術とタイトルは付いていますが、お金を生み出してくれる忍術、私は知りません。その代わり、このコロナ禍において、宿泊業を経営する私が体験したこと、そして事業転換を決断するまでの話を、忍術がどう支えたのかを交えて、少しだけ紹介したいと思います。
高度経済成長期
私の実家は宿泊業です。場所は横浜市神奈川区鶴屋町、私が家業を継いでからは「町のお宿 静浜」という名前で運営していました。
我が家の口伝によれば、当初は「静浜荘」という木造のアパート経営だったそうです。戦後の高度経済成長期、木造アパート経営から木造旅館「静浜旅館」の営業に変わり、今から約50年前、私の祖父が奮起して、木造旅館から現在の鉄筋コンクリート造の建物に生まれ変わりました。
横浜駅西口から歩いて数分、2020年に新しい駅ビルが竣工し、様々な飲食店が立ち並ぶエリアですが、私が子どもの頃は平屋建ての家や個人商店が中心の、のんびりとした雰囲気でした。当時の遊び仲間も、家が飲食店だったり旅館だったり。
我が家業は大繁盛で、忙しく働きまわる祖父母や両親を横目に、近所の子ども達と遊びまわっていたのは、昭和から平成に移り変わろうとしていた時代。そしてその頃、遊び仲間の幼馴染が次々といなくなっていきました。どこか遠いところに引っ越すとは聞いていましたが、それがいわゆるバブル経済下における土地の値段の急激な上昇に伴うものだと知ったのは、私がずっと大きくなってからのことでした。
インバウンド需要期
もともと私は全く別の業界で働いており、家業へ本格的に携わり始めたのは、「インバウンド需要」という言葉が世の中に出回り始めた2013年、日本を訪れる外国人旅行客の年間人数が1,000万人を超えた時でした。
「なんで横浜のホテルはこんなに高いのか!」と言われるくらいインバウンド需要で宿泊施設の値段は上がり、静浜は格安ではなくとも控えめな価格設定でしたので、高騰した他のホテルに泊まれなくなった日本人のお客様が多く来館するようになりました。
半世紀近くも昔の建物ということで、どんなオンボロ旅館に泊まるのやらと不安に駆られながら来てみれば、リニューアルされておりまあまあ綺麗、今では数少なくなった和室の布団で寝られるなど、かなり好評でした。
2020年に国際的なスポーツの祭典が東京で開催されることが決まり、横浜にも次々と新しい宿泊施設が建てられていきました。
「こんなにホテルを建てて、どうするのだろう」という疑問は心の片隅に引っかかっており、いつかはホテルの供給過多が来るに違いないとの考えから、私は別の事業展開の可能性を常々考えるようにしていました。
シェアオフィスとの出会い
中区相生町にあるシェアオフィス「さくらWORKS<関内>」。私は、少し環境を変えて仕事や作業をしたいときに使っていました。
さくらWORKSは、半世紀前のビルの一室をリノベーションしており、静浜と同じ匂いがしたのも、惹かれた理由でした。
ひとつの空間に起業家、アーティスト、ライター、翻訳家などが様々な背景を持つ者が集まり、時には入居者同士で、新しいビジネスが生まれる瞬間もいくつか目にしてきました。
そして気が付けば、私はさくらWORKSのスタッフとして運営する立場になっていました。
宿泊業の場合、客室に供給する水道代、浴室用のお湯を沸かすボイラーのガス代、寝具のシーツやタオル、浴衣といったリネン代、そして清掃にかかわる人件費の比重が比較的大きいのが特徴です。
仮に静浜をシェアオフィスにした場合、水道光熱費はどのくらい減るだろうか、客単価はどのくらいで、損益分岐点は云々、いろいろ想像しつつ事業化の可能性を研究するという目的でしたが、シェアオフィスでの人との出会いが、その後の私のコロナ禍における対応の礎になったと思います。
緊急事態宣言発令
2020年4月に発令された緊急事態宣言によって、すべての予約が一瞬にしてゼロになりました。
神奈川県からは休業協力金が支給されることも発表されましたが、静浜のような素泊まり宿は支給対象外、発令期間は大型連休明けの5月7日まで、宿泊業界にとって大事な収入源がほぼなくなりました。
施設を稼働していると、費用が発生します。
