川崎市は、今年「核兵器廃絶平和都市宣言」を出して40周年、平和館開館30周年を迎えます。
川崎市平和館は川崎市が1992(平成4)年 に開設しました。現在の中原平和公園は、戦時中軍需工場があったことから、終戦後米軍に接収され、その後1975年に日本に返還されています。そういった経緯の中で、平和館が中原平和公園内に建てられました。入場は無料です。
ツアーのガイドは、専門調査員の暉峻遼三(てるおかりょうぞう)さん。2階の常設展示と1階の企画展示を、2時間かけて案内してくれました。歴史や資料の見方、当時の様子などについて様々な視点からの説明が興味深く、あっという間の2時間が過ぎていきます。戦争の跡地の場所や、かつてその場所が何に使われていたかなど知ることもできるため、いつもの景色が違って見えてくるかもしれません。
暉峻さんのお話では、日本には平和に関する資料館が多く存在しており、世界の四分の一以上が集まっているそうです。平和に関する資料館の中でも、ここ川崎市平和館は、「平和とは何か?」を考えることができる仕組みになっています。「平和学」という学問に沿って展示が構成され、戦争の資料の他にも、貧困や差別の問題、環境問題など「非平和な状態」が解説されています。見学しながら書き込めるようになっているオリエンテーリングシートには展示に関する問いかけがあり、最後に自分なりの平和についての考えを感想として書けるようになっています。
一般の方の見学の他にも、初年度研修で先生方が訪れたり、小中高の生徒たちも平和学習として訪れるということでした。ここ2〜3年は、専門調査員が学校の総合の時間を使った平和学習の出前授業をおこなったり、学校・教育機関からの相談を受けることもあるそうです。「見学や授業は、教えることよりも参加型で行っています」と暉峻さん。
平和学とは?
暉峻さんが「平和学」という学問がどんなものなのかを、教えてくれました。一言で言えば、平和に対置する状況を「戦争」ではなく「非平和」として位置付け、戦争はなくとも、尊厳ある生を脅かす人為的な行為や、社会の構造などを暴力として捉えながら、非平和の平和への転換を模索する学問だそうです。
2度の世界大戦が終わったあと、武器は使っていないけれど平和を壊している非平和な状況がいくつも存在しているという状況が社会で見えてきました。例えば、自分の国では戦争はないけれど、食べ物がない、一方で先進国はどうだっただろう、それに関して無関心でいてよいのだろうか……。
1990年代からは、文化に紐づいていた差別問題についても提唱されるようになりました。平和学的に見ると、産業化社会を社会の標準の形とすることで引き起こされてきた、地球温暖化などの環境問題も、平和問題です。そのように考えると「平和とは?」という問いは、誰にとっても身近な問いです。
展示で知る川崎と戦争
入り口の焼夷弾模型が天井から吊るされた廊下を進むと、まず「川崎と戦争」というコーナーがあります。そこでは、川崎の町について、歴史とともに深く知ることができます。
川崎の町は臨海部を中心とした工業地帯として発展し、戦時中は軍需工場が集まっており、空襲の目標になったそうです。1945年4月には大規模な爆撃を受けました。展示では「川崎の町にあった主な軍需施設の場所を示す地図」と「空襲があった地域の地図」が示す範囲が重なっていることがわかります。
川崎市の当時の主な軍事工場の場所や陸軍施設の場所などを、説明していただきました。
中原平和公園と道を挟んだ関東労災病院や小学校に「東京航空計器」という大きな軍需工場がありました。川崎市中北部の特徴としては、軍隊そのものがいた町ということが挙げられるそうです。例えば蟹ケ谷は、海軍通信隊の地下壕があり、味方や敵の艦隊の無線を傍受していました。さらに北には、陸軍の演習場として使われていた地域があり、さらに北に行くと、陸軍中野学校登戸研究所として、軍の先端兵器を研究する施設がありました。展示の写真でも「陸軍部隊跡と溝ノ口演習場の現存している遺跡」や「近隣地域に残る軍事施設」「陸軍の石碑」にその跡を見ることができます。
