里地里山入門講座は横浜市環境創造局の主催で、寺家の田園風景とそこに関わる人の営みを知ってもらうことで、市民の活動のきっかけをつくることを目的に令和4年度に初めて開催され、今年は2回目となります。9月から11月にかけて全4回で、第1回で里地里山に関して座学を受けた後、第2回では寺家の水田での収穫作業体験、第3回は樹林地に入って下草刈りや除伐等の保全管理作業の実習、第4回は米を収穫した後の藁を活用したわら細工体験と進んでいきます。
横浜市の臨海部で生まれ育った私にとって寺家の風景はとても新鮮なものであり、かつ寺家で採れたお米は何度も食してそのおいしさは折り紙付きなので、収穫体験ができるというのがいちばん大きな参加理由だったのかもしれません。
第1回目の講師は吉武美保子さんです。
吉武さんはかつて寺家ふるさと村の四季の家に勤務し、農産加工や自然観察会などに携わっていた経歴があります。現在はNPO法人よこはま里山研究所NORAの理事として里山の価値を見直し人と自然のつながりを取り戻す活動、NPO法人新治里山「わ」を広げる会の事務局長として横浜市緑区にある新治里山公園の管理運営にそれぞれ携わっています。 寺家での経験が今の活動の原点という吉武さん、どんな講義が始まるのでしょうか。
まず「里地里山」とはどういう意味なのか、吉武さんは日本の有名な昔話、桃太郎の一節を取り上げました。
「おじいさんはやまへしばかりに おばあさんはかわへせんたくに」
吉武さんからは「『しばかり』の部分を漢字で書いてみてください」とお話がありました。私を含め何人かの受講者が「芝刈り」と書いていたようですが、正解は「柴刈り」でした。
「焚き木にする小枝を切ったり拾ったりして集めてくることを柴刈りと言います。芝生を刈ることではないんです」と吉武さん。
桃太郎のおじいさんが作業をしに行ったこの山が「里山」なのです。人間の手が入りにくい原生の山林に対して、その土地に住む人間の生活と結びついている山が「里山」です。吉武さんは「人の働きかけを通じて作り上げられた自然空間」とも表現します。一方、山に対して平らな空間を「里地」と言い、もともとは平成初期における国の環境基本計画に登場した概念だったそうです。
NORAが設立された2000年ごろ、「里山」という言葉はまだ一般的ではなかったものの、その後テレビ番組などで森林や田畑、農家をテーマにした演出が増えたことで、世間での認識が広まったと言います。
続いて、里地里山で育まれてきた風土や文化の話に移ります。
どんど焼きは、家に飾ってあったお正月の縁起物などを持ち寄ってお焚き上げする正月明けの恒例行事です。残り火で焼いた団子を食べるとその年は無病息災で過ごせると言われていますが、新治里山公園のどんど焼きでは、先端が三つに分かれた木の枝に団子を一つずつ刺して火に炙るのだそうです。三つの団子には、一つは家族で食べる、一つは自宅の神棚にお供えする、一つは隣近所に分ける、という意味があると吉武さんは説明します。
水田で米を育てるには、川から水を引き込んでくる必要があります。しかし川の水を独り占めするわけにはいきません。地域の中で川の水をどのように使うか、氾濫に備えて川の土手をどのように保全していくか、ということを考えなくてはなりません。そういった人々の活動がその土地に根ざした風土や文化となります。隣近所と分け合うという考えも、どんど焼きの団子のような地域の祭礼という文化の中で現れています。
こうして室内での座学が一通り済むと、今度は屋外の散策に出かけました。
寺家ふるさと村には三つの谷戸(山田谷戸、熊野谷戸、居谷戸)があります。谷戸とは、丘陵地が水の力によって長い年月をかけて削られてできた谷状の地形のことを言います。このような土地は湿潤なため農耕地に適していることから、水田などに利用されてきました。
横浜市内には「谷戸」「谷」が付く地名が300カ所近くあり、かつての横浜では寺家のような風景が至る所で見られたのではないかと想像できます。現在では多くが開発されて住宅地などになっていますが、寺家は昔ながらの谷戸の姿が残っている地域の一つなのです。
寺家で多く見られるコナラ、クヌギ、サクラなどの樹木。これらはかつて薪や炭の原料とする木材を取るために人の手によって管理、栽培されていたものです。特に寺家の雑木林に生えているものは、昭和40年代まで薪炭林として利用されていました。
木の若芽が成長して、薪や炭にするため伐採するまで約15年かかります。伐採した後切り株から新たに若芽が生えてきて、成長して伐採するまで再び約15年。このサイクルが延々と持続していくのが、里山のサスティナブルな形です。
若芽が成長するまでの15年の間には、木の成長を促すため周辺に生える雑草や雑木を刈る作業(桃太郎のおじいさんが行う柴刈りですね)や落ち葉をかき集める作業があります。小枝は日常生活の薪木に、落ち葉は発酵させれば堆肥となり田畑に還元されます。米を収穫したならば後に残った稲藁は発酵させて堆肥となり土に還る、とたくさんの循環が生まれます。生まれたものが形を変えてまた戻ってくる循環の形を、吉武さんは「里山にはたくさんの○(まる)がある」と表現していました。
残念なことに、私たちの生活様式が変化して薪や炭の需要が減少すると、薪炭林は伐採されることがなくなり、循環は途切れてしまいました。人の手が入らなくなった里山では木は大きくなり、ナラ枯れと呼ばれる現象が起こります。
こうして枯れた木はそのままにしておくと倒木の危険があります。横浜市民は市民税と共に横浜みどり税を納めていますが、こうした税収は巨木化する前に計画的な伐採を行うなどの緑地保全管理にも使われています。では伐採した木はどうするのか。かつてほど薪や炭としての需要がないので、チップ化やたい肥にする処分しかできていないのが現状のようです。
1回目の講座が終わって自宅に帰りながら、そういえば自宅の近くには栗田谷という「谷」が付く地名があったな、と考えていました。私の自宅は横浜市神奈川区にあります。寺家のような田園風景とは真逆の建物が立ち並ぶ住宅街です。谷戸の面影が自宅近くでも見られるかなと淡い期待を抱きながら、近所の高台にある公園に行って栗田谷の方を眺めてみました。
想像以上に高い建物が増えており、「ヤマ」と「ノラ」の高低差がなくなっているようにも見え、谷戸の面影を見出すことは難しかったです。
最寄り駅名にもなっている「反町」という地名はかつてこの辺りで行われていた農耕に由来するという説があり、今は暗渠になっているものの私が小学生の頃は反町川という小さな川も流れていました。今では地名によって昔の姿を想像するほかありませんが、ここにも里山は確実に存在していたということでしょう。
寺家の講座で学んだことを改めて思い出すと、住宅が建ち並ぶわが街の見慣れた風景が、寺家の風景と重ね合わさり、私にとって別世界だった寺家が少し身近に感じるようになりました。
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