右に八丈富士、左に八丈小島。中心街から三原山の坂道を上りきったところで見られる風景。島チャリでいい汗かきながら見る絶景は最高だ
■「地域を変えるのは、よそ者、若者、バカ者」——。
目の前にいるこの人、宮崎岩一(いわかず)さんは、生まれも育ちも八丈島。だからよそ者ではない。齢は50歳目前、若者とは言えない。では……?
大きな体躯を揺らしながらさっそうと八丈町役場に現れた宮崎さん。秋冬は伊勢エビ漁やタコ漁、カツオ漁に出る生粋の漁師で、連休明けから夏までのハイシーズンはダイビングボートで人々を海中の楽園へと誘う観光案内人。時に仕事と称して波に乗るサーファーでもある。いかにも南国育ちらしい大きな声とおおらかな笑顔。仲間から「うちの理事長は……」と呼ばれ親しまれている兄貴分でもある。
宮崎さんが“何者”なのかは、あえて語るまい。人生のほとんどを八丈島で過ごした宮崎さんがNPO法人八丈島産業育成会を立ち上げたのは2005年11月のこと。なりふり構わず島の未来のために動き回る宮崎さんの後ろ姿には、「地域を変えたい、愛する八丈島の魅力を次世代に伝えたい」、その一念が鬼気迫るほどにじみ出ている。
■「みんなで島の宝探しをしている」
全国の離島の例に漏れず、八丈島でも若者世代の人口流出が著しく、人口は1970年より2割減の約8000人。かつて「日本のハワイ」と呼ばれ賑わった観光業だが、来訪者はやはりピーク時の1970年代の年間約20万人から半減した。東京からの飛行機の便が減り航空券が値上げになることに危機感を募らせた宮崎さんはそれに反対する署名活動に孤軍奮闘していた。
「でも、島の中で個人がバラバラに活動していても意味がない。異業種同士が手を携えて一緒に活動できる組織が必要だ」と考え、建設業、観光業、水産加工業、流通業、電気事業者、小売業者など様々な業種の仲間に声をかけNPOを立ち上げた。やがて酒を酌み交わしながら「子どもたちが将来も住み続けたいと思えるような八丈島をつくりたい。自分たちの愛する島を活性化したい。何より、楽しく暮らしたい」と夢を語り合うようになった。
「みんなが島の宝探しをしているようなものかな」。こう話すのは、NPOの理事で建設業を営む間仁田聡さん。八丈島の宝とは……。美しい稜線の八丈富士と豊かな亜熱帯の植物と水を育む三原山、黒潮がもたらす豊かな海の生態系、健康長寿の秘訣アシタバ、6つの温泉、流人が伝えた古き良き文化、黄八丈、島を愛する人々、そして夏は台風、一年中吹き荒れる強い風、潮風からくる塩害……「これらもすべて宝なんです」(間仁田さん)
■晴れていても嵐のような風が吹く
八丈島役場の一角に、かざぐるまのようにクルクルと回る小型の風力発電設備がある。風車の下の小屋には「島チャリステーション」の看板が。電動アシスト自転車のバッテリー12台をこの風車1台で賄う。島の電気工事事業者でNPOの理事でもある勝電技研の奥山勝也さん自らがメーカーとかけあい、設置からメンテナンスまですべて請け負っている。風力発電設備と言えば、プロペラ型の大きな翼のイメージが強いが、ここで垂直軸の風車を採用したのは「八丈島の風は乱流なのでプロペラ型だと揺れて発電効率がよくないから」(奥山さん)。晴れている日でも嵐のような風が吹く。風速14—15mは当たり前、瞬間風速で20mを超えることも珍しくない。
島チャリ事業は、国交省の「建設業と地域の元気回復助成事業」の採択を受け、間仁田さんら建設業者を中心に、八丈町、八丈町商工会、八丈島観光協会などで構成する八丈島活性化協議会が運営している。2010年7月に運用開始し、5月10日までにのべ504名の観光客が利用した。レンタル料金は1日2500円で、1回の充電で走行できる距離は約15km。「これまで八丈島に存在しなかった電気自転車で、新たな島の観光スタイルを確立できた」と間仁田さんは話す。
■自転車だから出会える彩り豊かな世界
八丈島は都道を一周すると約40km。標高854mの八丈富士と、700mの三原山を取り囲むように集落が点在している。2つの山の谷間に八丈島空港と八丈町役場、漁港があり、観光のハイライトは中心街の玉石垣の小径や宇喜多秀家の墓、八丈島歴史民俗資料館。東に足を伸ばせば三原山側の6つの温泉、中之郷地区の織物・黄八丈、裏見ケ滝など。西は八丈富士登山。山に囲まれているため起伏に富み、電気自転車は観光の恰好の足になる。亜熱帯の美しい花々、虫や鳥、潮風は、クルマで通り過ぎるばかりではじっくり味わうことができない。紫と白の可憐な花を咲かせるジャスミンの香りに包まれ、希少種であるハチジョウクワガタとばったり、なんてことも。
それに、自転車ならば、道ばたの商店にふらりと立ち寄ることも容易である。車の免許を持たない学生や女性たちに特に好評なのだという。
自転車はそれぞれ「おじゃりやれ号(八丈方言でおいでください)」「めいららい号(同おいでください)」など八丈方言で名付けられ、独自のルートや方言の意味、充電ステーションを記したマップがついてくる。充電スポットは島内6カ所。急速充電中はお茶を飲みながらほっと一息、というのもいい。
■エコツアーの柱の一つになる? サンゴの養殖事業