大きく二つに分けると、ひとつは売り上げに応じて増減する変動費。客室で提供するアメニティの仕入れ、リネン類の洗濯代、旅行会社への販売手数料などがあります。
もうひとつは売り上げに関係なく発生する固定費。これは人件費、水道光熱費、リース料、固定資産税などがあります。
前述の通り、固定費の中で特に割合が多いのが水道光熱費でした。静浜ではガス式のボイラーを20年以上使っているのですが、新型のボイラーと比べるとガスの消費量が多いのです。給湯システム上、ボイラーを常に稼働させておかなくてはならない構造になっており、売り上げが減る中で燃料代が大きな負担になっていました。
従業員の給料も考えなくてはなりません。静浜は、私の両親も現役で働く家族経営ですが、数名のパート従業員を雇用しています。彼ら彼女らの生活が懸かっています。
固定費削減の手段として、完全休業が考えられます。しかし、協力金対象外なので、収入はほぼなし。
では部分営業の場合、旅行客はただでさえ少ない状況下で費用を賄えるだけの売り上げは期待できません。でも、宿を開けることで少しでも収入が入る可能性はあります。
経営者としては、一人だけでも予約があれば受け入れたい、売り上げに加えたいという気持ちはあります。
しかし営業すれば、人と接触する機会が増えます。高齢者である両親は普段からフロントで接客を行っており、清掃員の中にも高齢の方がいます。万が一新型コロナウイルスに感染した場合、高齢者において重症化するリスクが高いのは、これまでの事例から判明しています。
「お金よりも健康。健康なくしてお金は稼げない」。これが家族や関係者と話し合って出た結論でした。2020年3月から5月は完全休業することに決めました。
幸い持続化給付金の申請が通ったので、当面発生する固定費には、これを充てることにしました。
客室数を半減して営業再開と事業転換の決断
2020年5月25日、緊急事態宣言は解除されました。静浜もコロナ対策を施した上で、6月から徐々に営業を再開していくことにしました。
建物内での密集を避けるため、全客室の半分のみを稼働、お客様と対面するフロントには飛沫感染防止用のビニールカーテンを設置、そして接客時に使う不織布マスクの入手など、感染症対策ですべきことは山ほどありました。
備品の購入には、静浜が賛助会員として加入している横浜観光コンベンションビューローの緊急助成金を活用しました。また不織布マスクに関しては、同団体から200枚の無償提供を受けることができました。世間ではマスクが品薄になる中、その確保にどうしようかと頭を抱えていた時に、大変心強く感じた支援でした。
新型コロナウイルスの感染者数が減少したこと、GoToトラベル事業の開始などで、予約数は例年の1割ほどですが少しずつ戻ってきました。
一方、懸念していた通り、横浜駅西口周辺の宿泊施設の供給過多が顕在化、宿泊価格の下落が始まりました。極端な価格競争はいずれ自らの首を絞めることになると感じ、同じ土俵に家業を上がらせることに対して、私は戸惑いがありました。
この状況下で宿泊業を続けるのはどうか、祖父の代から家業を受け継いできた両親にも確認しました。
「この商売に一切悔いはない」と母。
「好きにやれ」と父。
私は事業転換に踏み切ることにしました。
旅館から稽古場に
「酔鯨さんのお宿って使えるかしら?」
(酔鯨は私の忍者名です)
さくらWORKSで私に話しかけてきたのは、鹽野(しおの)佐和子さん。さくらWORKSで私と一緒に働く仲間ですが、普段は舞台の脚本家や演出家、時には翻訳家としても活躍しています。
2021年春には、鹽野さんが監修する舞台公演が予定されており、その稽古場や出演者の宿泊場所として使いたいとのことでした。
新たな事業を探っていた私にとって大変ありがたいお話であり、すぐに快諾し鹽野さんを下見にお呼びしました。
「この廊下の長さ、劇場の舞台もこのくらいなのよね。」
まずは客室を案内しようと思っていた私でしたが、鹽野さんは廊下を端から端まで歩いてみて、そんな感想を口にしました。
宿泊業では、お客様は客室に入って客室で過ごす、つまり客室内でサービスが完結することが前提でしたが、廊下も活用するとは!
