私が土居さんと出会ったのは息子が通っていた保育園。息子は土居さんのお子さんと同級生で、5年間、同じ保育園で親子ともども濃密な時間を過ごしてきました。その中で何度も不思議に思ったのは、「なぜ土居さんは日々忙しそうなのに、いろんなことを引き受けて、子育ても楽しめるのだろう? その余裕は一体どこからくるのだろう……」ということ。パン作りの仕事、保育園の役員、上のお子さんもいてそちらでも色々と引き受けている様子。目の回るような日々です。そんな中、周囲のお母さんの不安やピンチをいち早く察知しては声をかけ、救いの手を差し伸べることはしょっちゅう。私も第二子を妊娠中につわりがひどく、台所に一切立てなくなった時、「お弁当まかせて!」と遠足の日は先回りしてお弁当を用意してくれ、幾度となく助けてもらいました。そして忙しさも増していく年中の頃、保育士の仕事も始めるというのです。日々の育児や仕事で一杯一杯な日々を送っていた私には驚きの行動でした。
「やりたいと思ったからやる」。
その時に聞いた潔い言葉。その姿はまぶしくて、私もそうやって、やりたいことをすぐに行動に移せる人になれたら……でも
「土居さんは特別にできる人、スーパーウーマンだから!」と思っている部分もありました。あれから3年経った今、ふと思いました。土居さんは確かにできる人に違いないけれど、彼女なりの試行錯誤もきっとあったのだろう。そこで、これまでどんな心の動きがあったのか聞いてみることにしました。
土居さんは、社会に出てから保育士として7年働き、その後インテリア関係の会社へ転職。さらに会社員として働いて7年ほどたった頃、会社の近くにある天然酵母パンのお店に出会ったといいます。パンの美味しさに惹かれ、そこで開催されていた教室に通い始めると、パン作りの虜になってしまったそうです。
「楽しくて楽しくて、しょうがなくて、私の天職だって思った。これならずっとやりたいと思えるような魅力があって」。会社を辞めてほどなくして、裏原宿でカフェを営む友人にカフェにパンをおろしてほしいと頼まれ、よしやるぞ!と意気込んでいたところに第一子を妊娠。つわりや初めての妊娠での心配事もあり、パン作りではなく、体にあまり負担のかからないクッキーを作ってカフェにおろすことになりました。
そして第一子の息子さんが3歳の頃、友人とともに店を構えた時期もあった土居さん。平日は朝早くから夜7時頃まで、週末も働き忙しい日々を送っていました。
「ある時ふと気づいたんです。私、子どものことが分かっていない。なんで転んでここにキズがあるのかとか、日々のことが記憶にないんです。3歳の可愛いときを覚えていないなんて、もったいないことをしているなと、その時、仕事も子育ても上手にやれる方法を考えなきゃと気づきました」。
一生懸命仕事に打ち込んだことに悔いはなく、子育てを100%完璧にやりたいわけではないけれど、なぜ子どもが笑っているのか、泣いているのか、もっと知っていたい。そう思った土居さんは、自分にとって、家族にとってちょうどいい生活スタイルを考えるようになりました。
そんな時に引っ越しをするタイミングが重なり、ご主人の「うちの中にパン工房を作ったらいいんじゃない?」という提案で、自宅の一室に工房を作り、機材を揃えた土居さん。本格的にパン作りができる環境が整い、ご近所や保育園などへパンの配達をする生活が始まりました。
「工房を作ったらって言ってくれてありがたかったな、感謝しないといけないなって思います。本人に言ったことはないけれど(笑)」
保育士の仕事は、パン作りをしながらも、いつかまたやりたいという気持ちがあったという土居さん。再開する大きなきっかけになったのは、お父様が亡くなられたことだったそうです。
「父の死を目の当たりにして、人って死んでしまうんだな、やれることはやっておかないといけないという気持ちが強くなって。パン作りも保育園の役員も色々あったけれど、今やれることはすべてやろうと。そうしないといられない感情がそこにはあって。人生に“あとで”はない。日々を大事にしなきゃいけないことを痛感したんです」
人生は一度切り、やりたいという心の旬を大事にしたいと思っていたその時に、友人から保育士の仕事を手伝ってほしいと声をかけられ、引き受けることを決心しました。子どもの可能性の大きさや、愛おしさ、子どもと気持ちを分かち合えることの喜びはもちろん、「この子がどう思っているんだろう? 何をしたいのかな? なんで悲しくて泣いているのかな? 喧嘩して悔しいのかな? と寄り添うことが、難しいところもあるけれど、楽しい。えらそうに“寄り添う”なんて言って、できているか分からないけれど。同じものを見て一緒にニコッと笑えただけでも、楽しい時間を過ごせたかな、やっていて良かったなと思います」と保育士の魅力を語ってくれました。
