(text:木村広夫)
子どものころ、カタツムリを部屋の中でじっと見ていた。あんなに動きが遅いのに、いつの間にかどこかへ行ってしまう。もしかしたら目を離しているすきに魔法を使って瞬間移動しているのかもしれない、と、本気で思った。あぐらをかき、腕組みをし、気合を入れて「今日こそ消える瞬間を見てやる!」と、畳を這うカタツムリとの根くらべがはじまった。しかし、気がつけばカタツムリの姿はどこにもなかった。
同じころ、カメも飼っていた。甲羅に穴をあけ、紐をつないで散歩をしていた。カメを先に歩かせたくて紐は甲羅のうしろに結んでいた。そんな散歩は1分ともたず、カメを引きずって帰ってきたのは言うまでもない。今考えると、カタツムリやカメの時間と自分の時間を共有したかったのだと思う。
同じように夏と冬とで季節が劇的に変化することも不思議に思っていた。裸でかき氷を食べていたかと思うと、いつの日かコタツにもぐりこみ、外では空からかき氷が降ってくるではないか。雪にかき氷の蜜をかけて食べた経験はだれにでもあるだろう(ないか)。
カタツムリの瞬間移動と季節の変化は同じなのではないかと気付いたのは、十代のころだった。アインシュタインという変なおじさんに興味を持ったのもこのころだ。「時間泥棒」が出てくるミヒャエル・エンデの『モモ』は、今でも私の愛読書だ。
私は現在、寺家ふるさと村で「農に学ぶ環境教育ネットワーク」というNPO法人を主宰している。「農を、学ぶ。」ではなく「農に、学ぶ。」なのだ。ここで言う農はもちろん「自然農」である。
大分の湯布院で飲んだイチゴジュース
三十代までグラフィックデザイナーという畑違いの仕事をしていた私に、一大転換を起こさせるきっかけがあった。それは大分の由布院を訪れたときのことである。
ある喫茶店でトマトジュースを頼むと、「お客さん、今の時期にトマトはありませんよ」と。では、今は何があるんですか? と尋ねると、「今は、イチゴがあります」と店主は言って、裏の畑からイチゴを摘んでジュースにして私の前に差し出した。私はしばらくそれを眺め、手をつけられないほどいたく感動していた。素晴らしい!
なんて素敵なのだ! 武骨で無愛想なこの店主にカッコよさを覚えた。ないものはないとあきらめる潔さ、今しかないものに最大限の感謝をしていただくことの贅沢さ。私の価値観を大きく変える出来事だった。
今から20年ほど前、寺家ふるさと村を初めて訪れた。そして直感した。ここでならできる! …なにが? まだ漠然としていた。この時、由布院での出来事が蘇ったのは確かだ。
私はもともと農家ではない。私の内にも外にも“農”は存在しなかった。ただ、母方の実家が熊本の阿蘇にあり、小学生の私は一人で夏休みのドリルだけを持って、ひと夏を過ごした経験がある。「本当に一人で残るのか?」と心配する母の気持ちとは裏腹に、私の心は夏模様だった。
私の記憶は臭覚によって蘇る。トウモロコシ畑でのかくれんぼの土のにおい。朝早く霧のかかった池のにおいと、ザリガニの赤い色。土間のひんやりとした空気と、かまどのにおい。農業の厳しさなど爪の垢ほども知らないまま、ただ至福のひとときを若干10歳の少年が満喫していた。
そんな私だから、今でも土を耕しながら土のにおいを楽しみ、作物の成長と同時に畑の傍らで季節を知らせる草花に心が魅かれるのだ。
寺家では秋が好きだ。収穫をせずにアザミやススキを持ち帰る私を、妻は呆れた顔で眺めている。
農と音楽が結びつく
寺家に移り住んで6年になるが、昨年「田園ふれあいコンサート」を田んぼで開催した。農家がコンサートだぁ、何を考えているのだ! 地元から猛反対を受け、開催が危ぶまれる事態に追い込まれたが、そこは天性の楽天家、無我夢中とはこのことで、どうにか開催するまでに至った。
100人を超えるボランティアの協力を得て実現したこのコンサートは、その後のNPOの活動に大きな影響をもたらした。現在の「農に学ぶ。」の主要スタッフのほとんどが、この時に協力してくれた人たちなのだ。
性懲りもなく今年も11月23日に「農に学ぶ。収穫祭&コンサート」を開催する。農と音楽、どう結びつくのか? 答えは人それぞれだろうが、自然農に関心を寄せる若者が増えている現実を見た時、生きることへの人としての感性が問われる時代が来たことを強く感じる。
本当の豊かさとはなにか? 人が人らしく生きるとはどういうことなのか? 日本の農的暮らしの中には日本人が忘れかけている美徳や、飾らない素朴な優雅さが漂っている。一方、現代の農業を取り巻く状況はとても厳しく、様々な問題が山積みされている。このような、農家が直面している現実問題の解決に対して無関心であっては、このNPOの存在意義もなくしてしまう。
農は生きることの基本であるがゆえに奥も深い。自然が相手なのだ。人はせめて、自然尊重、自然順応の生き方を心がけるしか道はない。その過程の中で、人としての弁え(わきまえ)や、程(ほど)を、体得できるのかもしれない。
NPO法人農に学ぶ環境教育ネットワーク理事長。グラフィックデザイナーとして活躍後、1988年に岡田茂吉氏の「自然農法」に出会う。1995年、横浜市青葉区の「寺家ふるさと村」の休耕田で稲作を開始、自然農法農家として独立する。生命の学びの場として自然農の田畑を地域の人と共有すべく、2008年NPOを設立、現在に至る。
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