「私たちはパレスチナの子。いつも悲しみとともにあった。世界は私たちのことを忘れてしまった」
年端もいかないあどけない顔をした子どもたちが、目に深い悲しみをたたえながらこう歌う。
2008年12月、パレスチナ自治区のガザにイスラエル軍が侵攻した。死者はパレスチナ人1383人、イスラエル人13人。300人以上の子どもたちが犠牲となった。
突如として愛する家族が目の前で殺された。あの日を境に笑わなくなった少女。いつもイライラして叫び、暴れる幼い男の子。本作『ぼくたちは見た −ガザ・サムニ家の子どもたち−』は、ジャーナリスト・古居みずえ氏が攻撃直後に現地に入り、惨状に心を痛めながらもガザ市南部の農業地帯ゼイトゥーンに住むサムニ家の子どもたちを丹念に取材する。一度に一族が29人も殺されるという過酷な経験をした子どもたちの口から語られた言葉とは。侵攻から半年後の再会で、子どもたちの表情がどう変化していったのか。
古居監督に話をうかがった。
―― 古居監督がガザを訪れたのはいつ頃ですか?
古居みずえ監督(以下敬称略): イスラエル軍によるガザ攻撃の停戦5日後の2009年1月23日から3月の初頭まで。再訪したのが同年7月末から9月初めまでです。2008年末から約3週間にわたりガザ地区で大規模な空爆、地上侵攻が行われましたが、その間外国メディアはガザ地区に入ることを許されませんでした。
―― 取材をしたサムニ家とはどのような家族なのですか?
古居: サムニ家はガザ市南部の農業地帯ゼイトゥーンで、農業をしながら一族で暮らしていた大家族です。映画に出てくるカナーンやゼイナブなどの父親が兄弟同士で、お父さん、お母さん、従兄弟同士が支え合いながら生きてきました。映画にも出てきますが、オリーブを中心にナスやジャガイモなどを植え育てて生計を立ててきました。
―― サムニ家を撮影しようとしたのはどういうきかっけだったのですか?
古居: サムニ家は一族の約100人を一つの家に集められ、その家に3発のミサイルが落とされ、銃などで撃たれて、そのうち29人が亡くなりました。あまりにも衝撃的なこのニュースを知り、彼らに話を聞きたいと取材に行きました。ゼイナブという少女は、目の前にいとこの奥さんの頭が飛んできたり、父と母の脳みそが目の前で飛び出るという悲惨な亡くなり方を目撃しました。カナーンという少年の足には銃弾の破片が残っています。
このような虐殺といえる行為は、人道的に許されないと怒りに震えました。映画でアルマザーという少女が「私はなぜこんな目に遭わなければいけないのか? 自分たちのことを知ってほしい」と訴えました。ゼイナブは「私は死んだも同然」と言っています。子どもたちにこのような言葉を吐かせる現実に、世界も、日本も、目を向けようとはしません。だからこそ、伝えなければならないと思いました。
―― パレスチナ問題はとても複雑で、パレスチナ側の目線で見るのと、イスラエル側の立場に立つのとでは、問題のとらえ方が変わってきます。古居監督が常にパレスチナ側に寄り添っているのはどうしてなのでしょうか。
古居: 対立する二つの立場があるとしたら、私はより弱い、虐げられている人の立場に立ち、彼らの状況を伝えていきたいと考えています。イスラエルの占領によりパレスチナの人たちは状況が苦しいので、訴えてくる力がとても強いのです。
私は37歳でリウマチを患い、奇跡的に投薬治療によって救われ、それから新しく人生を行き直そうと40代からカメラを持って世界を回り始めました。パレスチナの人と出会い、その勢いで、一度行ったら半年くらいは滞在し、インティファーダという抵抗運動の中でパレスチナの女性や子どもたちを撮りました。
私はパレスチナの人も土地も大好きです。乾燥していて暑すぎず寒すぎず、人々は家族のようにいつも温かい。私をいつも家族のように迎え入れてくれます。空爆で壊されたガザの町でも、がれきの山から石をまた詰んで家を再生していく、ものすごい生活力が人々にはあります。
―― 侵攻によってがれきの山になったガザの町の情景は、状況は違えども、東日本大震災の被災地につながるものを感じました。
古居: 日本とパレスチナの置かれている状況は異なります。でも彼らと今の日本に共通点は、いつ何が起こるかわからないという状況にさらされたこと、突如家がなくなり、親兄弟を失うというような体験を一般の日本の人々が体験したということです。地震や津波は天災で、戦争は人災です。いつも犠牲になるのは普通の人であり、子どもたちです。
パレスチナでの出来事を、今までは自分と関係のない遠い世界だと感じていた人たちも、今こそ自分のこととしてとらえるべき時期なのではないかと思います。
私は震災後、仙台の若林区や宮城県の南三陸町、岩手県の陸前高田市、大槌町などに足を運んできました。一瞬のうちに町や人の命が丸ごと飲み込まれてしまう恐ろしさを目の当たりにしたのと同時に、人の命の儚さを感じました。
ここ数ヶ月は、福島県の飯館村に通っています。福島では原発事故の影響で、住民たちはある日突然住んでいる村を追われてしまいました。そういう意味では、パレスチナの人々と共通する面が福島にはありますね。
―― この映画をどんな人に観てほしいですか?