子どもを預けにくるお母さんに対しても、「私が何かをアドバイスを言うというのはおこがましいというか。何について困っているのか、何がしんどいのか、まずは話を聞くことを大事にしたい。お母さんたちが感じていることを聞いて、一緒に考えていきたいなって。そうだよね、と共感するところからスタートしていますね」
今は子育ても仕事もバランスを上手にとっている土居さんですが、初めてのお子さんを出産した頃は、心細い時期もあったといいます。そんな時に助けてくれたのは、ご近所の方でした。
「隣に住んでいる方がすごくいい人で。よく夕方に息子が泣いて、夕暮れを見ながらどうしようなんて思っている時もあったんですけど、“ちょっとおいで。お茶しよう”と声をかけてくれて。風呂嫌いの息子がギャンギャン泣いて焦っていたら、“大きく泣いていたね〜元気でいいね!”と言ってくれたり。いつも見守ってくれていることが、ありがたかった」
その後、お隣の方が紹介してくれた保育園に入り、知り合ったお母さんたちと「子どもを見合う」楽しさを知っていった土居さん。
「ある時私がすごく高熱を出して具合が悪くなってしまって。仕事も休んで、子どものこともとても面倒見られない。そんな時に、思い切ってお母さん友達に電話をして“保育園に連れていってくれるかな?”って。そうしたらいいよと言ってくれて。帰りになかなか帰ってこないと思ったら、夕飯を食べさせて、お風呂にも入れてくれていて。息子が機嫌よく帰ってきている姿を見て、“なんとありがたい!”と涙が出るくらい嬉しかったのを覚えています」
その経験から、次に友人の具合が悪くなったときには、自分もそうしてあげたいという気持ちにつながったという土居さん。その時期は仲の良いお母さん四人の旦那さんが、皆仕事で帰りが遅いこともあり、夕飯はいつも誰かの家に集まって、二人が夕飯の支度をし、二人が子どもを見るという生活がしばらく続きました。その時に感じたのは「みんなと一緒に子育てするって、なんてラクで楽しいんだろう」ということ。「泣いていたら我が子のようにヨシヨシってするし、愛おしくなるし、こんなことできたねって一緒に喜んだり。子どもが小さいから喧嘩も多いけれど、それも含めて、大変なときも楽しいこともみんな一緒だと、ひとりで子育てするよりずっと楽しいなって」
私自身も土居さんから保育園時代に手を何度も差し伸べてもらったことから、子どもを見合ったり、預かることの楽しさを教えてもらいました。一人で遊んでいるときには見られなかった表情や会話が見られたり、家族以外の子どもへの愛情も深まっていくのが感じられ、とてもいい経験になりました。それからは、ひとりでなんでもやらなければ! と思って苦しくなっていた育児だったのが、周りに助けを求めやすくなり、自分も何か助けになれることがあれば、すぐに引き受けられるようになりたいと思えるようになりました。
近い将来は自宅の庭を開放して、土居さんのパンとご主人が淹れるコーヒーでひと息ついてもらい、知らない人同士がコミュニケーションをとれる場を作れたらと、夢を語ってくれました。
「美味しいよね、気持ちいいよねという単純なことが人と人とをつなげてくれるような気がして。楽しくて美味しい時間を共有して一緒に笑えたらいいなぁ」と微笑む土居さん。「パン作りも保育士も向こう側に“人”がいるからやりたいと思える」という言葉の通り、人と人とのつながりを大切に想う気持ちが根底にあることで、ひとりよがりにならず、やりたいことを実現していけるのだろうな、とお話を聞きながら思いました。
やりたい仕事と子育てのバランスを考えつつ、その時々で家族に合った方法を柔軟に見つけてきた土居さん。これからもその周りには「美味しいね」の笑顔から生まれる、楽しいコミュニケーションが広がっていきそうな予感です。
土居恵子(holiday kitchen)
横浜市都筑区の自宅の工房にて天然酵母の手作りパン、焼き菓子を受注・生産。不定期に行われるパン教室も好評。
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