「私たち大人が関わることによって、その子の生活(日常)が、良くなるなら、それでよい」ということです。
文=山﨑佳之(はんす)/写真=まさみっちょ(妻)
*このシリーズでは、「子どもを育てる」現場の専門家の声を、毎月リレー方式でお送りしていきます。
プレイパーク再開後、色々悩み、考えながらも活動をしていた私は、何かずっと、自分の「芯」になるものを探していました。それは、社会が変わっても、変わらないものです。そしてこの「正解のない答え」というものは、いつも、目の前に転がっているのです。あとは、それに気付けるかどうかだけ。
ということで、今回は少しさかのぼって前回(6月)の続きから、綴らせてもらおうと思います。
大きな砂場のプレゼント
コロナ禍でプレイパークを閉園している間、都筑区の鴨池公園にあるまんまる広場に大きな砂場が出来ていました。ことの発端は、まんまるのどろんこ場。普段は、みんながスコップで大きな穴を掘ったり、水を流したりして自由に遊んでいる場所です。そして、プレイパークは現状復帰が約束なので、夕方には穴も埋めて、平らに戻しまします。ところが、不思議なもので、掘った分の土を埋めても、平らにならずに必ずへこんでいるのです。穴を掘った子たちも、何で平らにならないかが不思議で、頭に「?」が浮いていて、面白いものです。もちろん、掘った勢いで別の場所に土が飛んでいたり、水で流れたりして土が減っているのですが……。とにかく、そんなことの繰り返しで、まんまるのどろんこ場は、いつもボコボコになっていたのでした。
そして、コロナ中に、地面のボコボコに対して、土木事務所に苦情が入り、その対応として砂を入れてくれたらしいのです。しかも、サラサラの白砂でした。土木事務所に話を聞くと、「砂ならば、掘っても元に戻しやすいから」ということでした。なんとも粋な計らいです。さらに、遊んでみると、上は砂で掘りやすく、下は普段の硬い土。なので、簡単に形を変えられて、水もよく流れる。最高の砂場(遊び場)になりました。しかも、海から運んだのか、小さな貝がらも混ざっています。まだ移動自粛で海にもなかなか行けなかった7月のこと。まんまるの砂場は、まるで海岸のような雰囲気になりました。そんな、素敵な砂場をプレゼントしてくれた土木事務所に、「感謝状を書きたいね!」と、子どもたちと本気で話し合ったのでした。
草を束ねた応援グッズ
まんまる広場は、すぐに雑草が伸びてしまいます。芝生も植わっているのですが、とても雑草には勝てません。梅雨の前には業者が来て刈ってくれるのですが、8月には、もうぼうぼうで、小さい子がしゃがむと、全身隠れるぐらいまで生長します。虫と、虫好きの子には天国ですが、ボール遊びをしたい子には微妙な地面なのです。
それでも、まんまるで人気の遊びはサッカーです。他の公園だと、なかなか思いっきりボールが蹴れないけど、ここは広場なので、小学生たちが夢中でボールを追いかけ回すことができるのです。そして日曜日ともなると、「サッカーやる人~!!」と、声をかけて、小さい子から、遊びに来ているお父さんたちまでたくさん集まって、熱戦が繰り広げられることもしばしばです。ところが、雑草が伸びてくると、うまくボールが転がりません。
そんな夏のある日、小学2年生の女の子が、いきなりハサミを持って来て、雑草を刈り出しました。しかも、それを紐で結んで、束にしているのです。私が「何してるの?」と聞くと、その子は、「サッカーの応援グッズ作ってるの!」と、束ねた草をボンボンの様に振って、ニカっと笑って見せました。そして、たくさん作った草束ボンボンを、遊びに来ていた色々な人に配って回ったのです。
遊びには色々な参加の方法があります。その女の子にとってのサッカーは、「応援」という方法だったのです。私も含め、なんだかいつも以上に、サッカーをプレイしている方にも熱が入ったのでした。
木の棒と蜘蛛の巣
私の家から、まんまる広場に向かう途中、ちょっとした短い山道を降りていきます。でも朝一番だと、あまり人も通っていないので、よく顔に蜘蛛の巣がかってしまいます。だから私はいつも、木の棒(枝)を拾って、蜘蛛の巣を避けながら、進むことにしています。そしてその棒は、焚き火の薪にするので、持ったまま、まんまる広場に入っていくことになるのです。
その朝も、いつもの様に、棒を持って歩いていました。すると、まんまる広場では、近くの保育園が団体で遊びに来ていました。ちなみに、遊びに来る団体には、プレイパーク目当てのところと、そうでないところがあります。その時来ていた保育園は、特にプレイパーク目当てではなさそうだったので、私は歩きながら、遊んでいた子たちに「おはよう!」とだけ、声をかけていました。
すると、一人の子が不思議そうに私を見て、
「何で木の棒持っているの?」と、聞いて来たのです。私は、当たり前の様に「蜘蛛の巣が顔にかかるのが嫌だから、これで避けているんだよ」と、教えてあげました。
