「藤が丘駅は1966年開業。1960年の開発当時の駅名は“谷本”でした。駅が建つ場所の近くに富士塚があることと、駅前に野生の藤が生い茂っていたことから、駅名が“藤が丘”に決まりました」
千草台在住の内木文雄さんのナビゲートで始まったこの日の「街のパティシス」。思わず「へえー」と声が出てしまう、藤が丘駅周辺のうんちくが披露されました。例えば、市が尾駅から藤が丘駅までは1.5km、青葉台駅までは1.0kmの距離ですが、実際に電車に乗っていると、2倍以上は距離が離れているように感じるものです。「これは、藤が丘駅のホームが徐々に西に伸びていったからなんですよ」と内木さん。確かに、藤が丘から青葉台までは電車では数十秒で到着する距離感です。
この日は、プロジェクターで写真を投影して、藤が丘駅の今昔を見比べるという企画。昭和大学藤が丘病院前で34年間時計と貴金属の店を営むトヤマ時計眼鏡店の外山紀一さん・高嗣さん親子が写真を提供し、ゲストとして招かれました。
「40年前に鶴見から藤が丘に引っ越してきた時は、空気がとてもきれいで美味しかったこと、それから2℃くらい気温が低いと体感したことを覚えています。昭和大学藤が丘病院ができて、人通りが多くなってきて、時計眼鏡店をスタートしました」と、お父さんは振り返ります。
外山さんの写真を見ると、いまなお健在の「藤が丘ショッピングセンター」の看板や、マンションが建つ前のだだっ広い駅前ロータリー、駅前の交差点には喫茶街があったことなどがうかがい知れます。国道246号線を抜けもえぎ野方面に向かう並木道は、まだ建物も少なく、茫漠とした印象。いまでこそオシャレなお店や美味しいレストランが建ち並んでいますが、昔の藤が丘は、本当にのどかな丘陵地帯だったのですね。
246号に近い立地にはボーリング場があり、そこは藤が丘っ子の社交場だったそうです。いま中華料理店とコンビニエンスストアがある駅前のビルは昔「カルチャービル」と呼ばれていて、音楽教室や英会話教室、当時はまだ珍しかったスポーツクラブなどが入っていたとのこと。「千草台プールはいまなお庶民的な雰囲気を残していますが、駅前のカルチャービルのプールで泳ぐのは、子ども心にもちょっとしたステイタスでしたね」と内木さん。
ほかにも、昭和大学藤が丘病院の建築中の写真や、藤が丘にまつわるエトセトラが紹介され、会場からは「懐かしいわね」「昔は駅前の噴水にフナがいて、学校の理科の授業で解剖したのよ」などの声が聞かれ、盛り上がりを見せました。
最後に、青葉区民ポータルサイト・情報広場「あおばみん」のメンバーが撮影した、藤が丘駅前で長く商店を営む商店主インタビューが放映されました。地元の開業医は「昔駅前に釣り堀がありました」と話し、茶舗店主は「物販店は昔の10分の1に減りましたかね。小売店として商品には自信を持っているので、ぜひ専門店で買い物をしてほしい」。酒屋店主は「うちはのんべえ向けの商品を揃えていますよ」と、それぞれ、商売に誇りを持つ人たちの語りが紹介されました。
最後に、商店会の若手会長でもある外山高嗣さんが、「これからも地元商店会や街を愛してほしい。いま若手が地元を盛り上げようと、小規模なイベントを開催しています。9月23日には、浅野酒店さんの協力で利き酒のイベントを開催するので、ぜひ参加してほしい」と呼びかけました。
街のパティシス、次回は「第5回 歴史探偵高丸の“源流を往く” 早渕川源流の歴史と里山めぐり」を9月29日(土)に開催します。場所は美しが丘西地区センター、13:30-16:00。参加費500円で、お茶とおやつがつきます。申し込みは9月11日から。詳しくは街のパティシスホームページで。
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□街のパティシス
http://aoba-portal.net/group/t_patisis/index.html
□青葉区民ポータルサイト・情報広場「あおばみん」
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