お菓子を用意して待っている家の玄関からはハロウィンの音楽がスピーカーから流れ、人だかりができています。
「トリックオアトリート!」
慣れた様子の元気な声、恥じらいながらのかぼそい声。子どもたち一人ひとりに「ハッピーハロウィン!」と声をかけて、大人たちがお菓子を配ります。
あざみ野南1丁目の中でも、ほんの1ブロック、一周500メートルほどの、とても小さな範囲で行なわれている、このハロウィン。企画しているのは、自治会でも町内会でも子ども会でもない、有志のお母さんたちです。この辺りは、新しい住宅街で、完成当時、今から約11年前に移り住んできた人々がほとんどです。そのため、自治組織自体がありません。それでいて準備に抜かりがないのがすごいところ。このブロックにある全ての家に告知を徹底してきたためなのか、今まで一件もクレームがないそうです。
徒歩で気楽に集まれるご近所の仲間たちが企画したイベントに、他の地域からも噂を聞いて子ども達がやってくるような、まちというか「通り」に根付いたハロウィンは、他に類を見ないのではないでしょうか?
そんなイベントの仕掛け人の中で、集まるみなさんが、口を揃えて「祐子さんの事前の配慮がすごい」「やっぱり祐子さんがいたから」と慕うのが、礒垣祐子さんです。礒垣さんには、現在、すでに社会人になった長女と、大学生の長男、高校生の娘さんの三人のお子さんがいます。末の娘さんが小学校1年生の時に、このハロウィンイベントを始めました。タイトルにした「ハロウィンストリート」というのは、礒垣さんらが、そう名づけたいと心の中で密かに思っている名称です。
「最初は、ほんとに、こじんまりですよ。30-40人くらいかな。同じ通りで小1の同級生の子どもがいる仲良しママ5人くらいで、うちでハロウィンのパーティーをしない?っていうところから始まって。じゃあ、それぞれの家でお菓子を配ってまちを歩きたい! それなら兄弟も参加したいよねと、だんだん話が膨らんで! うちに入りきらないから、近所の公園に集まったんです。今から見れば、仮装も可愛らしいものでしたね」と、礒垣さんは、当時の写真を見ながら記憶を辿ります。
そこで、友だち同士だけでなく近所の人にも声をかけることにしたのが、他にないユニークなところです。お菓子を配る役を頼むために、お向かいの畑成美さんを訪ねたのが運命の出会いでした。実は、畑さんはアメリカに在住した経験があり、本場のハロウィンを体験して知っている方だったのです。
ハロウィンは、ケルトをルーツとする西洋の文化で、正式には、毎年10月31日に行なわれます。ケルト文化では11月1日に年が改まるとされ、その前夜は、秋の収穫を祝う日であり、聖人や祖先の霊が還ってくる日。良い霊だけでなく、悪い霊たちもやってくるのだと考えられています。日本でいう、お盆と正月と豆まきが一緒になった感じでしょうか。人々は、悪い霊を追い払うために、自分たちもゴーストや悪魔などに仮装します。近所の家を順に巡り、お菓子をもらうことで退散する、という儀式を通して、災いを遠ざけ幸せを呼び込むと同時に、地域の人とコミュニケーションを図ります。つまり、自分たちの住むまちの安全と安心を自分たちでつくり、まもる、自治の精神が背景にあるのです。
日本でハロウィンというと、商戦のための催事であったり、渋谷のようにホームを離れたアウエーの地で仮装して、別人になって楽しむ日のようになっているところがあります。でも、ここはみんなのホームタウンだから、羽目を外して騒ぐ人はいないし、ほんの1時間半で、いつもの静かなまちに戻っていきます。「本来の意味を知って、子どもたちを真ん中に、人とまちが豊かにつながるハロウィンになったのは、畑さんのおかげだ」と、礒垣さん。
畑さんにとってもこの出会いは格別でした。「せっかくやるなら気合い入れましょうと言ったら、みんなやりたいと言ってくれて。ここに越して来た時には、私の子どもはもう私立の中学に通っていたので、地元のママ友が全くいませんでした。ハロウィンのおかげで、その輪の中に入れました」
礒垣さんと畑さんの2軒に加えて、毎年4軒ほどの家が入れ替わりで、お菓子を配る役を引き受けます。それも、最初は直接の友だちではなくても、「ピンポンって尋ねて、お願いする方式」で、巻き込んできたそう。そしてその申し出を快く引き受けてくれる人がほとんどで、「本当にいい人に恵まれた。この地域、この人たちだからできた」と、誰もが感じていることが取材を通じてわかってきました。