古居: 映画に出てくる子どもたちと同じ年代のお子さんや親御さんたちに、ぜひ観ていただきたいと思っています。いちばん近しい存在の子どもたちが、同じ世界で、どんな境遇で過ごしているのか、観てほしい。おそらく私たち日本人の日常感覚からは考えられないことが映画では映し出されています。この映画で子どもの目から見た戦争を描いているのは、戦争という不条理が、子どもたちのせいでおこっているわけではないという当たり前のことを伝えるためです。
子どもたちが戦争で受けた傷はなくなることはありません。しかし彼らは生きていかなければなりません。サムニ家の子どもたちはとても悲惨な経験をしましたが、それでもひとりぼっちじゃない。親兄弟を失っても彼らはストリートチルドレンにはならず、親類・縁者たちの元で暮らし、必ず家族全員で食卓を囲みます。
パレスチナは人間的にはとても豊かな土地です。東北にもそれを感じます。映画の最後には希望を示しています。ぜひ、一人でも多くの方に見ていただきたいと思っています。
■古居みずえ監督 プロフィール:
島根県生まれ。アジアプレス所属。JVJA会員。
1988年よりイスラエル占領地を訪れ、パレスチナ人による抵抗運動・インティファーダを取材。パレスチナの人々、特に女性や子どもたちに焦点をあて、取材活動を続けている。98年からはインドネシアのアチェ自治州、2000年にはタリバン政権下のアフガニスタンを訪れ、イスラム圏の女性たちや、アフリカの子どもたちの現状を取材。新聞、雑誌、テレビ(NHK総合・ETV特集、NHKBS1、テレビ朝日・ニュース・ステーション)などで発表。
ドキュメンタリー映画 『ガーダ パレスチナの詩』(2005年)。
TVドキュメンタリー 『封鎖された街に生きて ~ガザ ウンム・アシュラフ一家の闘い~』(NHK BS1 2008年)、 『子どもたちは見た ~パレスチナ・ガザの悲劇~』(NHK BS1 2009年)など。
2005年DAYSJAPAN審査員特別賞受賞 。2006年10月、第1回監督作品「ガーダ パレスチナの詩」が第6回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞受賞。
著書に『インティファーダの女たち』(彩流社)、 写真集に『瓦礫の中の女たち』(岩波書店)など。
2011年新著『ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち-』(彩流社)を刊行。
##Information
■上映情報
『ぼくたちは見た ―ガザ・サムニ家の子どもたち―』
2011年/日本/カラー/86分/DVCAM/ステレオ
監督・撮影:古居みずえ『ガーダ ―パレスチナの詩―』
プロデューサー:野中章弘、竹藤佳世
編集:辻井 潔 『花と兵隊』『ミツバチの羽音と地球の回転』
音響設計:菊池信之 『玄牝-げんぴん-』『ゲゲゲの女房』
音楽:ヤスミン植月千春
宣伝:ブラウニー
協力:横浜YMCA対人地雷をなくす会、古居みずえドキュメンタリー映画支援の会
製作・配給:アジアプレス・インターナショナル
2011年8月6日より東京・渋谷のユーロスペース(文化村交差点前左折)にてモーニングショー
当日料金一般1700円、大学・専門学校生1400円、会員・シニア1200円、高校生800円、中学生以下500円。
親子で来場された方に、パレスチナのオリーブオイルせっけんプレゼント!
※2011年9月3日より第七藝術劇場、名古屋シネマテークにて公開、全国順次公開
生活マガジン
「森ノオト」
月額500円の寄付で、
あなたのローカルライフが豊かになる
森のなかま募集中!