はじまりはイラク戦争
イラク戦争が始まった2003年から、現地で緊急支援、医療支援を20年以上も続けてきた高遠さん。
戦争、紛争が落ち着いた今もなお、イラクの復興に携わっています。
イラク戦争自体はあっという間に終結を迎えましたが、その後の米軍占領下では、さまざまな問題が引き起こされました。米占領軍は宗派対立を煽り、内戦に発展したのです。また、「対テロ」の名の下、14歳から高齢者までの男性たちを一斉に「テロ容疑者」として拘束し、組織的な拷問を繰り返しました。こうした劣悪な環境の中から、最も凶悪と言われるテロ組織が誕生しました。
それが私たち日本人の記憶にも強く残る、イスラム国(IS)です。
米軍主導のIS掃討作戦(*)が始まると、激しい戦闘が続き、緊急支援、医療支援も困難を極めました。物資を運んでも運んでも、戦闘は終わらない。転がる戦闘員たちの死体。戦闘と支援を繰り返す日々が、とてつもなく長く続いたそうです。
2017年、「イラク全土をISから解放した」というイスラム国からの解放宣言がイラクの首相から出された後、それまでの緊急支援のハードさから、高遠さんは燃え尽き症候群になってしまったと言います。
そんな中、支援者として来ていたクルド人の一人の若者から「アラブ人もわれわれと同じように苦しんでいる」という言葉を聞き、高遠さんは一筋の光を見出します。
どういうことでしょうか。
多民族、多宗派の国として知られるイラクですが、イラクの約8割を占めるアラブ人と、残りの2割のうちに入るクルド人との間には、長年の軋轢があります。アラブ人へのヘイトスピーチをするクルド人を度々見てきたという高遠さん。
ではクルド人の若者がなぜ、そのような言葉を放ったのでしょうか。
(*)IS掃討作戦…イスラム国を完全に排除する作戦
ドホークで起きた地殻変動
高遠さんが現在も居住しているイラク北部に位置するドホークは、イスラム国の拠点があったモスルという場所から約60キロ離れており、さまざまな人が避難してきた場所でもあります。
「IS掃討作戦の時、モスルは地獄、ドホークは天国でした」と高遠さんは話します。そんな状況で、100万人近い人たちがドホークに逃げ込んできたそうです。
そして、避難民だけでなく、国内組織、国連組織、NGOや海外メディアなどがドホーク(クルド人自治区)を拠点にしたため、多くの地元のクルド人の若者が、通訳、アシスタント、NGOスタッフなどに雇われ、一スタッフとして、現場に入ることになります。
すると、クルド人の若者たちは小さい頃から親や先祖たちから、「アラブ人は悪い人たち、アラブ人はクルド人を苦しめて迫害してきた」と聞かされてきたのに、外国人組織と一緒に現場に入ってみたら、アラブ人も自分たちと同じように悲しみ、苦しんでいる姿を目の当たりにしたそうです。
そこで放ったクルド人の若者の言葉が
「アラブ人もわれわれと同じように苦しんでいる」という一言でした。
長い間、迫害されてきたクルド人の歴史が背景にあったからこそ、クルド人の若者の一言には、強い光を感じ、地獄の中で地殻変動のようなことが起きているとも感じたと高遠さんは話します。
もう一つ、クルド人が100万人近い避難民を受け入れたこと自体にも今までにない変化の兆しを感じ、
「今なら分断をどうにかできるかもしれない。本当の意味で、多様性の容認や平和構築を、色々な人を巻き込んでできるのではないか」
高遠さんはそう直感したそうです。
方法論が見つからない
今ならできる!しかしどうやって……
光が見えたものの、その方法論がわかりません。
高遠さんはこれまで「武力でなく対話的解決」を信じてきたものの、失敗を繰り返してきたそうです。
戦場で対峙していた、元イラク軍兵士と元米兵などの間に入り、何度となく対話の場を設けてきました。
しかし、お互い直接話そうとはせず、目も合わせない。
同じテーブルに座っても、どちらも高遠さんに話をするという構図。顔も見たくないという人もたくさんいました。
挙げ句の果てには、「アメリカ人に挨拶をしたことを2時間ずっと後悔している」と会の終わりに高遠さんに告げたイラク人の言葉を聞き、対話どころか、分断がさらに深まっていることを感じ、「対話は困難の極みである」そう悟ったと言います。
図書室のない小学校
少年院に足を運び、何百人と収容されているISの元子ども兵たちにインタビューをすると、子どもたちは親やきょうだいの仇のため、またはお金が必要だったという理由でテロ組織に入っていたことがわかりました。
そして元子ども兵の一人が「復讐されるから村には帰れない」と言ったそうです。いくら元子ども兵が更生したとしても、受け入れる側が拒絶するかぎり良くならない。高遠さんは受け入れるコミュニティの問題を改善しようと、小学校の教育現場に向かいます。
日本で受けた教育で読書の重要性を感じていた高遠さんは、まず図書室を探します。
7校ほどの小学校を見せてもらって驚いたこと、それは「図書室がどこにもない」ということ。
その後、調査を続けさらにわかったことは「読書習慣が全くない」ということでした。高遠さんは驚き、本屋に走ります。絵本がない!あったと思いきや、しつけの本と宗教の本しかない。
教育現場で何かをやろうと思ったけど、まず素材がない!