実は、事前の準備で集まっていたのは、すでに第2世代の女性たちです。
礒垣さんは、「自分の子どもが中学に入り、ハロウィンはもう卒業かな、もうそろそろ、やめようかと思っていた時に、私たちが引き継いでやりますと言う人が現れたんです!」と目をキラキラさせて語ります。
第2世代の代表となった坂本りえさん宅で、準備をする予定のところ、取材が入るからということで、わざわざ礒垣さん宅に集まってくれたのでした。中には、今年初めて参加するという人も混じっています。
「引き継ぐといっても、まだまだ祐子さんの力に頼っていて、二人代表という感じです。祐子さんが企画で、私が実行部隊という感じですよ」と坂本さんは謙遜しますが、とてもパワフルです。そして、継ぐといっても、あえて組織化はしないのが、このまちならではの賢いやり方なのかもしれません。海外出張から帰ってきて、2年ぶりとか5年ぶりに参加する野村さん、井口さんが混ざっても違和感がない、開かれたご近所ネットワークができています。
毎年、夏休みを過ぎると、今年はいつやるの? という声が周りから起こり、そろそろだねと腰をあげ、ひと月前くらいから実行に向けてぐっと動き出すのだそうです。
ハロウィンのおかげで、若いママたちが、こんなに地域にいることを知り、ちいさな子どもたちとまた触れ合えるのが嬉しいのだという礒垣さん。実は、結婚される前に、幼稚園の先生をしていたと聞いて、なるほどと納得しました。この10年間も、子どもたちの楽しさを第一に、いろんなやり方を試してきて今に至ります。
「最初の年の盛り上がりから、次の年には参加する子どもが一気に増えて、負担が増えるということで、子ども一人100円の会費制にしました。子どもたちを10チームに分けて、お母さんが旗を持って順に先導して、お菓子を配る家をチーム毎にまわって公園に帰ってくるやり方をしていたこともあります。時間も明るい時間帯で。でも、その頃は、まだ地域の子どもたち全員に伝わっていた訳ではないから、当日になって、行列をみてハロウィンを初めて知る子がいるんですね。でも会費制だから、おいで!って勝手に入れることもできない。それがかわいそうで、4年目くらいには会費制をやめて、参加したい子は一袋でもいいからお菓子を持ってくる寄付制にしました。知らずに持ってこなかったとしても、いいよって入れてあげるんです」と、おおらかです。
「会費制をやめたら、地域の人の目も変わった」というのは柴田桜さん。それまではなんとなく距離を置いていた方々や、子育てを終えて子どものいない家庭など、当日直接は参加しない家からも、お菓子が届くようになったのです。今では、子どもたちは、時間いっぱいぐるぐると何周も通りを巡って、バッグやバケツにお菓子をいっぱいにして帰ります。
こうして続けてくることで、中学生になった子たちが終了間際に駆けつけたり、いつもお菓子をもらっていたからと、片付けの手伝いをしはじめたりと、自分たちの足元の暮らしを大切に思う気持ちが、自然な形で伝わっています。
礒垣さんは、昨年、山内中学校のPTAの役員を務め、今年からは、PTAのOBをまとめて、中学校の花壇ボランティアの活動を立ち上げてと新たなフィールドに踏み出しています。そこにも、自分の子どもだけでなく、地域の子どもたちにとって学校はすごく大事な場所で、今までお世話になったお礼でもあるのだという考えがあります。加えて、近所の学校に、結構自由に手入れをできる場があるなんてラッキーでしょう? と、自分自身が楽しむ心を忘れていません。
ここ数年、まちができてから、30年40年経って高齢化が進み、活気が失われていく中で、さあどうしよう? 若い人がまちに興味がない……という方々を主に見てきた私にとって、何かとても新鮮にうつったハロウィンストリート。ここで育った子どもたち、これから移り住んでくる人々にも、礒垣さんたちの、どこか軽やかな遊び心が伝わっていくといいなと感じました。
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