ミュージシャンとして、母として。 ジャズピアニスト 寺村容子さん 
昨年の今ごろは誰も予想していなかったこのコロナ禍の生活。誰しも、多かれ少なかれ影響を受け、生き方そのものを見直すきっかけになった人もいるのではないでしょうか。ジャズピアニストであり一児の母である寺村容子さん。彼女も今、自分なりのミュージシャンとしての生き方を模索しています。(トップ写真撮影:小林嘉明さん)

「横浜市の映像配信支援プログラムでライブを配信できることになったから、時間のある時に見てみて」。私が、そんな案内をもらったのは9月に入ってからのことでした。

横浜市映像配信支援プログラム
https://www.showcase.yokohama/

 

彼女は、小学3年生の男の子の母でありジャズピアニストとして活動する寺村容子さん。子どもが同じ幼稚園に通っていた縁で知り合いました。

容子さんは、川崎生まれ。子どもの頃からピアノを始め、武蔵野音楽大学に進んだ後もクラシックを専攻していました。しかし、在学中にジャズやブルースにも興味を持ち独学で学び、その後はバンドやラウンジなどで演奏を続け現在に至ります。

 

ミュージシャンとのセッションが生み出す生の音楽、生のピアノに惹かれジャズピアノの道へ(写真撮影:高橋慎一さん)

 

作曲も手がける容子さんが自身のピアノトリオで寺島レコードからリリースした初のアルバム「Teramura Yoko Moods」は、子どもがお腹にいるときに制作したもの。『ジャズ批評』誌・ジャズオーディオ・ディスク大賞2011で金賞を受賞しました。さらに2019年に出した4枚目のアルバムは、同じ『ジャズ批評』誌・ジャズオーディオ・ディスク大賞2019の「インストゥルメンタル部門」で銀賞を受賞と、精力的に作品を発表し続け高い評価を受けているジャズピアノ界において知られた存在です。

 

2019年11月リリースの最新アルバム「Graceful Touch」:寺島レコード(写真提供:寺村容子さん)

 

42日に企画していたライブを、無観客ライブに切り替え、急遽撮影していたもの。現在、横浜市映像配信支援プログラムを利用して映像配信している。容子さんがライフワークとする、子どもを持つ親が気軽に参加できる親子のためのジャズライブ

 

そんな容子さんからお誘いを受け、初めて彼女の演奏を聴いたのは、3年前。私の娘はまだ5歳の頃でした。夜のライブハウスで、あくまで大人のための大人が楽しめるジャズライブに子連れで参加できるというものです。

子どもが生まれて以来、当分お預けだと思っていた夜のライブハウスでの生演奏という非日常の空間で、心が満たされたような余韻にしばらく浸り続けるほど充実した時間を過ごしました。そして、行く前に子どもが騒いで周りに迷惑をかけるのでは?という心配は全くの杞憂に終わり、楽器から奏でられる音や本物の楽器の迫力に子どもも興味津々で、生演奏の魅力にあらためて気づきました。

 

実は、彼女自身も子どもを育てる中で、演奏活動のやり方を模索していた頃だったことは後で知りました。

 

子育てと音楽活動のはざまで

 

夜の仕事は、基本的に子どもの生活リズムとはリンクしません。

容子さんは、駆け出しの頃お世話になった方から「人はあなたの音楽を聴いて別の世界に行きたいと思っているのだから生活感を出してはいけない、舞台の上に乗っていることを忘れるな」とことあるごとに言われ、深く心に刻んできました。その言葉の重みは子どもが生まれた後も変わることはなく。彼女のホームページには、母である姿も、ましてや子どもの姿も一切出てきません。

私は、彼女と幼稚園で知り合い、親子一緒の姿をいつも見ていたので、意外でした。

 

りんごの木子どもクラブ在園中に容子さんが作曲したものに母たちが詩をつけ「APPLE TREE」という曲が生まれた。卒業式や運動会など、卒業した今も幼稚園で歌い継がれている(写真撮影:片岡圭子さん)

 

ミュージシャンという、フリーランスで活動する立場では認可保育園を利用しにくいということを子どもが生まれてから初めて知って愕然としたという容子さん。

出産後、子どもが9カ月の頃に演奏活動に復帰してからは、夜間や病児対応の無認可託児所などを利用しやりくりしてきました。

幼稚園時代よりさらに活動が難しくなったのは子どもが小学校に上がったとき。

学校生活に慣れるまではと一旦仕事をセーブし、一部を除いて演奏活動を中断しました。

少しずつ仕事を再開した昨年、子どもが小学2年生の頃から横浜市の放課後キッズクラブを利用し、キッズクラブから託児所への送迎、さらに夜間保育の託児施設と、様々な託児サービスを駆使してきました。

 

実際には、収支の面で見るとその日の演奏代は託児代に消えていくということも多かったと言いますが「収入がゼロだとしても、その先に自分はつながっている、ピアニストとして続けているのだという自信が欲しかった」と話します。