見る人が変わるだけでこんな使い方もできるのかと、目から鱗が落ちました。
冬のある日、鹽野さんたちの稽古が始まりました。
コロナ感染者が増えてきたということもあり、廊下を使う案は残念ながら今回は見送り、客室だけを使ってもらうことにしました。
稽古場ですので、宿泊用に備えてあった布団などの備品は不要です。休むための空間ではなく、活動するための空間としてお客様をお迎えしなくてはなりません。
机や椅子など備品を撤去したり、部屋を仕切っていた襖を外したり、とにかく広く使ってもらうことを念頭に、準備を進めました。
「とても充実した良い稽古ができました。本当にありがとうございました!」稽古後深々とお辞儀をしながらお礼を述べられた鹽野さん、本番に向けて何か得るものがあったのか生き生きとした姿で帰っていく出演者の方々、彼ら彼女らの後ろ姿を見送りながら、これからの静浜に少しばかりの希望を感じていました。
居酒屋から学童保育施設に
事業転換の決断を後押ししてくれたのは、私の先輩方です。
静浜のすぐ裏手には、「勢(せい)」という居酒屋があります。同じ町内でもあり、オーナーの多賀谷 彰さんとは交流がありました。
「勢」の本店は、JR横浜線の鴨居駅近くにあります。店舗は、倉庫だった建物をリノベーションして飲食店仕様に造り替えたもの、2階部分には80席規模の大宴会場も備えていました。近所の大手電機企業勤務者などで、昼はランチ営業、夜は宴席で連日賑わっていたそうです。
春ごろからは企業が外部での飲食を自粛、勢も宴会予約がなくなってしまいました。
それでも、お弁当を店頭で販売したり、時には自ら配達するなど、居酒屋という形を活かしつつ変化させながら営業してきたそうです。
時を同じくして、都筑区にある認可外学童施設が、登校登園自粛の影響で経営難に陥っているという話が多賀谷さんの耳に入ってきました。
多賀谷さんは春に誕生したばかりのお子さんを含め3人の子育て中ということもあり、教育には興味があったと言います。飲食店経営の傍ら、ミュージシャンとしての顔も持つ多賀谷さんは、音楽と食を学童施設で生かそうと考え、件の学童施設に2階にある大宴会場の提供を申し出たのでした。
そして秋には、1階は地元食材を活かした「こだわり食堂 勢」、2階は学童保育「AP どろんこぶた」として、新しい形でスタートしたのです。
「始めたばかりなので、採算が取れるという段階ではないです。でも子どもたちの将来にかかわる仕事ということで、これまでの飲食業とは全く違った楽しさがある。毎日本当に楽しいね」と、学童施設の理事長にもなった多賀谷さん、今まで以上に弾んだ声でした。
苗の販売からアクアポニックス試験農場に
さくらWORKSの入居者である濱田健吾さんは、「株式会社 アクポニ」の社長。アクアポニックスという、魚の飼育と野菜の栽培を組み合わせたシステムの研究や販売を行っています。
週末などの時間を利用して有機農業法を学んだ濱田さん、創業当初は野菜やハーブの苗、種子などの家庭菜園用品をインターネットで販売していました。
その後濱田さんは、アクアポニックスの先進国であるアメリカに渡り、現地の農場でアクアポニックスの修業を積み、帰国後は企業や公官庁などを対象としたアクアポニックス事業を本格化させて、アクアポニックス農場の開発や研究に携わっていました。
コロナ禍の影響が出始めた4月頃、それまで受注していた農場開発案件がキャンセルになってしまいました。日本でのアクアポニックスはまだ一般的でなく、どの企業も新たに挑戦しようとしている段階です。つまり日本経済の悪化を懸念した企業が、未知数のアクアポニックスへの投資を控えたということでしょう。
ところが、その後問い合わせをしてくる企業が以前よりも増えたといいます。
コロナ禍という経済に暗雲が立ち込めてきた中、未知数の分野を断念するか、これを機に未知数の分野に活路を見出すか、という判断をそれぞれの企業や個人が下した結果が、そこに表れていると思います。
