音楽は体験の先に。家族で通える音楽教室「芸術村あすなろ」
音楽のまち「かわさき」。音楽活動が盛んな川崎市内にはコンサートホールや音楽大学もあり、多くのオーケストラが音楽活動を行っています。川崎市宮前区を拠点として活動する「芸術村あすなろ」は、41年もの歴史をもつ音楽教室。ここには子どもから大人までが通い、毎年12月には川崎で、一般募集の参加者と共に300人以上もの規模でボレロの合唱・合奏を行っているといいます。芸術村あすなろの活動拠点に潜入し、安部順子先生、渡辺礼子先生にお話を伺いました。

芸術村あすなろは、1983年に設立された音楽教室です。川崎市宮前区けやき平にある集合住宅「グリーンハイツ」の一室からスタートし、今では神奈川県内4カ所で教室を運営しています。この音楽教室に通うのは、1才半の子どもから成人までの幅広い年齢層の生徒たち。幼児のためのリトミック教室からはじまり、児童のためのピアノ、声楽、弦楽器、コーラスやオーケストラ、オペレッタ、音大受験コース、お父さんお母さんのための弦楽アンサンブルやコーラスまで、多種多様なクラスが開かれています。

 

今回の取材は東急田園都市線・宮前平駅近くの富士見台教室で行いました。取材中、隣の部屋からは、ピアノレッスン中の子どもが奏でるおもちゃのチャチャチャの音楽と、それを口ずさむ先生の明るい声が聞こえてきました。

宮前平駅最寄りの富士見台教室のようす。 他にも、宮前平芸術村ホール(グリーンハイツ)、中野島、すすき野教室があります

~芸術村あすなろの はじまり 創始者 安部嘉伸先生と門下生たち~

芸術村あすなろができたのは41年前。洗足学園音楽大学で声楽を教えていた声楽家・安部嘉伸先生(以下、安部先生)と、その生徒たちが中心となってこの音楽教室を立ち上げたのだそうです。

 

現在、芸術村あすなろの代表を務めている渡辺礼子先生が、当時の状況を語ってくれました。

 

「芸術村あすなろは、安部一門の門下生だった8名でスタートしました。当時は、音楽大学を卒業後、音楽を仕事として就職できるような場所がほとんどなくて、卒業した後は田舎に帰らなくてはならない状況でした。それならば安部先生と自分たちで音楽教室を開いて仕事をつくろう、ということになり、グリーンハイツを拠点に活動を開始しました」

 

門下生の8人は生徒を集めるために、自分たちの練習時間の合間に、夜も寝ないで近所の家に営業訪問やチラシ配りをしたそうです。その結果、なんと3カ月で300人ほどの生徒が集まり、音楽教室としての形をつくったとのこと。活動初日からレッスン希望のお客さんが来てくれたそうです。なかなか家にも帰れないほど忙しくなってきて、そんな時は安部先生の妻である順子先生が食事を提供してくれることもあったようです。

当時は大学を卒業したばかりで何もわからず、音楽には関係のないようなことまでがむしゃらにやっているうちに、生徒さんが増えてきて後にも先にも引けなくなったと笑いながら話す渡辺先生

「音楽には直接関係のないことも色々と経験し体感することで、表現の幅も深みも増していく」と教えていた安部先生。まだまだやりたいことがたくさんあったであろう中、創設6年目にしてその生涯を閉じました。

安部先生の妻であり、現在は芸術村あすなろの総監督をしている安部順子先生(以下、順子先生)は、夫についてこう語ります。

 

「これからもっと色々なことを子どもたちに経験させたかっただろうに、無念だったと思いますよ。生徒を残して逝ってしまって」

 

音楽を通して自らの身に情熱を投入し、生き甲斐の持てる場をつくろうと、演奏家たちが手づくりで作った音楽グループ、芸術村あすなろは今もなお、妻である順子先生や門下生らが創始者の志をついで運営しています。

 

 

~実感体験が特徴的なあすなろのカリキュラム~

芸術村あすなろの大きな特徴は、ただの「音楽教室」とは言い切れないような、さまざまな課外活動を行っていることです。これらは、安部先生ご存命の時代からずっと受け継がれてきているものです。

 

そのうちの一つが、毎年夏に山形県で行われている5泊6日の合宿です。この合宿は、山形県出身だった安部嘉伸先生の発案です。音楽に直接関係のないようなことまで、あれもやろう、これもやろうと好奇心旺盛だった安部先生。それらは単に自分の興味だけでなく、どうやら自分の門下生と芸術村あすなろに通う子どもたちのことを考えていたからゆえのようです。

 