絵本がない。読書習慣がない。図書室がない……。
なので当初は日本語の絵本を小学校に持っていったそうです。日本ではお馴染みの『いないいないばあ』や『しろくまちゃんのほっとけーき』などの幼児向け絵本。しかも日本語です。
イラクは日本以上に詰め込み教育で「教科書を丸暗記させるのが私たちの仕事」と校長先生が言うほど。
そういう背景もあってか、高遠さんが読み聞かせをすると、子どもたちは好奇心と集中力を発揮したそう。
谷川俊太郎さんの『まり』という絵本は日本語のオノマトペしか出てこない絵本ですが、「コロコロコロ」「ぽとん」と日本語で読むと、
ゲラゲラ笑いまくる子どもたちに、現地の先生たちはポカーン。一体何が起きているんだろうという感じだったのではないかと高遠さんは言います。終わった後は、絵本の取り合いが始まるほどの人気ぶりだったそうです。
※『いないいないばあ』(文:松谷みよこ/絵:瀬川康男絵、童心社)
※『しろくまちゃんのほっとけーき』(作:わかやまけん、こぐま社)
※『まり』(文:谷川俊太郎/絵:広瀬弦、クレヨンハウス)
「まり」を指差し子どもたちに、これが何かと聞いてみると、
「オレンジ」「おつきさま」「たいよう」など、色々な答えがあり、正解を教えようとする先生たちを高遠さんが止め、
「ぜんぶ正解」と伝えたそうです。現地の先生たちも、正解を教えるということでなく、想像力をかき立てるということをしているんだ、と感づいてくれました。そしてその様なことは、今までのイラクの教育現場では行われていない、教育のあり方だったそうです。
それだけなく、多種多様な民族が絵本が読めるように、英語、アラビア語、クルド語によって書かれている、オリジナルの多言語絵本もつくったそうです。
さらにその絵本を日本から購入し、避難民キャンプ内の子どもたちや、入院、治療をしている子どもたちにを届けることができるブックドネーション(絵本の寄贈)の仕組みもつくりました。
日本の有志や演劇関係者、教育関係者で任意団体PCPをつくった高遠さんは、ドホークのNGO代表、教育委員長、少年院の院長を日本に招聘します。そしてただの図書室でなく、ワークショップスペースとしても使用できる多機能型の図書室をつくる目的を理解してもらい、2022年に最初の図書室を公立小学校につくりました。
その後2023年にも2校目となる図書室をつくり、現在3校目の学校を選定中だそうです。
高遠さん個人の支援活動の輪が広がり、現在ではPCPを法人化し、教育関係者、エイドワーカー、俳優、劇作家、ボランティアなどが、イラクにおける平和教育を特化したプログラムを行っています。
絵本や演劇が紛争を解決する力になるのでしょうか。
「時間がかかることはわかっていますが、30年計画で、80歳を越える時までに解決に到達するところを見て死にたい」と高遠さんはお話してくださいました。
*後半はPCPの活動の肝でもある「エンパシー」について、また日本人だからこそできることがあるという貴重なお話を伺いました。
▼後編はこちら
高遠さんが代表をつとめる一般社団法人Peace Cell Project(PCP)
https://www.peacecellproject.org
絵本のドネーション。日本から支援ができます
https://peacecell.thebase.in/items/69593091
ピースセルサポーターも募集中!
https://www.peacecellproject.org/donate
P C P主催の探求フェス。埼玉県長瀞げんきプラザで8月に開催予定
https://www.peacecellproject.org/tankyu
イベントに関するお問い合わせ:pcptankyu@gmail.com
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