空襲の様子を振り返る動画の中でも、明治製菓や東芝などが大変な状況にあったことが語られています。
戦争と市民の暮らし
動画では、その頃の市民生活の様子について、空襲警報が毎日のように鳴るため、その頃には着替えて寝る習慣がなくなっていったことや、学校の授業もなくなっていったこと、食料がなくなっていったこと、空襲が終わって迎えた朝がなんとも言えない暗さだった様子などが語られています。その口調から当時の様子が感じられ、体験のない私自身にもその様子が自然に浮かび上がってくるようでした。
戦争中の生活を再現した部屋もあります。黒い色で塗られた電球が天井からぶら下がり、一升瓶に入れられたお米が置いてあります。これら二つとも、戦時下において定められた法律に基づいて行われた生活が表現されているということでした。電球は外から見て目立たないように、下だけ照らすように出来ています。
他にも、鉄資源のない日本が、戦争が進むにつれ、戦争に使うための大量の金属が必要になり、市民生活の中からも、鉄がなくなっていきました。鍋は瀬戸物に、洗面器は麦わらに柿渋を塗り防水効果を出したものに変わり、実物も館内に展示されています。
戦時中の戦渦の変化について、お話していただきました。爆撃は、昼間に高い高度から軍事設備を目標にする方法から、焼夷弾を使って夜間に低い高度で地域一帯を焼き払う方法に変わっていきました。展示されている実物の焼夷弾の一部は、思っていたよりもずっと大きく、重さもあるように思えました。そして、この焼夷弾は現在の国際戦争法規ではどう定義されているかなど、世界のその後の戦争の歴史についても色んな視点から語っていただきました。
普段の暮らしの裏側にふれる
平和・非平和という二つの視点から描かれている映像コーナーがあり、私たちの普通の暮らしの裏側を思い出させてくれるような対比で描かれています。流れる映像のテロップに印象的な言葉が並びます。
「武力紛争とメディア」のコーナーでは、新聞やラジオでの報道が紛争にどう関わっていったかという各時代の変遷を感じられるような展示になっています。世論に対するメディアの役割についての視点を得ることで、報じられている戦争の情報をどのように見ていくのかというヒントが得られるかもしれません。
最後に、どうやって平和的な社会を作っていけるのか、をテーマにした展示があります。平和に向けての国際機関や政府の活動はもちろんのこと、市民による国際的な活動も紹介していました。暉峻さんに「例えば労働者を守る活動として始まった生協も平和構築活動にあたりますね」と言われ、市民活動というのは、私自身が当事者であるんだと実感が湧きました。このコーナーは、随時アップデートされるそうです。
ツアーに初めて参加して、パネル展示とあわせて、いろいろな情報を直接教えていただいたことで「平和とは?」という問いに対し、改めて考えることができました。知ることで、問いが生まれる。そして、自身ができる平和への一歩を進めていけたらよいなと感じました。
川崎市平和館
住所:〒211-0021 川崎市中原区木月住吉町33-1
JR南武線・横須賀線「武蔵小杉駅」から徒歩約10分
東急東横線「武蔵小杉駅」「元住吉駅」から徒歩約10分
営業時間:9:00-17:00、入場料無料
休館日:https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000138/138073/2022.pdf
HP:https://www.city.kawasaki.jp/shisetsu/category/21-21-0-0-0-0-0-0-0-0.html
平和館見学ツアー:9月3日(土)13:15~14:15(要申込)
へいわアニメ上映会 「ウミガメと少年」:9月3日(土)11:00~12:00 川崎市平和館第1、第2会議室。入場料無料、小学3年生以上対象(要申込)
お問い合わせ・お申し込み先:川崎市平和館
電話:044-433-0171
メールアドレス:25heiwa@city.kawasaki.jp
生活マガジン
「森ノオト」
月額500円の寄付で、
あなたのローカルライフが豊かになる
森のなかま募集中!