア出身のメンバーのファラからでした。私たちNPO法人Sharing Caring Cultureは、2021年度から都筑区子育て支援拠点ポポラと共催で「多文化子育ておしゃべり会」を開催し、日本人も外国人も同じ地域で子育てをする仲間同士、気軽におしゃべりしながら、地域の子育て情報を共有する場をつくっています。言葉の壁を越えて、コミュニケーションを図るため、英語も日本語も堪能なファラが主にファシリテーターを務め、ファラの友達のアユさんは2歳半の男の子を育てていて、この会に参加しました。

 

毎回異なるテーマで進行していますが、育児中の母親が自分時間(Me time)をどんな風に過ごしているかというテーマで話をしたとき、「毎日日記をつけている」と言って、きれいな手書きの手帳を見せてくれたのがアユさんでした。「自分時間はほとんど取れない」、「一人でゆっくりランチをしたい」、「録画しているドラマを見たい」という日本人のお母さんたちもいる中、マスキングテープやシールで彩られた日記帳に参加者一同、感嘆の声がもれました。その場にいた私も自分の娘が幼かった頃、成長の折々の記録を写真に残したものの整理する時間もなく、もやもやしていた当時のことを思い返しました。同じ未就学児の子どもを育てているのに、この余裕。少なくとも私の娘が2歳児の頃は、日記をつける気持ちのゆとりすらなく、一人娘なのに毎日あたふたしていました。この違いは何だろうと、その場に居合わせた私は、自分の育児を振り返りながら呆然としてしまいました。

都筑区子育て支援拠点と共催した多文化子育ておしゃべり会でアユさんは、自分の手帳を披露。ていねいに毎日の出来事が綴られた手帳に参加者は釘付けでした

■子育て支援拠点でインドネシア文化を紹介

アユさんに出会って半年後、ポポラのスタッフとの打ち合わせで、多文化子育ておしゃべり会と並行して実施している「チルコロギャラリー」という子育て支援拠点の多文化展示についてアイデア出しをしていたときでした。2021年度は、コスタリカ、タイ、インド、マレーシアと当団体の外国人メンバーが、ららぽーと横浜内にあるポポラサテライトでの展示に協力して、地域の子育て支援拠点で外国出身者の母文化を紹介する場を設けました。さて、2年目の2022年度は、どこの国の展示にしようかという話になり、ファラが提案したのがインドネシア出身のアユさんでした。ファラを介して、アユさんからインドネシアの民族衣装(バジュケバヤ)を借りて展示するほかに、展示期間中に外国出身者が自分の国の暮らしや文化を紹介する「チルコロギャラリートーク」を実施することになり、アユさんに確認したところ、インドネシアの子どもの歌と子育てについて話をしていただくことになりました。

 

チルコロギャラリートークのテーマが決まり、後日、私はアユさんと内容を確認するための打ち合わせの時間を持ちました。日本語と時々英語を交えながら、インドネシアの子育てについて話すアユさんの言葉を聞くうちに、育児に対する文化的な背景の違いがみるみると浮かび上がってきたので、途中から取材のような形で彼女の言葉をメモに残していきました。

子育て支援拠点ポポラでインドネシアの民族衣装の展示期間中に実施したチルコロギャラリートークでは、アユさんがインドネシアの子どもの歌を動画で紹介した後、参加者の親子と一緒にインドネシアの歌を歌いました

 

インドネシアの公用語バハサ・インドネシア語とマレーシアの公用語マレー語は、似ていて、お互いにそれぞれの言語で話をしても概ね内容を理解できるそう。Terima Kasih(ありがとう)やSama Sama(どういたしまして)をはじめ、両言語、同じ言い回しがあります

■母親が子育てできるよろこび

アユさんは、インドネシアの首都ジャカルタで、3人きょうだいの真ん中、長女として生まれ育ちました。国民の約87%がイスラム教徒(外務省「インドネシア共和国基礎データ」)であるといわれるように、アユさんもイスラム教徒ですが、厳格ではなく、ヒジャブ(頭や体を覆う布)を着用していません。保守的なインドネシアの家庭環境が嫌で、小さな頃から海外へ出たいと思い、高校を卒業してからオランダの大学へ進学。経営や物流を学んだ後、オランダで日系の会社へ就職。4年間勤務した後、2015年に京都大学大学院の留学生として来日し、学生時代に出会った日本人の夫と2017年に国際結婚しました。インドネシアで行った結婚式の披露宴には、1,000人が出席。家族、親族、職場の人以外にもご近所、地域の人、家族の知人も招待するため、500〜1,000人という壮大な数の招待客を招くのは、インドネシアでは一般的だとか。2018年に男の子を出産。結婚当初は、関西地方で暮らしていましたが、2020年に横浜市都筑区へ転居し、横浜での生活を始めました。

インドネシアでの結婚式の写真。女性は、刺繍が施された「ケバヤ」というインドネシアの正装にあたる伝統民族衣装を着用し、男性は「ブスカップ」というジャケットを身につけ、バティックという布でできた筒状の「サロン」を合わせます