順子先生は言います。「合宿では現地の小学生との合同音楽練習だけでなく、野外炊飯、田んぼの手入れ、さらにはタイミングが合えば子牛の誕生立ち合いなど、普段なかなかできない体験……実感体験をあすなろでは大切にしているんですよ。そのような体験を積んで帰ってくると、子どもたちの勢いや目の輝きが明らかに違ってくるんです。実感体験から得た自然の力を子どもも大人の私たちも吸い込み、それらが美しい音を奏でるエネルギーになるのです。教室の中で楽器と向き合っているだけでは見えない子どもの一面があります。外に出て子どもたちを観察すると、部屋の中だけでは見えないところが見えてくる。部屋の中でできることと、部屋の外だからこそ見えてくること。その両者をうまく形にしていくのが芸術村あすなろの音楽教室です」

子牛の出産に遭遇したことのある安部先生が「こんな感動的な場面にこそ子どもたちを立ち合わせてあげたい!」それがきっかけで、毎年山形の合宿には牛の世話が盛り込まれたとか(写真提供:芸術村あすなろ)

 

吾妻連峰・一切経山登山の様子 頑張って登頂するとそこには魔女の瞳と言われる五色沼の景色が(写真提供:芸術村あすなろ)

合宿滞在期間中はクーラーなし、携帯なし、テレビなしで、自然と音楽に向き合うことになります。「大変でも、最終的には喜びの方が上回ることを参加者のみんなは分かっているんです。だから来年もまた参加するし、保護者の方々の協力も得られてこうして続けられているのです」とも順子先生は言います。

楽しいだけではきっと続かない。大変の先にある喜びを大切にしたい、と語る順子先生

「1回でもこのような体験を皆と一緒にすることで、子どもたちの心の中に『そういえばあの時、あんなことがあったな』という宝物として残るかもしれない。そういった経験があるかないかでは、今後、子どもの楽しいという思いは全く違ってきます。だから運営する私たちも手抜きはできないのです。中途半端なことをしてしまうと、本当のものが何なのかわからなくなってしまうから」と順子先生は熱く語ります。

 

子どもたちの健やかな成長という土をしっかり耕してこそ、そこに根を張り、美しい音楽という花が咲く。目の前の楽譜に書いてある通りに演奏する・歌うというテクニックの部分だけではない、人の感性そのものを磨くような芸術村あすなろ。また先生方の人柄そのものが、人の五感を爽やかに刺激してくれるようにも感じました。

かつては当時の川崎市青少年課の協力を得て、多摩川で鮭の放流を行っていたことも。故郷の川の匂いを忘れずに帰ってくる鮭のように、参加した子どもたちとも4年後の再会を誓いあったのだとか。この体験をもとに、「鮭のオペレッタ」も作って上演していたこともあるそう!(写真提供:芸術村あすなろ)

〜家庭と社会と学校が音楽でつながる「少年の祭典 ボレロ」〜

芸術村あすなろでは、毎年12月、総勢300人以上の大合唱・大合奏「少年の祭典 ボレロ」を川崎で開催しています。参加者の約半数は一般参加希望者だそうで、今年も参加募集が開始されています。

毎年12月に川崎で行われている総勢300人以上の大合唱・大合奏「少年の祭典 ボレロ」(写真提供:芸術村あすなろ)

そもそもボレロとはラヴェルが作曲したスペインの民族舞曲で、シンプルな2つのメロディからなる旋律で、同じリズムが最後まで繰り返されるのが特徴的な音楽です。

 

芸術村あすなろの少年の祭典「ボレロ」とは、子どもから大人まで年齢や経験に関わりなく、思い思いの楽器、またはコーラスでひとつの音楽をつくりあげることを通して感動を共有しようと、毎年12月に川崎市で開催されています。オリジナルのオーケストラの楽器に加え、子どもたちが学校の音楽授業で習う鍵盤ハーモニカ、リコーダーそしてさらに小さな子どもたちは簡単なリズム楽器で演奏に加わり、コーラスが熱く歌い呼応する市民参加による大音楽会です。

 

12月の演奏会といえばよく耳にするのは第九だったりハレルヤだったりもしますが、何故ここではボレロなのか順子先生に尋ねると「ボレロは主に二つのメロディのみで、初めて音楽に触れる人にも分かりやすいから」とのこと。本来のボレロは楽器のみの演奏ですが、管弦楽だけでなく、楽譜がよめない人でも皆で参加できるようにと、そこに歌を付けて編曲したのが芸術村あすなろの「ボレロ」の特色です。バイオリンの楽譜だけでも12パートもあり、小さな子は石をたたく演奏やカスタネットなど、レベルに応じて無理なく参加できます。

 