するとその子は、「ふ~ん」といった感じで、すぐに違うところに行ってしまいました。私には、その子の質問の意味がわからなかったのですが、そのあと、すぐにわかることとなりました。
その保育園の子が木の棒を持って遊んでいると、若い先生が「棒持って遊んじゃダメでしょ!」と、注意していたのです。
「なるほどな」と思いながら、私はプレイパークの準備を始めました。
「棒を持って遊んじゃダメ」というのは、よく聞く言葉です。その子が転んだ時にけがをしてしまうから。他の子にぶつかってけがをさせてしまうから。もちろん、目になんて刺さってしまったら大変なのはわかります。でも私には、いつもけがの向こうに、違う何かがチラつくのです。
「棒を持って遊んじゃダメでしょ!」と言っている先生が、本当に心からそう思っているのなら、それはそれで良いと思います。でも、本当は「棒を持って遊んでもいいのに」と思っているのに、園の方針や、保護者の手前、そう言わざるをえない。言わされているのであれば、その先生はなんだかかわいそうだなと思ってしまうのです。
「あの若い先生はどっちかな?」と、木にロープのブランコをつけながら、考えていたら、ちょうどその先生がやって来て「ここってプレイパークですよね?遊ばせてもらっても大丈夫ですか?」と聞いて来ました。なので私は「もちろん。自由に遊んでください」と答えたのでした。
卵からヒヨコ
常連の小学5年生( 男子)が、スーパーで生卵を買って来ました。そして、焚き火の上に水を入れたヤカンを置いて、その中で温め出したのです。私が「茹で卵作るの?」と聞くと、真剣な顔で「こうすると、ヒヨコが生まれるんだよ」と、教えてくれました。私が、「茹で卵になっちゃうよ」と言うと、「大丈夫。いい湯加減でやるから」とのことでした。
それから彼は、丁寧に薪の量を調節しながら、何度も指を突っ込んで湯加減を確かめつつ、卵を温め続けました。いつしか、その卵の周りにはたくさんの見守る子どもたちであふれたのです。
その少年に話を聞くと、どうやらYouTubeでそういう動画を見たそうです。周りにいる子たちは「本当に生まれるの?」「生まれるわけないよ!」と、夢中です。そんなガヤを聞きながら、私は自分の少年時代を思い返していました。
少年時代の私も、テレビでヒヨコが卵から生まれる映像を見たのです。そしてどうしてもヒヨコが欲しくなり、その夜、冷蔵庫からこっそり一つ卵をとると、そのまま布団の中で抱きしめながら眠ったのでした。そして、朝起きると、「ピヨピヨ!」と言うわけもなく、布団の中で生卵が割れていて、母親に怒られたのでした。
しかし少年時代の私は、そんなことでくじけず、次の夜は、ティッシュを何重にもして包んで、枕元で温めることにしました。しかし、いつまでたっても、ヒヨコが生まれることはなかったのでした。
そんな話を、焚き火の周りで笑いながら見守っている大人たちにすると、何人ものお母さんが、「実は私も子どもの時に、やったことあるの」と、笑いながら話してくれました。
さて、その小学生。夕方の終わりの時間になっても、まだヒヨコは生まれません。本当は焚き火も消さなくてはいけないのだけど、その少年だけじゃなく、周りにいる子たちの真剣な眼差しにも負け、こっそりバケツに炭火を移し、「こっちで続けな」と伝えてあげました。
これが「遊び」だよなと、心から思いながら、私は片付けを続け、とうとうタイムリミットを迎えました。
続きは、家に持ち帰って温めることになりました。
「どうなったか明日教えてね!」と、暗闇の中バイバイして、みんな家に帰って行きました。
そして、次の日。学校から帰って来たその子に、「どうなった?」と聞くと、「まだ」と、タオルに包んだ卵を見せてくれました。
しかし、よくみると、卵にヒビが……。
「あっ!」その子がそっと殻をむいてみると、温泉卵と茹で卵の中間の様な物が出て来ました……。
ずっと、常温だっただろうから、私は「残念だったな。でも、これは食べない方がいいよ」と、教えてあげると、「わかってるよ」と言って、その子は卵を投げ捨てようとしました。なので、私は「土に埋めてあげな。そうすれば、芽が出て、卵がなるかもしれないじゃん」と教えてあげました。
その子は「そんなはずないよ」と言うので、私は『卵が先か?ニワトリが先か?』の話をしてあげ、「てことは、一番最初の卵はきっと、土から生えて来たんだよ」と教えてあげました。
その子は、真っ直ぐな瞳で「わかった、やってみる!」と言って、その卵を土に埋めに行きました。もちろん、2 カ月たった今も、まだ芽は出てきません。でも、その子の綺麗な心は、これからも、グングン育っていくだろうなと、確信したのでした。
作ると壊すは表裏一体
その日は、振替休みだったらしく、平日の朝から小学生低学年の子たちが遊びに来ました。そして、来たと思ったら、受付の上のペンや受付表、消毒アルコール等を、投げ散らかし始めたのです。
私は「おお、朝から荒れてるな」と思いながら、見届けました。学校で何か嫌なことがあったか、家で何か嫌なことがあったか。でも、チラチラこっち(周りにいる大人の顔)を伺っているので、「ああ、怒ってほしい(かまってほしい)んだな」と、思いました。