この島チャリ事業は「自然エネルギーで走る電気自転車とサンゴ養殖を活用したエコツーリズム事業」が正式名称だ。日本でも数例しかないサンゴの特別採捕許可を得て、昨年10月に名古屋で開催されたCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)前に採取した様々な種類のサンゴを増やしエコツーリズムのプログラムをつくろうと実証実験が続いている。
八丈島は黒潮の通り道に位置し、サンゴの種類の多さは数多くのダイバーや研究者を虜にしてきた。八丈の海では、昔はテングサやブドという海藻の漁で栄えたが、今ではこれらの海藻がまったく採れなくなり、ここ数年での生態系の変化は著しいという。八丈島でダイビング事業を行う山本欣司さんは、赤土の流出や生活排水などによる汚染と高温で白化したサンゴが再生してきたのを目の当たりにしてきた。「地球は破壊と再生を繰り返していることがわかった。自然は人間が手を加えなければ自然は再生する力がある」と語る。
宮崎さんや山本さんらダイバーたちで八丈サンゴマップをつくり、より付加価値の高いダイビングを提供するとともに、養殖事業でサンゴの生態系を把握し、回復につなげ、サンゴを新たな地域資源にしていきたい―—。エネルギーと生物多様性、2つが結びついたエコツアーとしての魅力を高めていきたい構えだ。
■島あげて「クリーンアイランド」を目指す
実は八丈島は、自然エネルギーの島という一面がある。離島なので電力系統は島内で独立している。島には東京電力の内燃力発電所(重油)、地熱発電所、風力発電所があり、ベース電源の3300kW分は地熱発電が賄い、負荷変動分の電力を合計6ユニット1万1100kWの内燃力発電所が賄っている。八丈島の地熱発電所が運転開始したのは1999年3月。隣接している500kWの大型風力発電設備は、国内の電力会社としては初めての営業用発電所として2000年に稼働した。年間トータルで2〜3割の電力を地熱や風力といった自然エネルギーが現に担っている地域は、日本のなかでも数少ない。
このように、八丈島では自然エネルギーの供給においては10年以上の実績があり、町あげて「クリーンアイランドを目指す町 八丈」をコンセプトに掲げている。町役場の一角にある島チャリの発電設備は、そのシンボル的存在とも言える。
「今後は大型の発電設備でなく、小型風車など小規模分散型の自然エネルギーを島のあちこちで立てていきたい。本土から技術者を呼び寄せて機械を運び風車を建てるのではなく、島の電気事業者と建設業者が設置してメンテナンスし、運用データを本土のメーカーにフィードバックする。地元で運用できないと長続きしないんです」と、奥山さんは力を込める。
■8つの自然エネルギーで「エコ八」プロジェクト
NPO法人八丈島産業育成会では、さらに自然エネルギーを推し進めるためのプロジェクトを構想している。風力、太陽光(熱)、地熱、小水力、波力、海流、潮流、バイオマスの8つの自然エネルギーの実証実験のフィールドになりうる八丈島を世界にPRしていこう、というものだ。
「八丈島は、黒潮、雨、台風、海流、地熱、風、塩害、暑さ……すべてがある島なんだ。台風で停電なんて当たり前。これらは今まで我々にとってリスクだったけど、この八丈島で自然エネルギーを複合的に融通するスマートグリッドが実現できたら、日本全国どこだって通用する技術になり得る」(宮崎さん)
常夏の気候は、時に厳しい。風向きが一定でなく、猛烈な風が吹くこともしばしばである八丈島で、島チャリ用に設置した風車は勝電技研の細やかなメンテナンスとチューンナップによって発電効率を上げ需要を上回る供給量を保つことに成功した。活火山で温泉もある八丈島の地熱はベース電源になり、三原山近辺の落差ある川の流れは小水力発電向け。潮風による塩害は耐久性の検査にもってこい。黒潮の豊かな海流は開発途上の波力、潮力、海流エネルギーの実証実験の場としても適している。
「八丈島は東京からわずか1時間で来られて、自然エネルギー資源がたくさん利用できる。研究者や企業の実証フィールドとしてこれほど適した場所はない」(奥山さん)
■いつか島で環境サミットを
「八丈島の自然エネルギーをバッテリーに充電して首都圏にエネルギーを輸出しよう」
「八丈島を自然エネルギーの実証実験のフィールドにしよう」
「サンゴの養殖を通じて海の生態系を回復させよう」
宮崎さんがこれまでに掲げてきたスローガンは、いつも島の人たちに鼻で笑われてきた。それが、環境省や国交省、東京都などの補助事業に応募すると「先見性あり」として企画が通り、島で実現する。「ストーリーをつくって、いかにエネルギーと産業を結びつけた提案をするか。それが島にも東京の人たちのメリットにもつながる」と宮崎さん。
宮﨑さんは決して戦略家ではない。船頭として大きな夢とともに具体的ビジョンを掲げて旗を振る。いつしか町の仲間たちがその夢に同乗し、力を合わせて航海図を作成し、最短距離で船を漕ぎ出せるのだ。今では奥山さんは毎週のように東京に出張し、東大の研究者やメーカーの開発担当者らと対等に意見をたたかわせるようになった。
「いつか八丈島で環境サミットを開催しよう」。これを合い言葉に、“バカ”がつくほどの郷土愛と、行動力で走る男たち。未来を切り拓いていくためのエネルギー源は、八丈を愛する男たちの熱い魂なのかもしれない。
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