さて、冒頭でも書いた通り、インドネシアでは、「家事は家政婦がやるもの」とメイド文化が定着しており、アユさんも生まれた時からメイドがいる家庭で育ちました。日頃は住み込みのメイドが家事をするので、メイドが休暇の時は家族が家事をしないといけないのが大変だったとか。日本で留学生時代にアルバイトで初めてトイレ掃除をすることになって、どうやって掃除をすればいいのか戸惑ったほど。そのため、アユさんは日本で子どもを出産し、育児をする立場になって、育児と家事の両立に苦労し、子育てをする大変さを目の当たりにしたと言います。そうした状況を見かねたインドネシアの両親から、「しばらくインドネシアに帰ってきたら」と言われたり、インドネシアに住む友人たちに「メイドに家事を頼めばいいのに、どうして一人で全てやるのか」と疑問に思われたりしたとか。家事だけでなく、メイドが離乳食を作ったり、子どもに食事を与えたりすることもあります。子どもは自分でスプーンやフォークを持って食べることをせず、メイドが家事の一つの任務として子どもに食べさせているため、小学生になって初めて自分の手を使って食事をするケースもあるようです。食事に限らず、子どもが一人で着替えをすることについても同様で、メイドに着替えさせてもらう子どもも珍しくないと、アユさんは言います。

 

メイドが家事以外にも、育児の一端を担う環境で育ったアユさんから見ると、日本に住むことになって、特に母親が子どもの自立や成長を見守りながら、自ら手をかけて子どもを育てる姿は新鮮に映ったようで、インドネシアのポッドキャストの配信で日本の子育てについて話をしたこともあったそう。

 

「インドネシアでは、メイドやベビーシッターからすれば、育児のサポートは家事と同じルーティーンワーク(日常業務)で、仕事の一つ。こんな人に育てたいと強い思いを持ってしつけをしたり、育児に関わったりするわけではないので、生まれたばかりの乳児期から母親が毎日の生活の中で子どものちょっとした成長を感じられることは自由で新鮮なことなのです。自分らしい子育てをしたいです」と語るアユさんの言葉を聞いて、ハッとしました。11年前に始まった私自身の子育てをふりかえってみて、母親の自分が育児をすることは、当然のことだと思っていたので、それが新鮮で自由だなんて、考えてみたこともなく、自分が「大変」だと思っていた子育ても違った視点でみると「大変さ」が肯定的に捉えられるのかと驚きました。

チルコロギャラリートークの進行を務めたファラとのツーショット。二人とも日本の大学で学んだこともあり、日本語が堪能です

それでもこれは、あくまでアユさん個人の生い立ちがあっての育児観。約300もの多様な民族で構成される多民族国家のインドネシアの子育て事情を、アユさんが語った通りに一般化はできません。アユさんによると、友達の親が何語で話しているかわからないこともあるくらい、インドネシアは多言語、多民族の国。民族や地域によって、生活や慣習は異なり、首都ジャカルタとは違って、農村部では、両親が都市へ出稼ぎに行き、両親不在のまま、祖父母や親戚、近所の人たちが子どもを育てるなど、育児のかたちも多様だと言います。

 

アユさんとの対話を通して、母親(父親)自らが乳幼児期から子育てをするという、私にとっては当然のことだと思っていたことが広い世界の中ではそうではないと知ったこと。また、母親(父親)が子育てに専念できることに憧れる人がいたこと。こうした気づきを、いま育児で悩んだり、行き詰まっていたりする人たちと共有することで、もしかしたら違った視点で子育てを見つめるきっかけになるかもしれないと思い、本文を綴りました。

 

私が育児を始めたばかりの頃、夫の帰宅が遅く、私も夫も地方出身者のため、実家を頼ることもできず、泣き止まない我が子を見ながら一人の子どもを育てることがこんなにも気持ちをすり減らすものなのかと感じたあの頃、アユさんの思いや子育て観を聞いたら、自分の手で子どもを育てられることに対して、少し大らかな気持ちになったのかもしれません。

Information

今年度、Sharing Caring Cultureは東急子ども応援プログラムの助成をいただき、子ども多文化交流事業を年間14回実施します。21名の外国人と日本人が「多言語おはなし会」、「My Country Day世界を体験!」「ファミリークッキング」を企画します。これまでコラムでも紹介してきた外国人メンバーのほかに、ブータン、ソロモン諸島、ラトビア、エクアドルなど青葉区、都筑区在住の外国出身者が登場します。本コラムのアユさんも関わっています。当団体のホームページやSNSでイベント詳細をご確認ください。

https://sharingcaringculture.org/archives/5666/

 

<Profile>

三坂慶子

NPO法人Sharing Caring Culture 代表理事 / 川崎市立小学校外国語活動講師

幼少期をアメリカで過ごす。現地校に通い、小学校3年生で日本に帰国、公立小学校へ編入。大学院修了後、民間の英会話スクールにて児童英語講師を10年間務めた後、川崎市立小学校教諭となる。出産を機に退職、2014年に任意団体Sharing Caring Cultureを立ち上げ、日本人と外国人が文化的な活動を通じて交流を深める場をつくる。2019年にNPO法人となり、在住外国人とともに地域づくりを進めることを目的として外国人の子育て支援や多文化交流事業を展開する。

 

NPO法人Sharing Caring Culture:https://sharingcaringculture.org/

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