なので、私はあえて何も言わないことにしました。もちろん、いつどんなタイミングで叱ろうか(止めようか)とは、考えています。でも、この時は、別に散らかされても、嫌ではなかったのです。「心に余裕があった」と言ったら大袈裟かもしれませんが、素直にこのあとどうなるかを見届けたかったのです。そして、私以外の大人も、誰も怒る人がいなかったのも事実でした。
みんな、そんな大人ばかりだったので、その子たちからしたら、見当外れだったのかもしれません。きっと、胸の中で、「なんで怒らないんだよ!」と、思っていたに違いありません。
すると、わざとじゃない感じで、その中の一人がペンを入れていたガラス容器を落としてしまい、粉々に割れてしまいました。とっさに、「大丈夫?」とみんなが集まると、ガラスを落としてしまった小学生は「やばい」という顔をしていました。
プレイパークの大人たちは、「けがしなくてよかった」と、ガラスを拾い集め、そのタイミングで散らかっていた受付セットも拾い集めました。もちろん小学生たちは、散らかすのをやめたのでした。
すると世話人(スタッフ)の一人が、その子たちに「そんなに力が有り余ってるなら、自分たちの基地でも作れば」と言いました。そのタイミングがよかったのでしょう。その子たちは、そのあと自分たちだけで、立派な基地を作りました。大人の力は借りていません。その証拠に、「写真撮って!」と嬉しそうに笑っていたのでした。
作るのと壊すのは、表裏一体です。雪だるまも、積み木も、段ボールハウスも、みんなそうです。作って壊すまでが遊びなんです。
この日の場合は、「散らかす」というのが、「壊す」という遊びと置き換えることができます。でも、ほとんどの場合、散らかすと怒られてしまいます。私も、自分の娘たちが家の中で、おもちゃを散らかしっぱなしにしていると、イライラしてしまうものです。
片付けると褒められて、散らかすと怒られる。どこの家もそんなもんでしょう。子どもたちも、そこは、わかってるんです。自由に壊せるものが、もっとあればいいんですけどね。
秋祭り
卵からヒヨコの子が、「秋祭りやりたい!」と言い出しました。
彼は、今までも、たくさんのことを計画しては、成功したり失敗したりを繰り返してきました。今回は、コロナで地域の夏祭りもできなかったらから、どうしてもやりたい気持ちが伝わってきました。私も、その気持ちはよくわかりました。でも、私(大人)が手を出すと、彼の遊び(やりたいこと)を奪ってしまう可能性があるので、それだけ気を付けて、「やっていいよ。まずは仲間を集めてみな」とだけ、伝えました。
すると、彼は本当に仲間を集め、実行に移したのでした。ちなみに、当日まで、本当にお祭りの内容はわかりませんでした。でも、それでよいと思っていました。それが、「私たち(大人)が関わることによって、その子の生活(日常)が、よくなるなら、それでよい」ということにつながるのです。
秋祭り予定日直前の定例会(月一回のスタッフ会議)で、秋祭りのことが議題に上がりました。それは、内容を大人たちが誰も把握してなかったからです。
そして、どんな形でやるか?とか、子どもたちにはどう言おうかとか、成功させるためには……みたいな話を、秋祭りをやりたい当事者(子どもたち)がいない中、進みそうになった時に、世話人のアスが、ごく自然に言ったのでした。
「お祭り(まんまる)で、やることが、上手くいっても、いかなくてもどっちでもいいんだよ。やったことによって、その子の普段の生活(日常)が、良くなることが大切なんだから」
本当にその通りだと思いました。
プレイパークを作っているのは、その地域で暮らしている、ボランティアの世話人さんたちです。そこに、私のような者が、プレイリーダーという形で、仕事として関わらせてもらっています。
では、何のために子どもの世界(遊び場)を、大人が作っているのでしょうか?
それは、社会がどんなに変わっても、変わらないものを守るためです。
子どもたちの「未来」と、そこにつながる「今」が、より良いものであって欲しいという大人の願い。その願いを叶えるために、私たち大人は、今日もそこにいるのです。
まんまるプレイパーク
毎週月・火曜日 毎月第2・4日曜日 11時から17時
都筑区鴨池公園まんまる広場
プロフィール
はんす(山﨑佳之)
20歳の時、子ども向け劇団に所属し日本を旅周りしたのち、その時の仲間と劇団を結成して活動。30歳になった時、もっと子どもの世界を勉強したいと、探求していた中で、プレイパークに出会う。こんな世界で生きていきたいと思い、40歳になった今、仕事も子育ても、生活のすべてがプレイパーク中心でまわっている。
子育てコラム
「見方によって世界は変わる ~コロナ時代の子どもと遊び~」
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