 

しかし、子どもを預けてライブに参加することで、逆に収入がマイナスになることが続く状況になってきた時に、悩んだ容子さんは子どもを巻き込むことにしました。一緒にライブ会場に行き、子どもは控室や客席で過ごし、帰りは深夜に。次の日はそのまま学校です。

 

そんな無理をしてがむしゃらに演奏活動を続けていた頃、世の中に新型コロナウイルスが蔓延し始めました。ライブハウスは密閉空間なため、周りの目も厳しく、自粛ムードの高まりも他業種より若干早かったように感じたと言います。

 

入っていた仕事は全てキャンセルとなり、さらに子どもの学校は休校になりました。

 

以前の状態を続けていれば、金銭的な面は別として、ライブに行き演奏することはできました。しかし、コロナ以降、子どもを連れて行くことも、誰かに預けることも、置いて行くこともできず、身動きが取れなくなってしまいました。コロナによる社会全体の変化によって、容子さんの演奏活動は完全に絶たれてしまいます。

 

テレビでコロナの状況として取り上げられるライブハウスのニュースは、いったいどこのことだろう?自分たちのいる場の真実って一体なんだろう、と、取り残されたような気持ちになったという(写真提供:寺村容子さん)

 

「それまでもがいていた時間は、子どもの成長や自分の状況が変化するまでのつなぎの時間で仕方がないと思っていたけれど、コロナのことは不可抗力で、自分ではどうにもできない、無理なことは無理だと感じた。それを理解したことは自分の中で非常に大きい」と容子さんは話します。

 

ライブの収益は、ギャランティ(報酬)が決まっていないこともあり、集客に対してライブハウス側からチャージバックという形でもらうことも多いのです。ギャランティはメンバーの人数で割るため、お客さんをたくさん入れられない状況では当然ギャランティも少なくなります。

少しずつ世の中が動き出していく中で、ライブハウスでの演奏スタイルはなかなか以前の形には戻れていないのが現実です。

 

最近は演奏メンバーの人数を減らしたり、演奏を生と配信双方で行うという形も多い(写真提供:寺村容子さん)

 

コロナ禍と音楽活動と

 

このコロナで休まざるをえなくなった時間は、それまで走り続けていた自分が一旦立ち止まって音楽とどう向き合っていくか、色々と考える時間になったそうです。

 

「それまでは、自分は音楽をお金にしようとしていた。それが自分が音楽をやっていく、ピアニストとして続けていく道だと思っていた。だから、子どもが生まれてからの自分はミュージシャンとして認められてないんじゃないかと思う気持ちがあった」と話す容子さん。

 

しかし、「音楽を制作して発表する機会がない」「演奏する場がない」というこのコロナ禍の中でも、髪の毛を乾かしているとき、料理をしているとき、そういう何気ない瞬間にも、容子さんの頭の中にはずっと音が回っていました。

以前は仕事のためにイメージトレーニングとして常に音楽を口ずさんでいると思っていたはずが、仕事がない、ライブの予定がない、そんな時でもずっと歌っている自分にふと気づいたと。

 

「私にとって仕事があるないではなく、音楽は常にあるもの。それがミュージシャン。自分がミュージシャンなんだなと初めて思えた」(容子さん)

 

これまで頑なに表に出さなかった母としての自分を、あえて隠すこともないと思えるようになり、音楽への向き合い方にも変化が出てきました。

「今は『自分自身と子どもと音楽』を、これからどうバランスをとっていくかということを考えるようになってきた」と言います。

Lio-n(ライオン)作曲:寺村容子

自粛期間中の自分自身をモデルに生まれた曲

 

周りのミュージシャンたちと「今しかできないこと、今じゃなきゃやらないことをやろうよと言っているの」と話す容子さん。音楽や音楽に関わる人の面白い発想をこういう時にどんどん引き出して試してみたいと。

 

「最終的に私たちミュージシャンがすることは音楽を作ること。

今できることは、作って、公開して、それを発信していくこと。それが私のやるべきこと。それが結果的に仕事になればいい」

 

……でも、なかなかならないよ」。そう笑って話す容子さんは、自然体のさっぱりした笑顔でした。

 

コロナ禍によって、多くの方が、暮らし方や働き方の変更を余儀なくされているなかでも、「音楽」という軸をぶらさずに自分を見つけていった容子さん。

 

自分をしっかり見据えつつ、状況を受け入れ、変化にも柔軟に対応していくしなやかな強さを合わせ持つ彼女が、私にはとてもたくましく見えました。

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この記事を書いた人
齋藤由美子ファクトリー事業部マネージャー/ライター
森ノオトの事務局スタッフとして、主にAppliQuéのディレクションを担当。神々が集う島根県出雲市の田舎町で育ったせいか、土がないところは落ち着かない。家では「シンプルな暮らし」関連本が十数年にわたり増殖中。元アナウンサーで、ナレーターやMCとしての顔も持つ。小6女子の母。
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