1995年にシカゴのコロンビアカレッジのフォトジャーナリズム専攻を卒業した大藪さんは、現地のローカルの新聞社でキャリアをスタートしました。大統領選から不法入国の移民、フットボールの試合まで、さまざまな取材を経験しましたが、自身が性暴力のサバイバーとなった経験を元に2001年から始めたのが性暴力被害者の写真プロジェクト「STAND:性暴力サバイバー達の素顔」でした。
「それまでいろんな取材をしていたけれど、自分の仕事はニュースが載れば終わり。被害者と加害者とその家族にはその後の生活があるということを考えもしませんでした」。それまでの自分は無責任なジャーナリストだった、と大藪さんは語ります。
「幸い私は最初から支援を受けることができました。警察に行って救急病院に行き、証拠を採集し、シェルターに行く必要があるなら行けばいいと言われました。何をしたらいいか考える前に支援がやってくるんです。最初から“あなたには味方がいるんだ”ということを教えてもらいました。
加害者が何の罪も問われずに野放しになっている状況はなぜ起きているのか。 自分のように無関心の人間が多いからではないか、私は加害者側にいたのかと思い本当に申し訳なかった。私みたいな人はもっといるはずだ、それをどうにか表現したいと思いました」
今回の「ローカルメディアミーティング」のテーマは「被写体の権利について」です。写真に限らず、取材を受ける側にはどのような権利があり、取材する側はそれを守るために何をすべきでしょうか。
スライドに映し出された大藪さんの写真には、養父から性暴力を受けた人、父親から性虐待を受け母親に味方してもらえなかった人、児童ポルノの被害者になった人らが登場しました。
取材対象者はアメリカ全土からカナダまで、ほとんど飛行機に乗って会いに行き、一緒にご飯を食べてインタビューします。どこで撮りたいかは被写体の方に決めてもらうことにしており、自分が被害に遭ったまさにその場所に行きたいという人もいたそうです。中には遠くてそこには行けない人もいましたが、今でも同じ町に住んでいる人もいて、「そこでパニックになっても責任は取れない」と理解してもらった上で撮影に行ったと大藪さんはいいます。
「私の心の回復は、ほかの被害者に比べるとすごく早かった。PTSDのような症状にもなりましたが、2年間ぐらいで終わりました。いろんな人にインタビューすると、ほとんどの人が10年以上苦しんでいました。その人たちは、なぜ自分が被害に遭ったのかという問いの答えを探していました。自分の苦しみに意味を見いだしたいのです」
大藪さんは、同じ被害者とはいえ、理解できないこともあるということは率直に被写体となる人に伝えるようにしているそうです。
「自分には愛してくれる家族がいたので、家庭内で虐待などにあい、帰る場所もなく親にも頼れない人たちの苦しみは、想像はできてもそこまでです。被写体になる人にも話すか話さないか選択する権利があって、そこを無理にプッシュしてはいけません」
大藪さんが在籍していた新聞社では、性暴力被害者の話になると、紙面上実名で体験談を語りたいという人がいても、却下してきました。本人や家族から、新聞社に対して訴訟を起こされては困るからです。大藪さんは、「この人たちの尊厳は暴力によって奪われてしまったかもしれないけれど、その一人ひとりに名前があって感情がある人であり、統計で表されるような数字ではなことをこのプロジェクトで伝えたかった」と、コンセントフォーム(同意書)を作り、写真がどのようなところに出る可能性があるのかをきちんと知ってもらった上でサインをもらってから撮影を進めました。何が起こっても訴えませんとまで書いてもらい、ネットや展示会だけでなく、広告やミュージックビデオなど新しいものに使われるたびに、許可をもらうようにしていたそうです。
日本に戻ってきた大藪さんは横浜で暮らし始めます。大藪さんは、お子さんが通う学校の写真クラブでボランティアを始めました。2016年からは、外国にルーツのある中高生と共に8回ほどワークショップを行ってから展示をする「横浜インターナショナルユースフォトプロジェクト」もスタートしました。
このワークショップでは、参加している中高生たちに、一番始めに各自「自撮り」をしてもらい、それをIDカードにします。友達に撮らせても、顔が写っていなくても、モザイク加工しても、なんでもあり。「自撮りはその人が自分をどう思っているのかというのが出るから面白い」と大藪さんはいいます。どうしてその写真を選んだのか会話から引き出していき、関係性が発展してから最後にもう一度自撮りすると、一皮剥けた写真が出てくるそうです。
「性暴力サバイバーの写真を撮るときも同じ。関係づくりができていないと、先入観で撮ってしまって、悪いことしか伝わらない気がします。フォトジャーナリズムはビジュアルコミュニケーションともいい、事実を伝えるのが仕事なのです」
大藪さんが日本に帰ってきてからさまざまなメディアに触れて感じたことについても、話していただきました。そのうちの一つが、「日本では女の子の自己肯定感が低すぎる」こと。「アメリカ人の夫は、冬でも女の子のスカートが短いことにびっくりしています。可愛いと思ってやっているのだと思うけれど、長くたって、ズボンだって可愛い。日本のカルチャーの中で、女の子はどうあるべきかというイメージが発せられているのが、ちょっと観察するとわかってきます」と指摘します。日本の女の子たちが一番ハマる少女向けアニメは、なぜかいつもミニスカート。3、4歳の頃から、「女の子はこういう姿が可愛い」という刷り込みがされているのです。
一方で、アメリカでは肌の色やファッションに関係なく、賢くて強いスーパーヒロインが人気。大藪さんが紹介したアニメのキャラクターに肌の露出はほとんどなく、「自分の頭で考えて、自分の意見を言っていく」かっこいい女の子のキャラクターが描かれています。
大藪さんは、「可愛いだけがその子の価値じゃないということを、大人が、母親だけでなく父親もちゃんと意識してほしい」と語ります。
日本では新聞記者が夜回りすることにもびっくりしたと話し、「アメリカならプライバシーの侵害だと訴えられるし、セクハラされながら取材するようなことをなぜ日本のメディアはするのか。そんな関係づくりは必要ない」と一蹴しました。
「#MeToo」については、「日本で声を上げるのはすごく勇気のいること。よくやったねという声よりバッシングが来るのは、本当におかしな社会だと思います。暴力は加害者の意思でしか起こりません。ただ、話さないことも権利としてリスペクトされるべきだと思っているので、みんなで声を上げればいいということでもないと思います」とお話いただきました。
情報があふれる生活のなか、普段は受け取ったものに何か違和感を持ってもついやり過ごしてしまうことが多い気がします。今回の大藪さんのお話は、違和感に対して、改めて敏感でいたい、声を上げていきたいと思える、とても勇気づけられるものでした。取材対象との向き合い方についても、今一度じっくり考えていきたいと思います。
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