そもそものボレロ演奏会の発端は1986年。山形へ合宿に行った最終日に地元の人たちに演奏を聴いてもらうことからでした。せっかくならば自分たちの成果を披露するだけでなく現地との交流も深めようということで、地元の小学生たちと一緒にボレロを合唱したのがきっかけとなりました。それが大きくなって市民活動へと広がり、1991年には“ボレロを楽しむ会実行委員会”が発足、また1994年には川崎市制70周年記念事業として取り上げられ、今に至ります。

 

ボレロの演奏では、立場に関係なく皆で一つのものを作り上げることを目標とし、演奏時には皆が音楽で一つになる感覚をおぼえたと渡辺先生は言います。

 

また、「子どもたちの健やかな成長のためには、家庭と社会と学校が三位一体になることが大切」という安部先生の信念が、息づいているのも特徴です。「練習場所の確保一つとっても、学校の先生や川崎市役所の人ともコンタクトを取りながら進んでいきます。公演にはご家族のサポートも不可欠です。社会全体で子どもたちのことを考えていこう、みんなで協力し合ってひとつのものを作り上げよう。それらが音楽で一体となるという表れがボレロなのです」と、順子先生は言います。

 

 

~これまでも、これからも 芸術村あすなろが目指すこと~

お母さんコーラスに参加している生徒の方がこんなことを言っていました。「安部先生の教えを今の先生方も忠実に守っている、というより、芸術村あすなろの先生方自身が生徒の可能性を引き出す力を持っている気がします。先生方が私たち生徒に対して魂レベルで向かってくるから、おのずと私たちも全力投球となるのです」と。

 

「その子のいいところを引き出したいと私たちは常に思っています。子どもたちは知らない世界かもしれないから、とにかく一緒にやってみて、その子の純粋な感性に触れ、何が好きなのかを見つけ出し、子どもたちが感じていることを吸い上げる。あなたにはそんなところがあったんだ!ということを見つけてあげたい。なかなか難しいですけれどね」と順子先生は結んでくれました。

 

芸術村あすなろが誕生して41年が経過した今では、親子二代、三代で音楽教室に通う方がいたり、芸術村あすなろ出身の子が音大を卒業し、そしてまた「あすなろで先生として働きたい」と戻ってくるといった、うれしい循環も起きています。

山形合宿の五右衛門風呂。幼い時に芸術村に通っていた子どもが今大学生になり、山形合宿のスタッフとしてお手伝いに入ってくれるそう。「小さい時に自分のした経験を、大学生になった今、もう一度経験してみたい」と語ります(写真提供:芸術村あすなろ)

4歳の時から就職前までピアノを続けて来た私は、「ピアノに集中する」ことを当たり前に捉えていましたが、芸術村あすなろは音楽教室でありながら、音楽以外のさまざまな実感体験をすることでこそ得られる喜怒哀楽の感性や情動、協調性、助け合い、思いやり、仲間の大切さをも習得できる、魅力たっぷりな場所でした。学校に限らず、芸術村あすなろのように音楽を通じたコミュニティに助けられる子どもたちや親御さんもきっといるだろうなと感じます。年に1回、家族みんなで少年の祭典ボレロに参加するというのも面白いかもしれませんね。

 

私もこの村の魅力に惚れ込み、大学卒業以後しばらく封印していたピアノの蓋を開けてみました。いったい今の私が奏でる音色には、これまでの実感体験がどのように表れているのだろうなどと思いながら。

Information

2024少年の祭典「ボレロ」開催決定!!参加者募集中

今年のボレロは2024年12月8日(日)、カルッツかわさきホールにて開催

初めての方も大歓迎!

小さいお子さんから大人の方まで、みんなで一緒にボレロを演奏しませんか?

お申し込みは下記HPより

https://bolero-kawasaki.net/campaign/

 

芸術村あすなろ

URL: https://g-asunaro.com/

Facebook: https://www.facebook.com/g.asunaro/

Instagram: https://www.instagram.com/g.asunaro/

 

*各教室

宮前平芸術村ホール
川崎市宮前区けやき平1-16-103

TEL:044-853-1649  FAX:044-888-8844

 

中野島駅前教室

川崎市多摩区中野島5-7-14

 

富士見台教室

川崎市宮前区宮前平2-12-6 2階

 

すすき野教室

横浜市青葉区すすき野3-8-3 1階
TEL 045-901-4418

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この記事を書いた人
葛西麻理ライター
新宿生まれ。横浜市青葉区在住。愛犬とアニマルセラピー活動を行いながら、犬を通した地域コミュニティの活性化や犬と人とのよりよい共生のために、自分のできることを模索中。趣味は車中泊。道の駅巡りやご当地グルメを楽しむのが好き。
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