いろいろな人や企業に、アクアポニックスを実際に見てもらいたい、学んでもらいたい、という思いを抱いていた濱田さんは、藤沢市にあるトマト農園の一角を借りて、アクアポニックスの試験農場を立ち上げることにしました。経済産業省中小企業庁の「ものづくり補助金事業」を活用し、秋から始まった工事は私も少しばかりお手伝いしつつ、冬に無事完成しました。
春先に静浜が予約キャンセルの嵐を受けていた頃、「小池さん、うちもキャンセルになっちゃいましたよ」と濱田さんが話しかけてきたのを覚えています。でもその声は、希望に満ちていたように感じました。ピンチをチャンスとする、そんな活路を見出していたのではないでしょうか。
こんな時こそ、周りを見回してみよう
忍者の役目は、情報を必要な人に伝えること。世が世なら、天井裏に忍び込んだり、他人になりすましたりして、さまざまな情報を仕入れてきます。その情報を届けるためには自らが生還すること、つまり忍者にとっての至上命題は「生き残ること」です。
時として相手に対し刃を向けなくてはなりませんが、それは本当の最終手段。
「相手の力とぶつかるな、自分の内部に取り入れ、活かせ」
忍者として修行を続ける中で、私が心掛けていることです。
今の時代、コロナウイルスを抑え込もうとする心理を持つのは当然かと思いますが、私は、この先コロナウイルスは、われわれ人間と共に存在し続けるものだと考えています。
コロナと戦うことで、一時は勝つかもしれません。でも相手は形を変え、どこかに存在し続けます。コロナウイルスとの共存が前提の世界だと思っています。
ご近所付き合いのあった多賀谷さん、シェアオフィスを通じて知り合った鹽野さん、濱田さん、他にもたくさんの方々と出会ってきましたが、どの人もそれぞれ自分の「城」を持っています。
城を守るため、外部からの侵入者を防ぐだけでなく、時には外部からの異物を思い切って取り込み柔軟に変化させていく、そんな姿勢を見続け、私自身の糧としました。
私の場合、鹽野さんという舞台演出家を招くことで、静浜の将来を見出すことができました。この旅館に「泊まる」という目的の利用者と、この建物で「活動したい」という目的の利用者では、受け入れる側の心構えというか、そもそもの準備が違うということ、違う事業を始めるとはこういうことか、など少しずつ分かってきました。各地で始まっている「アーティストインレジデンス」の原型を、私なりに実感したとも言えます。
静浜の活用については、現段階でどのように運営していくか、正式には決まっていません。文中で紹介した方たちも、それぞれの物語がはじまったばかりです。
いずれにせよ、事業として持続可能なものとしていくには、やはりお金が要になるということ。
コロナ禍で先が見えない不安の中、前ばかり見ようとして視野が狭くなったり、緊張で体が硬くなったりしまいがちです。ちょっと周りを見回してみましょう。コロナ禍をしなやかにかわし、往なす人たちがいるはずです。それが、お金を生み出す忍術の使い手なのかもしれません。
・保育ルーム・学童保育 APどろんここぶた
〒224-0053
神奈川県横浜市都筑区池辺町4328
TEL 045-507-4528
FAX 045-507-4529
https://d-kobuta.com/74116/
・株式会社 アクポニ
公式オンラインショップ
https://aquaponics-onlinestore.com/
・「ブレストウォーズ 恋する標準治療!~女の胸はときめくためにある~」
乳がんコミュニティのための、乳がんサバイバーによる創作劇
代表・脚本・演出:鹽野 佐和子(SARA)
公演開催日程:2021年3月20〜21日(土日)
会場・共催:みどりアートパーク(横浜市緑区民文化センター)
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